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お前が1番かわいいんだろーが

三角形


黒糖蒸しパンを作った。
家に黒糖がたくさんあって、たしかばあちゃんが友達のばあさんからたくさんもらった、とかいうものだ。正月にもらっていた。



砂糖なんていうのは、いつまででも取っておけるような気がするけれど、なんだかこの先、使う見通しがなくずっとあり続けるのではないか、と思うと急に不安になったのだ。


黒糖と言えば何を作ろうか。
かりんとうなんかもいいし、黒糖を黒蜜にしてあんみつ的なものを作ってもいい。なんちゃって蜜もちというお菓子もあるし(信玄餅みたいなやつ)なんだっておいしいものはできる。


でも、黒糖と言えば、私の中では絶対に黒糖蒸しパンだ。そう思ったらいてもたってもいられず、物置からどでかいせいろをだしてきたときには、家族みんな「なにやってんの」の顔だった。


大きくうすべったく蒸しあげて、三角形に切る。ひとつひとつ、銀紙カップに入れて小さく蒸すなんていうのは嫌だ。大きくドカン、と。三角形がいい。


レーズンはなかったので、みんながよく知っている菓子パンみたいにはならなかったけど、よく考えたらレーズンは別に好きでもないのでいいとした。おいしくてふわふわ。


甘さが、濃い。味が、濃い。三角形になって皿の上に鎮座している蒸しパン。お前が世界で一番、かわいいんだろーが。


働かざるもの


2020年9月末。まだnoteを始めたばかりの頃だ。

この頃、わたしは

働かざるもの食うべからず

と言う言葉を世界中の誰よりも拡大解釈していて、働いていない自分は最も無残に八つ裂きにされてその辺のゴミ捨て場に捨てられてもまだ足りない、というくらいの仕打ちを受けないと割に合わないと思って生きていた。


とにかく自分の中で「働く」というステータスが全てで、毎月決められた給料が振り込まれ、ボーナスをもらい、納税して年金を積む。それをしないと生きる資格が与えられないと、本気で思っていた。


働くとは、自立

どうしたらフルタイムの仕事に復帰できるか。
この家を出てアパートを借りられるか。
納税をし、年金を払えるか。
一人前の人間になれるか。


明けても暮れても、また明けても暮れても、さらに明けても暮れても、それを考えていた。よくそんな気力があったな、と今思い返せば仰天するくらいの熱量で金のことを考えていた。


うつ病になるとまず見られる症状として、金銭の心配を始める。
別に買いたいものがあるわけでも、欲張りなわけでもない。ただ、心配なのだ。この先の生活、自分の命、世間からの目。すべて、すべて。


とても有名な芸能人がうつになったとき、真っ先に親友のところへ行って「お金をどうしたらいいか」と本気で相談した、という話を聞いた。その友達は
「お前、なんぼ稼いでんねん。億やろ。」
と言って笑ったそうだが、本人は心配でおいおい泣き出したという。


そういうものだ。億あっても足りない。足りないと感じる。そういう世界にいることは、本当に不安で苦しいものだ。


私は、双極性障害が最もひどいとき、国から「重度」というレッテルをもらい嬉しく思った。なぜなら障害者年金が入ると思ったからだ。

それを医者に相談したら、あっけなく却下された、というのがこの記事の内容だけれど、あのとき、もらわなくて本当に良かったと思う。


私以外の、もっと重い人がもらえばいい。もっともっと、助けが必要な人が。

心配なだけじゃない、本当に明日使うお金がない人だっている。うつになると、多くの人は仕事を休むか、辞めないといけないから。


そしていま、ずっと働くことやお金を稼ぐことにこだわり続けてきタコの私が、タコじゃないわ、きた、この私が。🐙{タコじゃないわい。



働くことはすべてじゃない

noteでは「働くことが全てじゃないよ」「お金を稼ぐことが働くことじゃないよ」とみんなに教わってきたが、私は信じていなかった。それは、あなたが働けるから言えるんだよ。納税してるから。立派だから。一人前だからいえるんだろー!と思っていた。


でも、本当の意味で、私も納得した。すべて、みんなが言う通りでした。正しかった。


働くことが全てじゃない。


いや、働けたらすごいとは思うけど、無理な時は無理だから仕方ない。それは一度はあきらめてゆっくり休むべき時もある。


無理して働いたら、今までの人生が帳消しになるわけじゃないから。


全部帳消しにしたいなんて言ってる前に、とっとと自分のできることをして毎日をしこたま生きるしかない。春がくるんだかなんだかしらないけど、人生はとくに変わらないし、この先も別に変わらないのだ。


ということで、あいかわらず元気に生きられるように。



焼きビーフン

ビーフンというものを、うちのかあさんは一度も作らなかった。でも給食にはよく出たので、私の中でビーフンとは「給食の味」だ。栄養士さんや調理師さんはうまいこと味付けをわかっていて、子供を一瞬で虜にしてしまう。


私の中のお袋の味は(母さんには悪いけど)半分は給食だ。

うちの母さんはあまり料理にこだわらないタイプで、肉を焼いて醤油をかけて、はいどーぞ、という感じのことをよくしていた。それはそれで旨かったが、私は大量調理特有の「どうせたくさん作るんだから手の込んだものを」みたいなのが結構好きだった。



焼きそば、カレー、枝豆のサラダなんかもスキだったけれど、焼きビーフンは特別いい。いろいろな具材が、五目っていうのかな、小さく際の目状に切られていて、麺に絡んで混じっている。



ビーフンはぱさぱさしていて、いや、なんていう子もいて信じられなかった。こんなに旨いものを拒んで残すなんて、家でどんな旨いモノ食べてるんだろう、なんて考えたりしたのだ。



弟に話したら、彼もとても好きだったそう。きっと姉も好きだっただろう。次会った時に聞いてみよう。






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