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「あさりちゃん」の思い出

こんにちは。
ビクトリアブラディーヌと申します。

変わったハンドルネームでしょう?
一回名乗っただけでは大体覚えてもらえません。


しかしこの名前を見たとき、ピンときた方がもしかして少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。


この「ビクトリアブラディーヌ」という名前、漫画「あさりちゃん」から引用した名前です。

あさりちゃん60巻「名前を変えよう♡」にて、主人公あさりが自分の名前に飽きたから「ビクトリアブラディーヌ」という名前に変える、というお話。

そう。
私は「あさりちゃん」が大好きです 。

幼少のころから26歳で最終回を迎えるまでずっとあさりちゃんを読んでいたので、あさりちゃんと共に成長したといっても過言ではありません。
もはや「大好き」とかいう言葉では表せない、特別な存在。

今回は私のあさりちゃんに対する特別な想いを綴らせていただきます。

※ご注意※
後半、あさりちゃん最終回のネタバレを含みます。ご覧になりたくない方は途中までお付き合いください。


「あさりちゃん」とは

今こちらを読んでいる方であさりちゃんを知らないという方、おそらくいないとは思いますが、私なんぞが説明するなんて大変おこがましいことではありますが、簡単に「あさりちゃん」を紹介いたします。

あさりちゃん
小学館の学年誌などで36年にわたって連載された長寿漫画。
主人公は浜野あさりという女の子。
スポーツが得意で大飯食らい、勉強嫌いで漫画が大好き、元気で明るい小学4年生。

2歳上で秀才の姉・タタミおねーちゃんをはじめ、家族やクラスメイトとの間に起こる日常などが描かれているギャグ漫画。

サザエさん方式なので、あさりちゃんは年を取らない永遠の小学4年生である。(しかし中学生や高校生、保育士になった番外編も存在する。)

ちなみに作者の室山まゆみ先生は二人組で、あさり&タタミと同じく2歳差の姉妹。
『二人組による1コミックシリーズ最多発行巻数(女性作家)』として、「あさりちゃん」はギネス世界記録に認定されている。

2014年、単行本100巻をもって最終回を迎えた。

内容は、基本的にはあさりが家庭や学校で巻き起こすドタバタした日常ギャグの漫画である。
しかし、中にはSF要素のある話やシリアスな話、時には景気について語る話や、さらにアダルトビデオだとかBLについての話などがあり、とにかくジャンルが幅広い。

世界ファンタジーを繰り広げる大長編も存在する。アニメ映画にしても良いくらいの壮大スペクタクル!
また、室山先生はもともとホラー漫画家志望だったそうなので、マジでトラウマになるのではというレベルのホラーエピソードある。

36年間も学年誌で連載されただけあり、流行り物などの時事ネタが豊富に取り入れられている。
たまごっちを欲しがったり「チョベリバ」とか言ってたり、「あさっちです」といって謎かけしたり、初期に松田聖子や光GENJIネタが出たと思えば終盤ではKis-My-Ft2の名前が出てきたり。
今もし連載していたら、あさりが「タピオカが飲みたい!!」とママに駄々をこねる話がきっとあるだろう。

さらに単行本では描きおろし漫画が毎度めちゃくちゃ豊富に収録されている。あさり達が高校生になっている「ハイスクールあさりちゃん」、室山先生の日常的な話やファンレターが紹介される「作者のぺぇじ」、さらに読者のイラストコーナーなど、ファンには嬉しいコンテンツが満載。
ちなみに自慢させていただくと、私もイラストが採用されたことがあり単行本に2度ほど掲載されている。うっしっし。

とにかく子供から大人まで、どの世代が読んでも楽しめるのだ。
本当に面白いんです。あさりちゃん。


しかし、あさりちゃんが好きだというと、だいたい言われるのは…

「なつかしい~!」
という言葉。

2014年に連載終了してしまいましたが、連載していたころは「まだやってるんだ!」と言われ…
連載終了してからは「そんな最近までやってたんだ!」と言われ…

こういう反応をされるのは長寿漫画あるあるかもしれない。あさりちゃんと共に時代を過ごしてきたファンにとって、この反応はちょっと切ない。

学年誌で連載していたということもあって、小学生の時に読んでいたという方が多いのでしょう。その分沢山の小学生をあさりちゃんは見送ってきたのだ。そう思えばとても素敵なことだ。


