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イタリア人女子学生と暮らしの始まり🇮🇹

さて、いよいよイタリア🇮🇹 飛行機✈️はローマ レオナルド・ダ ヴィンチ空港へ着いた。
夜着く便で、緊張したものだ。(照明が暗いし)
当時は「地球の歩き方」を何回も読み直し空港から、白タクの「ぼったくり勧誘」に乗らないように、注意深く安全なタクシー乗り場へ行き、ともかくローマ市内へ向かう。
今では、特急列車が便利でローマ テルミニ駅まで直通。途中に、見出し画像の「コロッセオ」が見えてくると、その存在感が巨大で「あ〜ローマに来たんだ〜」 と感慨深くなるものだった。

わたしが最後にローマに行ったのは2019年なので、その時イタリアは 列車は全てオンライン決済で済ませていったので長い列に並ぶ事もなければ、チケット窓口で ぼったくられることも無い。ホント、前と比べたら雲泥の差。2000年から大変革し、テルミニ駅構内も明るくなり、セルフサービスの軽食も、スーパーも、薬局も入ってるので、便利になった。

時は戻って、まだ23歳のわたし、リュックに荷物を詰め、スーツケースを持ち ローマに着いた翌日に、目的地の
シエーナというトスカーナ州まで直通のバスで向かう。3時間のバスの旅。

さて、いよいよこれから慣れないカタコト、イタリア語でどこまで通じるのか、未知との遭遇だったけど、怖いもの知らず、若さのパワーってすごい。なんとかなる気まんまんであった。とにかくここで、生きてく!という気概だけ。
今じゃ情報がありすぎてかえってこわい。

ローマからの長距離バスが停まる場所から市内の眺めは最高!糸杉はトスカーナ地方のシンボル

何しろ音楽のレッスンを受けるにせよ、イタリア語で困らないくらいにはならないとお話しにならない、夏からの授業(外人のみ)に備え5月に来た。2か月かけて生活に慣れるため。先ずはシエナ外国人大学に、手続きを行い、街の中心、大学に近い場所で イタリア人の学生の住んでるアパートに間借りすることまでとりつけた。

中心街ロッシ通り



学生の住宅事情: アパートといってもシエナの中心街は歴史保護地域で、外装は変えてはいけない法があり、日本でいう一つの区画が5LDKくらいの大きさで
室内はもちろんリフォームされてる。そこで学生同士が個室をそれぞれシェアしていた。
家賃として(電気代、電話代は別) 円で4万くらいだった。

初めて住んだアパートの外扉

2人のイタリア人大学生がすでに居るところにお邪魔することになった。

さて、イタリア人学生女子との生活の始まり。さて...彼女たちってどんな暮らししてるのか...,部屋は個室だけどキッチンは共同。
すごく真面目な感じの女子、ひとりは法律学部、ひとりは文学部。歳はだいたい同じ。南イタリアと、中部イタリアから来てるという大学生。
イタリア暮らしのはじまり、はじまり。

先ずは、イタリアの朝、昼、夜について。

朝☀️:【午前中とはイタリアでは13時までを指す】
イタリアの朝は早い。午前中が勝負、最近は「昼休み」の制度がなくなりつつあり銀行、郵便局、小売店、などもそのままオープンしてるが、1990年代は午後の1時半から3時半位までは閉まってた。土曜は朝のみ、日曜日は店はほとんど閉まってた。(今は変わって大型ショップなどは開いてる)
なにかと、事務手続きなどは恐ろしく非効率(日本と比べるとね) で朝のうちに行かないと午後からでは意味をなさない事が多い。

昼🍽️: イタリアでのお昼時間、昼休み?!
           は13時半からが一般的。典型的イタリア人は朝は、☕️ と🥐とかビスケットの類だけなので、昼はしっかり目にとる。食に関しては話題豊富にあるので別途記事に書こう!
イタリア人の食のスタイルで重要なのは、
順番! 食に関してすごい保守的だった。
ちなみに私がいた頃は、電子レンジはまだ家庭には普及してなかった。オーブンはあったけど。

夜🌃: 一般的な会社は18時位まで、そのあとの集まり、例えばパーティーのような集まりとかは、20時、20時半開始が多い。そして、帰宅して仕事の服装から着替えて集まりへ行くのがたしなみ?!彼らは、朝、昼、夜、のTPOで服装を変えている。それがオシャレみたいな感じ。
ちなみに普通の家庭の🍽️夕食も20時以降。
で、夜は一般的に軽め。

イタリアという国🇮🇹は地方によってほんとに違う面があるということ。たぶん、南と北ではいろんな差があるし、私が住んだシエーナという街は小さな保守的で観光が盛んな
地方都市なので、ローマやミラノといった大都市とはちがうことがあるけど、暮らしのスタイルではけっこう小さな驚きがたくさんあった。想像していたより保守的で伝統が色濃く残っているのを感じたものだった。

次回は具体的に、驚きポイントを書いてみます。


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