ドゥルーズと生成変化

ドゥルーズと生成変化

ジル・ドゥルーズの思想の核心には、生成変化への賛美がある。彼は世界を静的な実体の集合ではなく、絶えず変容しつづける動的なプロセスとして捉えた。この発想は、伝統的な形而上学が想定してきた不変の本質や同一性という観念を根底から覆すものだった。

ドゥルーズが説いたのは、世界を生成運動としてとらえるリアリズムである。物質も生命も、意識さえもが、固定された実体ではなく、可塑的な力の場なのだと。そこには中心も永遠の本質もない。ただ変容の渦が常に新しい諸相を生み出してゆく様が存在するのみなのである。

こうした生成変化の実在性を見抜いたドゥルーズは、存在を単なる受動的対象ではなく、つねに活動的に生起するものとして捉え返そうとした。彼が重視したのは、生成をひきおこす「出来事」やその変容の契機としての「強度」の概念である。

出来事とは私たちを揺さぶり、定住を拒む衝撃的な出来事のことだ。それは常に生成の運動を加速させる。そしてその変化を駆動する力が強度である。物質や意識の諸々の強度の交差が新しい生成を生み出すのだという。

さらに、生成変化に身を任せることの重要性も説かれた。主体がその揺らぎと変容に開かれていく時、新しい様態が姿を見せる。アイデンティティは脱中心化し、別の主体化の過程へと移行する。つまり、生成変化が個体化するのであり、それが真の実在なのだ。

このようにドゥルーズはダイナミックな生成の渦を讃え、そこに存在の実相と可能性を見出そうとした。彼の思索は、変化に身を任せることで、常に新しい地平が切り開かれることを示唆している。伝統的な観念性や同一性からの離脱が、かえって生の創造的な多様性を生み出すというわけだ。

今日、加速する社会変化の只中にあって、ドゥルーズの生成変化の思想は、改めてその深い洞察を発揮しているように思われる。流動化と不確定性が増す世界にあって、生成の渦へと身を漂わせる知恵が、いよいよ必要とされつつあるのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?