なお、私があさりちゃんを好きな理由は、面白いからというだけではない。

私とあさりちゃんは、沢山共通点があるのだ。

・父・母・姉・自分の4人家族
・姉が2歳上。父と母の年齢もほぼ同じ。
・姉は賢くて要領が良いため両親から厚い信頼を寄せられ、自分は家族の中でダメな子扱いされている
・背が低く、身長順ではいつもほぼ先頭
・漫画が大好き。将来の夢が漫画家(小学生当時)
・あさりと同じ4年3組。
・さらにタタミと同じ6年2組
・勉強が嫌い、特に算数が苦手
・声がデカくて騒がしいため、周りから野獣扱いされる

リアルな友達でもここまで共通点がある人っていないのでは?
周りの友達からよく「おまえはあさりちゃんみたいだ」と言われていたものだ。

ちなみに私はあさりより姉のタタミが好きだったので、当時そう言われもあまり嬉しくなかった記憶がある。
私にも2歳年上の姉がいて、姉の持つ物、着る服すべてが羨ましく感じていたということもあり、自分と同じ「妹」という立場のあさりではなく、姉であるタタミに憧れを抱いていたのだと思う。

兎にも角にも、私にとってあさりちゃんはただの漫画作品ではなかったのだ。


変わりゆく“あさりちゃん”

「あさりちゃん」という作品は全巻通して大好きだが、主人公あさりに関しては、好きな時と嫌いな時がある。あさりちゃん、およびタタミおねーちゃんは、巻数によって少しずつ性格が変わっているのだ。

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初期はいじめられっ子という設定だったそうで、ママやタタミに意地悪されて泣いている描写が多い。
しかし、「今日から男になる!」といって野生児化したり、町中を走り回ってマラソンが得意になったり、徐々にあさりはママやタタミに対抗できるほど強く進化していく。そうして、あさりの「スポーツ万能で元気な子」というキャラクターが確立される。

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20巻ぐらいから、あさりの頭の悪さに拍車がかかる。
初期からもともと勉強に関しては落ちこぼれという設定だったが、「森」とか「空」とか「山」など小学1年生で習う漢字すら読めなくなっている描写がある。
さらに野獣化も進んでいき、「桜貝小(あさりが通う学校)の野獣」と呼ばれ学校中の人たちから恐れられるようになる。

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30巻くらいのころ「あさりちゃん」は少女誌で連載していたらしく、絵柄や作風が少女漫画寄りになる。一人称が「わたし」から「あさちゃん」になり、相変わらずの野獣っぷりながらも女の子らしさが出てくる印象がある。

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40巻くらいのあさりは性格が悪い。自己中心的で無神経、クラスメイトからもやや嫌われ気味である。
ティッシュで作ったミサンガが切れるたびに「ミサンガが切れたから!!」と言って学校でワガママを言い通したり、幼馴染の男の子と体が入れ替わった話では彼の貯金を勝手に下してシルクのワンピースを買ったり、なんでやつだと思わざる得ないエピソードが多い。

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それに反し、今まであさりと同様に野獣扱いされていたタタミが「賢くて利口なお姉さん」という位置づけになり、学校中から支持されるような存在に。なんと女の子から告白されるという話もある。この頃からタタミファンが急増していく。

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50巻ごろ、あさりはちょっと賢くなる。当時「小学6年生」などの高学年雑誌で連載していたためか、少し大人びた話が多い。
「200X年には消費税が10%になる!」と増税をピタリと予言していた話や、不景気について考える話、パパの持つ無修正アダルトビデオをどうにか見ようと画策する話などがある。子供にはちょっと難しい話が多いけど、高学年でマセた小学生の描写がとてもリアルで、私はこの辺りが1番好き。

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60巻ぐらいになると、それまでほとんどモブ扱いしていたクラスメイトたちのキャラクターが確立していく。
今まで学校でのエピソードといえば、イヤミを言うタカビーキャラの子と喧嘩になったり、違うクラスの幼馴染にワガママを言って迷惑をかけるなど、ロクな友達付き合いをしていなかったあさりだが、特定のクラスメイトと遊んだりするエピソードが増えていくのだ。

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そのため、今まで暴力で物を言わせ自己中心だったあさりが人の気持ちを考えられるようになり、「いつもワガママ、だけど根はいい子」という漫画の王道とも言うべき天真爛漫なキャラクターへと成長する。
そうして、70~80巻ぐらいにかけてあさりは「クラスの人気者」という位置づけになった。評判が悪くて周りから恐れられていた40巻前後を思えば、かなりの進歩である。

