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浪費、綺麗事、使命 『暇と退屈の倫理学』から考える

誰もが暇のある生活を享受する「自由の王国」が来ることは大変望まれる。


『暇と退屈の倫理学』國分功一郎著。2011年10月初版。朝日新聞社。をこの度読みました。

 何かをしなければならない。と人に思わせる退屈。これは、退屈もありつつ楽しみもありつつという状態から移行してしまったものだ。日常は退屈かつ楽しみがあるというのが日常なのだ。それでいいのだ。日常に楽しみを見つけて味わう訓練をしよう。

ざっと読んだ感じはそんな感じです。

國分先生も「結論だけ読んだ読者は幻滅するだろう。しかし過程が大事なのだ。」と書いています。

序章から結論まで9章建てです。すごくスッキリとした味わいです。わかりやすく書かれています。ハイデッガーの退屈の3形式を用いた上でそれを批判し、退屈の第二形式に留まることを推奨している。

しかし、正直、全部読んでから結論まで辿り着いても、幻滅しないということはない。以下は本を読んでの雑感です。

浪費

國分先生は観念を追いかけるような消費ではなく、モノを味わう浪費社会を夢見ている。消費は終わらない。消費は人を幸せにしない。かえって浪費こそが人をある満足に到達させる。

たとえば美容商品。人は美の観念を追いかけるがゆえに、決して終わらない消費へ駆り立てられる。

一方で、江戸時代における庶民のような浪費は人を満足させる。それは頭の悪いお金の使い方と裏腹のもの。江戸の庶民は、食うものに困ることもあるし、税も子どもの塾代も払えるかわからないのに、長屋の中にはオモチャでいっぱいだったと見られる。

江戸時代には宵越しの金はもたねぇ!粋な人が本当にたくさんいた。日雇いで得たお金を本当にその日に使ってしまうことがいくらでもあった。一方でサムライはというと大抵つまらない人が多かった。こういう浪費をする馬鹿な庶民を見下している。

綺麗事

國分先生は、本書でコジェーヴを批判している。

コジェーヴは、アメリカ人は動物だと考える。歴史の終わりにおいては、人はモノやイベントを気晴らしにパァっとやるだけのアメリカンウェイに浸ると考える。歴史や宗教に裏打ちされた使命ある人はいなくなると考える。

國分先生はそれの何がいけないのかと問う。

むしろ、

「この社会を革命せねばならない。世界はこうならねばならない。」

的な歴史的使命や宗教的信念をもつ人々のほうがオカシイではないか?。コジェーヴはテロを煽っているのではないか。先生は、ハイデッガーの決断べき論のような、何かを決めてかかる態度を批判する。

この態度の背後には、リベラルの限界かつ極地的考えであるところの「人を殺すの良くない、戦争ダメ絶対」という、あの綺麗事の臭いがプンプンしている。

本書は、ボンボンリベラル感が非常に強い。ここあたりが国分先生の限界のような気がします。そのくせ、あらゆる信念から距離をとろうとするニュートラリズムは、「べき論だけはマジムリ」という信念に対する邪険の信念を持っている。歴史的使命や宗教的使命を邪険にすることで、自分を中立化し、自らの攻撃性の隠蔽を行う。リベラル思考のダブスタが潜んでいる。

使命

国分先生のような日常が退屈と楽しみとの繰り返しであることが通常で、そこにとどまることを良しとするような人間は恵まれている。それは本書でも先生が確認されています。いまだ地球上多くの人が困窮の中にある。しかしながら先進的な国の人間の生においても、事実、日常は退屈と楽しみだけで構成されていないわけですが。

さて、ニマリとさせる希望ある文が本書の最後のほうに出てきます。

退屈さと気晴らしが入り交じった生、それが人間らしい生であった。だが、世界にはそうした人間らしい生を生きることを許されていない人たちがたくさんいる。(略)誰もが暇のある生活を享受する「王国」、暇の「王国」こそが「自由の王国」である。誰もがこの「王国」の根本的条件にあずかることのできる社会が作られねばならない

356p

誰もが暇のある生活を享受する「自由の王国」が来ることは大変望まれる。私自身もっと暇が欲しい。しかしながら、今この地球上にあるのは、お金があるにしたがって、暇も大きくなるという資本主義。そして、それは「誰もが」享受できるものではない。しかし、今これ以外の経済体制はどんなに頭の良い人にも思いつかない。

残念なことに、たくさんの人たちを巻き込んでこの社会から出られる力をもつ人たちというのは、成り上がり有閑階級なんかではない。自由の王国の扉は一部の人に開かれ、それ以外には閉じられてしまう

今日その力をもつように見える人、つまり共同体全体をある方向へと向かわす指揮力ある者とは、國分先生の嫌った歴史的使命や宗教的使命を持っている人たちを指すように思えてなりません。いくつかの国において、そのような階級は、すでにずっと後方の歴史で消え去った人々。もう帰ってこないでしょう、、、。

IMAGE BY David Mark FROM Pixabay




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