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地方の自衛隊から東京の企業へ転職する際の進め方(no.13)

プロフィール
山川 滉平さん
現職:ミイダス株式会社 インサイドセールス
自衛隊在職時最終役職:陸上自衛隊三等陸曹

経歴

ーー本日はお忙しい中、退職予定自衛官、元自衛官のキャリアを考えるインタビューにご対応いただきありがとうございます。まず、山川さんの経歴を教えていただけますか。

山川さん:僕は、自衛隊の高等工科学校(59期)を卒業したのち、第2陸曹教育隊(仙台)に進み、機甲科に配属されました。機甲科に配属されてからは、TRSC機甲生徒4期(富士)で教育を受け、第9偵察隊(弘前)で勤務していました。

その後、2020年3月に退職し、弘前から東京に来て、現在はミイダス株式会社の営業をしています。ミイダス株式会社は、転職希望者データから自動で転職市場での自分の年収やキャリア等の価値を出し、転職する際の自分の価値を客観的に見られ転職活動に活かせるサービスを提供している、いわゆるHRテックの会社です。

ーー経歴の中からまず自衛隊に入隊された背景と在職時の職務内容を教えていただけますでしょうか。

山川さん:父が元自衛官だったこともあり、幼い頃から自衛隊のイベントに足を運んでおり、父の仕事に誇りを感じていたため、当然のように自衛隊入隊を考えていました。その為、高等工科学校の受験は中学1年には受験を決断していました。その後、無事に高等工科学校に入学、自衛隊でのキャリアを進みます。

機甲科に配属されてからは、主に斥候陸曹と87式偵察警戒車(RCV)の操縦手でした。仙台にある基礎英語課程に行かせてもらい英語教育を受講した経験もあります。

ーー高等工科学校はかなり厳しいと聞きますが、自衛隊在職中の思い出・エピソードを教えていただけますか。

山川さん:高等工科学校ではドリル部という儀仗隊に入部し、1年生の頃から大変な練習、訓練を課されながらも気合でこなしていました。儀仗隊とは天皇や皇族、高官、外国の賓客など偉い方々の儀礼や警護のために仕事をするのですが、厳しい練習を潜り抜けた甲斐があって、新人ながら自衛隊観閲式のメンバーに選ばれました。卒業までレギュラーで銃を回すメンバーで、3年時は、チームリーダーをさせてもらえたため、大変充実した学生生活を送れたものの、大変な練習量なので、学業に響くこともあり、そこの両立も自分を成長させてもらえました。

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自衛隊の斥候スキーの辛さ

また、配属された偵察隊では、冬季にスキーの訓練があります。ただ、スキーといってもゲレンデではなく、長距離を雪が降る中永遠、平地を滑走したりとかなり体力勝負でしたので、スキーは正直嫌いでした。アルペンスキーの経験者なんですけど、それでも自衛隊のスキーはしんどかったです。ただし、他の人が嫌がる斥候はむしろ好きで、自分の相性にもあっていましたね。地図読むのも得意だったし、体が身軽な方なので適職だったんだと思います。

僕が与えられているメインの仕事は、87式偵察車の操縦だったのですが、87式というくらいですので、30年のヴィンテージ付きで、これから先こんな癖の強いマニュアル車乗ることないだろうというくらい古い車の運転が大変でした。しかも室内も大変狭く、視界も取りづらいので、よく地形にハマってました。ただ、仲間も助けれくれるし、車は古いんですが、手間が掛かる分、愛着が湧いてくるんですよね。

振り返ってみると伝えきれない経験をたくさんさせてもらいましたが、総括すると一番は人に恵まれたと思います。先輩後輩に限らず、勤務地の弘前でもいろいろな方々に助けてもらい本当に感謝しています。

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ーー再就職に関して、質問をします。まず、なぜ自衛隊から民間企業へ再就職されようと思ったのでしょうか。

山川さん:退職にあたって、さまざまな考えや感情があり、大変迷いに迷って決断しましたが、理由は大きく2つになると思っています。それは、好奇心と恐怖心です。

好奇心は、今後の長い人生を考えた際にやりたいことは自衛隊だけじゃないと思ったことでした。当然、親や世間からは非常に反対を受けましたが、反対を押し切って辞めることになりました。

隣の畑が青く見える、じゃないですが自衛隊の外側が青く見えたんじゃないかともよく言われます。たしかに、高校から自衛隊に入り、一般の人たちが行っている大学時代も血と汗の「赤春」でしたから、民間の青春が青いどころかオーシャンブルーに見えたのも事実です。ただ、一度の人生ですし、後悔しないようにしたかったですね。

そして、どちらかといえば二番目の理由、恐怖心が決意の大きな理由です。これは自分が自衛官としてキャリアを全うしたときの将来から来るものでした。

特に自衛隊の諸先輩方は定年を迎える前に、ほぼ皆さん、再就職活動が始まりますね。彼らは言い換えると僕のロールモデルなわけです。ただ、ここには世代間の大きな落とし穴がある気がしていました。

失礼を承知の上ですが、現在もしくは近年退官される方々は、55歳で定年を迎えたとして、年金、厚生年金、退職金が支給される60歳までの5年間、繋ぎで就職さえできれば極論いいんです。

しかし僕らはこの先約40年もの期間が残っています。社会の変革は短期的になっているし、年金も今後国の財政上適性に支払われるか、わからないことやむしろ人生100年時代とも言われているほど寿命が延びることで自分で、生きる術をあらゆる方面から知っておかなければならない現代に生きています。

未来のことなんて誰もわからないですが、はたして公務員は本当の意味で安定しているのか?残りの長い人生を自衛隊に投資して後悔ないか?と考え、挑戦したいと思い退職を決意しました。

退職する決心をするのは一瞬でしたが、周囲の承認を得るのは本当に時間を要しましたし、その間、相談できる人たちもあまりいなかったため、不安や悩みは尽きなかったですね。

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地方からの転職はインターネットを使ってどんどん情報収集するべき

ーー2つの理由が明確ですね。転職する再就職時の就職情報収集、スケジュール、準備等必要だったと思います。どのようにされてましたか。

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