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90巻から終盤にかけては、「小学二年生」の低学年誌のみで連載していたためか、あさりの幼児化が進み、より低年齢向けの作風になっている。
そしてこれまでずっと「利口なお姉さん」ポジションだったタタミも、あさりと一緒に騒いだりふざけたりして子供らしい一面を取り戻している。
全巻通して姉妹仲が一番良いのは90巻代なんじゃないかな。

このように全100巻を通し、あさりやタタミの性格は時間の経過とともに少しずつ変化している。

36年も連載してりゃ作風や絵柄がちらほら変わるというのは当たり前のことだけど、あさりやタタミの場合は「作風」が変わっているというより、まるで「成長」しているようだ。

しかも「最初は悪い子で、どんどんいい子になる」というだけの模範的な成長ではない。
一時期性格が悪くなったり、大人びたかと思えば子供らしさをとりもどしたり、彼女たちの性格には波がある。

その波が、とても人間らしく感じるのだ。

みんな誰だって性格には波があるんじゃないだろうか。昔はポジティブだったのに今はネガティブになってしまったとか、昔は怖かった人が今は優しくなったとか。
そのため、このあさり達の変化はまるで身近な人間の成長を見ているようだった。

私は「あさりちゃん」を読んで成長したけど、それと同時にあさりやタタミも、私たちと一緒に成長したんだと思えた。
だからこそ私は「あさりちゃん」は漫画として好きというだけでなく、あさりやタタミが友達として好きだったのだ。


1年間に及んだ「あさりちゃん」全巻収集

「あさりちゃん」との出会いを、私は覚えていない。
小さい頃に姉が「あさりちゃん」を何冊か所持していたため、気が付いたら私は「あさりちゃん」を読んでいた。当時は姉に隠れてこっそり読んでいた。

そして私があさりちゃんと同じ年になった小学4年生のとき、姉が「あさりちゃん」をくれたのだ。
巻数がまばらな12冊を譲り受けた。

「やった!これで大好きな『あさりちゃん』が私のものになった!!」
という嬉しかった気持ちと同時に、

「貰ったからには全巻揃えなければ…」
そんな使命感が芽生えたのであった。

当時1997年。
このころ「あさりちゃん」は55巻くらいまで出ていた。
小学4年生が漫画55巻全部揃えるって、まぁまぁ大変なことである。

今ならAmazonなどでポチってしまえば容易なことだが、当時はネットショッピングなんてメジャーではなく、ましてや小学生がとても利用できるものではなかった。
大人買いできるようなお金も、もちろん無かった。

当時のお小遣い、月600円。
私は少ないお小遣いと貯めていたお年玉を握りしめ、行ける範囲の本屋や古本屋を回り、1冊1冊収集することにした。

しかし、そんな私の行動に難色を示す人物がいた。

父である。

私の父は、ドラゴン●ールや幽遊●書などの少年漫画アニメを「暴力的だから見るな!」と観覧禁止にさせたり、ご飯を食べるときはいつも正座させたり、少しでも口答えするとゲンコツやビンタを喰らわし家の外に放り出したり、いつも昭和気質ぶっていて「堅物ジジイ」という姿勢を貫いていた。

そんな父だ。当然のように
漫画なんか読むな!捨てろ!
と何度も口にしていた。

そのたびに私は
「漫画は勉強になる。あさりちゃんのおかげで分数の計算がわかるようになったし、春の七草だって覚えた!!」
といって対抗するのだった。

父はいつも呆れ顔だったが、それでも私はあさりちゃんを何が何でも集めたかったのだ。

そうして私のあさりちゃん収集は続く。

小学生が行ける範囲なんて限界があったが、知っている限りの書店に繰り返し何度も足を運び、私は地道にあさりちゃんを集めていった。


そして月日は流れ、1998年。
収集開始から約1年が経った。私は小学5年生になり、あさりちゃんの年を超えた。

努力の甲斐あって、私はほぼ全巻の「あさりちゃん」を集めることができたのだった。

ほぼ…。

1冊だけ、どうしても見つからなかった。

今でも忘れない、46巻。

当時のファンアンケートで「好きな表紙ランキング」1位になった華やかな表紙の、46巻。

「あと1冊で揃うのに…」

本屋に行って「あさりちゃん」を探し、46巻が置かれていない棚を見るたびに涙目になりもどかしい気持ちで一杯になっていた。

今になれば「本屋で取り寄せろよ」と思うのだが、当時は知識が乏しく取り寄せるという発想が無く、なにより1冊1冊本屋で「あさりちゃん」に出会って購入したい、という気持ちが大きかった。 


