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当たり前ではない日常に辿り着く
気づけばオランダに来てから半年が経つ。
何かを成そうとする姿勢の癖が抜けない私は、まだ何者にもなってない、人に語れるようなことは何もないと思いながら過ごしていた。
でもこの半年を見てどうだろう。
実は日本では出来なかったことができていたりする。
例えばこの半年間、”生活している”ということだ。
私は聴覚過敏のため様々な音が同時に飛び交う日本のスーパーでの買い物は苦痛でしかなかった。それに加え視覚情報も多く、過剰なパッケージデザインや店内のポップが追い打ちをかけるように私の足を遠のかせた。
そのために所謂自立した生活を営むことが難しく、両親に頼った生活しか出来ずにいた。
しかしオランダでは平然と買い物へ行ける。オランダのスーパーは質素で静かだ。街にも看板は溢れておらず、駅のホームや家電が突然歌い出すこともない。人もみな自分にフォーカスしていて互いに干渉しない。”人の目”と言うものを気にする必要もない。ただ自分がどうあるかであり、どうありたいか、それだけだ。
誰かが繊細な人ほど日本国外での生活が向いていると言っていたが、過敏(繊細ではない)な私でも確かに生きていけている。(少なくとも今のところ)
この半年は瞬きのスピードで過ぎて行った。
ただ毎日何かに幸せを感じて、気づけばありがとうと感謝を言い続けている。
これが“生活”と言うものなのかもしれない。
冬の入り口で外は冷たい雨が降っている。
部屋の角のオイルヒーターにへばり付きながら、あぁ身体を温めてくれるなんて幸せと思いながらこれを書いている。
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