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認知の癖①丨べき思考

人が物事を捉えるときの認知には癖がついているという話をしました(その記事はこちら!)。今回はその中でも獣医師・動物看護師に多い(…と佐々木が考えている)「べき思考」についてです。

僕が「認知の癖」と表現しているものは、認知行動療法の専門用語で「認知のゆがみ」、「推論の誤り」と呼ばれています。


「べき思考」とは

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その名の通り、「●●すべき」、「●●のようにあらねばならない」、「●●すべきではない」という思考を指します。我々の社会はさまざまな「べき」で溢れています。

「人に迷惑をかけるべきではない」

「社会人たるもの、こうすべきである」

「男性なのだから、女性なのだから」


とりわけ動物病院は「べき思考」が育ってしまいやすい職場環境にあると僕は考えています。なぜか。「動物の健康・命を守る」という非常にシビアな使命があるからです。当然、理想の姿は高く、禁止事項は多くなるでしょう。

「動物病院スタッフはいついかなる時も、自分を犠牲にしてでも動物を優先するべき」

「獣医師はどのようなコンディションでもパフォーマンスを発揮できねばならない」

「動物病院のスタッフは、プロとしていついかなる時でも平静を保たなければならない」

「飼い主は治療に全力をもって尽くすべき」

「飼い主は獣医師の説明する内容をしっかり理解するよう努め、指示に従うべき」


かつての僕も「べき思考」に支配されながら、そのことに自覚もなく毎日を過ごしていました。上にあげたのは、かつての僕が持っていた「べき思考」のほんの一部です。


「べき思考」の罠

べき思考に支配された人間はどのような傾向を持つのでしょうか。前提として、「べき思考」はうまく前向きなエネルギーに変わることもあります。「こうあるべき」という理想像に向かって努力していく、といったふうにです。前向きなエネルギーに変えられている間は、大きな問題はないでしょう。


しかし、その思考がひとたび不適応を起こすと(いつかそうなる場合がほとんどですが)さまざまな弊害を引き起こします。「べき思考」の対象が「他者」に向けられる場合と「自己」に向けられる場合で考えてみます。


他者に「べき思考」が向くと…

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「●●すべき」、「●●すべきではない」が他者に向けられた場合。その基準から外れた他者に怒りや軽蔑といった感情を覚えます。あなたは正義感に燃え、あなたの基準から外れた人を叱責し、説教をし、ありかたや行動を変えようとするかもしれません。

断言しますが、その試みは失敗するでしょう。他人を自分の望む方向へ変えることは誰にもできません。「いや、そんなことはない!変えられる!」と考える方もいることかと思います。そう考えているあなた自身が、人は他人を変えられない証明です。僕がいくら訴えてみても、あなたはおそらく自分の考えを変えることはないでしょう。

「人が変わるのはその人自身が「変わりたい」とどこかで願った時にだけ。」ベテランのカウンセラーの言葉であり、実証研究もそれを裏付けています。

そもそも万人に通用する「正義」、「基準」などというものは存在しないというのが現代心理学のスタンスです。つまり「絶対的に正しいべき論」は存在しないという考え方です。


自己に「べき思考」が向くと…

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「●●すべき」、「●●すべきではない」が自己に向けられた場合。その基準を満たせなかったとき、あるいは求める基準に自分が到達できないと悟ったときには自分への怒りや失望感、自己嫌悪、無力感といった感情が生じやすいです。

それらの感情をうまく前向きな行動に移せる方は、それでもいいかもしれません。しかし、それらの感情にとらわれて深く思い悩んでしまうことがあれば、その思い込みは変えることを検討してみましょう。


変えるべき「べき思考」とは

この章の見出しに何も違和感を抱かなかった方は注意が必要です。べき思考が無意識レベルにまで刷り込まれているといってもよいでしょう。

【変える「べき」べき思考】は存在しない、というのが僕の考えです。ただし、怒りや失望などの辛い感情のもとに「べき思考」があるのであれば、試しに別の考え方を取り入れてみることをおすすめします。

変えるか、変えないかはあなたの自由です。僕も辛い感情を引き起こすと自覚していながらあえて変えていない「べき思考」があります。

「手抜きや怠慢で動物に害をなすことはあってはならない」

これだけは臨床家としての信念と捉えて、あえて変えていません。この信念を変えることは、僕にとっては悪魔に魂を売る行為であり、誇りを失うことです。この信念が原因で誰かと摩擦が起きようとも、自分の中にどれだけ辛い感情が沸き起ころうとも。受け入れる覚悟をしています。

しかし他の「べき思考」、特に他者も対象に含む「べき思考」はなるべく変えるように努力しました。前述のような覚悟を、いくつもの「べき思考」に持つのは僕には不可能です。生きていけません。自分にとって本当に大切といえる信念以外は、少しずつ変えていくことをおすすめします。変えてみたからといって、案外なにも起こらないものです。


どう変えるの?

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もし自分の中に「●●すべき(してはならない)」という思考があることに気がついたら。


「●●する(しない)にこしたことはない」


なるべく頭の中だけで作業を終えようとしないようにしましょう。それはとても難しいです。声にだしたり、紙に書いたりして自分の頭の中から外に出すことがコツです。一度だけでは効果は対してありません。頭をかく、足を組むといった身体的な癖と同様に、認知の癖も強固なものであり、完全に変えるには年単位の時間と努力が必要です。どれだけ時間をかけて努力をしても、完全に切り替えられることはないかもしれません。しかし多少なりとも「べき思考」がゆるめば、「●●にこしたことはない」という考えをチョイ足しでもできれば、世界が少し変わって感じられるでしょう。


「完全に切り替えねばならない」なんてことはなく、「完全に切り替えられるにこしたことはない」のですから。



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