しかし、衝撃的な出来事が起こるのであった。


ある日、相変わらず堅物ジジイである父に、「こっちに来なさい」と呼び出される。

そして1冊のカバーがかかった本が手渡された。

本嫌いだった私に文庫本を買ってくることがよくあったので、『またいらない本を買って来やがった…』と思いながらカバーをめくった。


そう。
まさかの「あさりちゃん」46巻だった。


いつも「漫画なんか捨てろ」という父が、私のためにラスト1冊を買ってきてくれたのだ。

とても信じがたい出来事である。

いつも私が興味のない文庫本などしか買ってこない父が、漫画を、しかもギャグ漫画を買ってきた。

『そんな馬鹿な…』

「ありがたい」という気持ちよりも「なにかの間違いでは」と混乱してしまい、ろくなお礼も言えなかった。

小さい頃はとにかく堅物だと思っていた父。
大人になってから気づいたが、厳しいのは外側だけで、根っこの部分は相当甘い『パパ』だった。

「漫画を捨てろ」と何百回も言われたが、実際に漫画を捨てられたことは1度もなかったのだ。

「娘を甘やかしたい」という気持ちと、「厳しく躾けなければ」という気持ちを葛藤させながら私を育てていたのだろう。

最後の1冊がどうしても見つからないと落ち込んでいる私に、父として良い恰好を見せたかったのかな、と思う。
今思えばとても父らしい行動である。

後に私は盛大な反抗期を迎え、10代の間は父とほとんど口をきかない生活を送ることになるので、この「あさりちゃん46巻事変」は私にとって父との1番の思い出の出来事になるのだった。

父よ、20年以上経った今更だけど、この場でお礼を言います。本当にありがとう。
(これ読んでないけどね)


こうして、1年間かかってようやくあさりちゃん全巻を集めることができたのだった。

姉の留守中にこっそり読んでいた4巻、
表紙を無くして買いなおした38巻、
父が買ってくれた46巻、
初めて自分で買った54巻、
表紙と話が一番好きな57巻、
自分のイラストが掲載された83巻…

地道に長くかかって集めたおかげか、
「あさりちゃん」1冊1冊にそれぞれの思い出が詰まっている。


「あさりちゃん」最終回への想い

月日はさらに流れ、2011年。
私は24歳になり、あさりちゃんは96巻まで発売されていた。

そしてこの年に、衝撃的なニュースを目にする。

“「あさりちゃん」100巻で終了!”

学年誌「小学三年生」「小学四年生」の休刊が決定。今後「あさりちゃん」は「小学二年生」のみでの連載となり、単行本100巻を以って「あさりちゃん」が終了する、と作者の室山先生が発表したのだ。

「室山先生が生きている限りあさりちゃんは終わらないんだろうなぁ~」
ずっとそんな風に思っていた「あさりちゃん」が終わるという、あまりに衝撃的すぎるニュースだった。

「もうすぐ100巻だ~!」というお祝いムードから、「あと4冊で…終わってしまう…」と、まるでお通夜のような心境になってしまった。

私にとって身近すぎるあさりちゃんが終わりを迎えるということを、どうしても想像ができない。

本当にショックで、一晩泣き明かした。

「なんで??なんであさりちゃん終わっちゃうの??」

「ずっと友達だったあさりちゃんがいなくなるなんて…なんで…?」

長年一緒に成長し、今までずっと友達だと思っていたあさりちゃん。
これからもずっと共に過ごせる、終わりなんかないものと思っていたあさりちゃん。

それが「結末を迎える」ということで、

「あぁ、あさりちゃんって私たちと同じく『生きてる』って錯覚してたけど、やっぱり物語のキャラクターだったんだな…」

と感じてしまった。

そんなダメージを抱えながら、あさりちゃん終了へのカウントダウンが始まったのだった。

この頃からあさりちゃんは「小学二年生」のみでの連載になったため、今まで4か月に1冊出されていた単行本が、97巻が出るまで6カ月、98巻が出るまで8カ月、と出版のペースがだんだん遅くなっていった。

それはまるで、あさりちゃん自ら終了を惜しんでいるようだった。

そんなゆるやかなカウントダウンが、夢だと思いたい「あさりちゃん終了」という事実に、より一層現実味を持たせていった。


そして、あっという間に時は過ぎ、
ついに2014年2月。

あさりちゃん最終巻、第100巻発売。

なんと表紙は、1巻の表紙を踏襲したイラストだった。
1巻と同じ服で、おなじポーズ。さらにバックにはあさりちゃんの家族全員が描かれている。
それを見ただけでも感極まって胸がいっぱいになった。

