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エフゲニー・スドビンのリサイタル中止について思うこと

ロシアのピアニスト、エフゲニー・スドビン (アーティストサイトはこちら) は知る人ぞ知る名手。フランスでは(日本でも?)ピアノ通には高い評価を受けているものの、一般にはほとんど無名。それもそのはず、フランスでの公演は数える程しかない。

確か2013年、パリで、ある夏のピアノ音楽祭に登場したのを聴いたことがある。それ以前から業界筋のピアノ界隈で名前は知れていたので、ぜひ聴いておこうと出かけていった。
8月終わりだったのに、その日は土砂降りで、その上会場がブーローニュの森の中でパリ中心部からはかなり遠いこともあり、約150席ある会場に集ってきた聴衆はわずか20人ほど。この音楽祭では1ヶ月にわたって土日午後に2つのコンサートがあるのだが、その日は他にベアトリーチェ・ラナのフランスでの初リサイタルが組まれていた。彼女はまだ20歳そこそこ。スドビンとラナ。このすごい顔ぶれを同じ午後に聴けるとは。今だったらもう絶対無理な組み合わせだ。(コンサートホールや開催者はなぜスドビンほどの才能をプログラミングしないのか全くもって謎だ。)
その時に筆者が仏語で書いたレビュー記事はこちら。この時すでに「遂にパリに登場」というタイトルをつけている。

そのスドビンが、来たる3月16日にパリのサル・ガヴォー Salle Gaveau でリサイタルを開くというので、絶対に聴き逃すまいと、シーズン発表時から日を空けて待ちわびていた。これまでパリに登場したのは上記の夏のコンサートと、2017年、ラジオフランスでのリサイタルだけだったと記憶する。こちらはあいにく予定が合わず行くことができなかったので、なおさらだった。

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そんな中、2月下旬にロシアによるウクライナ侵攻の知らせが流れてきた。悪い予感。3月に入り、ヨーロッパ各国で、ロシア国籍だというだけでアーティストが舞台から締め出されるケースが出始めていたからだ。ゲルギエフやネトレプコのコンサートはいち早くキャンセルとなり、ダブリン国際ピアノコンクールがロシアからのコンテスタントを排除することを発表し、ソヒエフがトゥールーズとボリショイ劇場の音楽監督の座を同時に即時辞任した。

ちょうどその頃、サル・ガヴォーのサイトを見てみた。案の定、「お探しのページは見つかりません」の表示。すでにホールのサイトからはリサイタルの存在自体が消されていたのだ。その直後にコンサート主催者のプレス担当からは「どうなるか現在状況をみている」という返事がきた。ホールと主催者の間で連絡が取れていなかったのだろうか。その日は「でもホールのサイトからは情報が消えてますよ」と返答した。数日後たってやっとプレス担当から「腱鞘炎でリサイタルを中止せざるを得ない」という連絡が入った。腱鞘炎というのはおそらく口実だろう。ホール側がロシア人であることを理由に独断で中止とした可能性も強いが、実際のところはわからない。

フランスでは、ロシア人だというだけでコンサートを中止にするのは不条理として、支援の声が挙がっている。今週末にはロズリーヌ・バシュロー Roseline Bachelot 文化大臣が芸術分野に関する公式見解(つまり政府の見解)を発表し、ロシア国籍を理由に制裁を加えてはならない、と宣言した。同時に、ウクライナのアーティストと、体制に反対するロシアのアーティストを援助するために、特別財政を打ち出した。

スドビンがプーチンに対してどういうポジションを取っているのかはわからない。しかし、ホールのサイトに「中止」の文字もなく、該当ページそのものが消されているのは甚だ理解に苦しむ。スドビンのような優れた音楽家の活動の場所が奪われるのは、誰の利益にもならないからだ。

戦争が早く終わることを、そして一人一人が独裁システムを許さない賢さを得ることを、心から願う。

追記 3月15日午後、友人のピアニストが、スドビンは昨日と一昨日ミラノで弾いていたという情報をくれました。なので、腱鞘炎説は嘘と判明。

Photos © Peter RIgaud / Nikolaj Lund

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