ししゃも、どうなのよ
晩御飯に子持ちししゃもが出た。
ししゃもは美味い魚だ。身体いっぱいに詰まった卵。控えめな身。やわらかい骨。頭や尾びれも気にならない、まるごといけちゃう美味い魚。
僕はししゃもがすきだ。
そしてだからこそ、ししゃもの未来を勝手に妄想して、憂いてしまう。
ししゃもはきっとさ、小さくて弱いから、こんなふうにたくさんの卵を孕まないとやっていけないのだろう。ばら撒いて、数撃ちゃ当たる戦法だ。
いや、正確には、そういう戦略をとったからこそ、生き残っていると言うべきなのかもしれない。
しかしこの戦略には大きな落とし穴があると僕は睨んでいる。
ししゃもは、美味いのだ。
シンプルにめっちゃ美味い。
思うに、「美味い」という要素は、生き残りをかけた戦いにおいては非常に不利なのではないか。
なんとか次世代へと命を繋ごうとたくさんの卵を孕むししゃも。だがしかし、卵をたくさん抱えたししゃもは美味い。大喜びで、みんなが飛びつく。
つまり、ししゃもの生存戦略は、激しい競争を助長させてしまっているのではないか。
こんな欠陥のある戦略を採用し続けていれば、いつかは食べつくされてしまうのではないか。そういった不安が頭をよぎる。
まぁ、これはすべて僕の妄想なので実際のところはわからない。調べる気も、今はない。なぜならもう寝るから。
ただひとつ言えるのは、僕らが食べているししゃもは、カラフトシシャモとかいうパチモンらしい。いや、美味いからいいけども。
ほなさいなら。
生きられそうです