表紙の「100」という数字を目にして、感慨深くなった。最終巻とはいえ、やはり「100巻」に到達したということに達成感を感じて嬉しさがこみ上げたのだった。


※※注意※※
この先、最終話のネタバレがあります。


「あさりちゃん」は50巻を迎えたとき、かなりの量の描きおろしが収録され盛大なるお祝いムードだった。

今回はなんといっても100巻。で、最終巻。

「50巻の盛大さをはるかに上回る特別な内容に違いない…」

そんな期待と、

「読んだらあさりちゃんが終わってしまう…」

そんな不安が織り混ざりながら、100巻を読み進めた。

「…あれ??」

内容は予想に反し、100巻であることや最終巻であることを強調した話は無く、他の巻と変わらない、いつもの「あさりちゃん」だった。

「思ってたのと違うな。どうして…?」

そしてどんどん読み進め、いよいよ最終話。
タタミが卒業式を迎え、あさりが5年生に進級する旨を示唆してあっさりと話が終える。

最終回らしさなど微塵も無く、あまりにも日常的で普通な最後だった。

そして最後に、こんなメッセージが書かれていた。

中学生、高校生、保育士に
なったこともあるあさりですが、
基本的設定は、
永遠の四年生。
そんなあさりが五年生になります。
だから「あさりちゃん」は、終わるのです。
※出典:室山まゆみ「あさりちゃん」100巻(2014年 小学館)189ページ

こうして、あさりちゃんは幕を下ろした。


この終わり方、読んだ方からは賛否両論ある模様。

「もっとちゃんとした終わりが見たかった」
「オチをつけるべき」

などという声もある。

しかし、私はこの終わり方がとても嬉しかった。

今まで読んでいた「あさりちゃん」という話は、小学4年生の浜野あさりという少女のお話。
そのあさりが進級し、4年生ではなくなったから「あさりちゃん」という物語は終えた。

「なんであさりちゃんが終わってしまうの…?」という私の疑問に対して、「あさりが進級するからです」と、明確な答えを出してくれたのだ。

あさりちゃんに結末を迎えさせない、という室山先生による意思表示に感じた。

そのため室山先生は36年間止め続けていた時間を動かし、あさりを本当の意味で成長させたのだ。

こんな素敵な終わり方ある!?


100巻を読み終えて、私は泣いた。

ああ、やっぱりあさりちゃんは生きているんだ…
室山先生は「あさりちゃん」という物語を描いていただけではなく、「浜野あさり」というキャラクターを生かしていたんだ…

いままで、「あさりちゃん」が終わりを迎える悲しさでいっぱいだったのに、むしろあさりの成長を目にすることができて、嬉しい気持ちになれた。

そして、思った。


「すぐ続編出るな。」


こんなにもあさりちゃんを愛している室山先生が、続編を描かないわけがない。そう確信できた。
そして寂しさなんかどこかへ飛んで行ってしまい、5年生になったあさりに会える日が来るのが楽しみになった。

室山先生、素晴らしい終わり方にしてくださって、本当にありがとうございます。


そして、最終回から2年後の2016年。

あさりちゃん続編
あさりちゃん5年2組」発売~!!

ほらね~!!

わかってたよ室山先生!!
さすがです室山先生!!!

クラスメイトや担任が変わり、タタミと学校を離れて新生活が始まった「あさりちゃん」である。5年生になったあさりに会えたのだ。

その後も、出るわ出るわ増刊号!
最高かよ~~~~!!

「あさりちゃん」の連載は終えてしまったものの、新作を載せた「あさりちゃん」増刊号を不定期で刊行してくれているので、今でもあさりに会うことができるのだ。

さらに、2019年8月

あさりちゃん、なんとtwitterアカウント開設!!

あさりちゃんがより一層身近に!!

変なこと呟いたらママやタタミに怒られるぞ、あさり!!

そして、この文章を公開している本日9月27日。
あさりちゃんの誕生日である。

「あさりちゃん」が始まって、41回目の誕生日!!
そしてあさりちゃんが5年生に進級して5回目の誕生日!!

おめでとう!あさりちゃん、おめでとう!!!


「生活まんがに結末なし」と仰っていた室山先生。

「あさりちゃん」という物語は終わったけど、あさりちゃんは生きている。
あさりちゃんというキャラクターは永遠に終わることは無い。

これからもずっとずっと

あさりちゃんは私の友達です。


おわり

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