見出し画像

『ペルソナ3』から『メタファー:リファンジオ』へ 思い出的批評

 
 今度エピソードアイギスが出る前に簡単にと思い。

 ペルソナ3を初めて触れたときの衝撃というのはしっかり覚えています。
 どこが衝撃的だったのか。

 いまでこそ4や5があるので、驚きませんが、戦闘曲のMass Destructionがとくに衝撃的。しっかりボーカル入りの戦闘曲かつ、ラップというのは、当時珍しかったはずです。ボーカル入りで、スタイリッシュさという面では、のちに『すばらしきこのせかい』がありますが、それより前にやっていたわけですね。
 『8mille』から4年後に発売と考えると、主人公のあの虚ろな感じが、エミネム風だったのか、と今でこそ思います。
 スタイリッシュなビジュアライズという意味では、いまでも全く古びていないし、未来になった今でも、新しいものはあまり開拓されていないから。リロードされるわけですね。

 次に戦闘面なのですが、これがターン制のRPGがほぼ主流だったなかで、上手くいけば永遠俺のターンという仕組みは、当時でもあったと思いますが、RPGとアクションゲームの中間のようなバランスです。
 2024年になった今でもアトラスの最新作『メタファー:リファンタジオ』でもほとんど同じ仕組みになっていたりすることからも明らかでちょうどいいバランスなのです。リアルなグラフィックを追求していくなかで、アクションゲームになっていってしまった現在のFFシリーズ本編を見ていくとこのバランスがいかにちょうどいいかが分かるのではないかと思います。

 ほかのゲームの名前が出たのでビジュアライズに対して言及すると、『カッ』というカットイン演出が、ゲーム中もときどきされます。これ「漫画」を意識したと言及が制作陣の方が言っていた記憶があります。

 当時のほかのRPGが、テイルズのアニメ風やFFのリアルさを考えると、漫画的な表現というの差別化していたなと思います。

 ストーリーなのですが、これはリロードをやって改めて思うのが、『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズの影響が強いなと。4と5には、このニュアンスは消えているので、3だけのもののような気がします。また、当時は、エヴァの新劇場版が発表されていなかったことを考えると、エヴァに翻弄されていたオタクが作ったような作品に感じるわけです。

 そもそも声優さんが同じだったりするのはよく言及されますが、アイギスは、綾波レイに似ていますし、ゆかりもツンデレ少女かつ、背後にある親との関係がアスカと重なるところがります。

 もちろんストーリ的には、=カヲル君の登場あたりまでの流れは似ていますが、似ていないというと、エヴァにあるのような、エディプスコンプレックス的な要素はほとんどないですね。主人公の両親について、まわりに可哀そうというな目で見られることはあっても、主人公自身にそういう感情はないような感じです、なぜなら、そこに主題があるわけでなく、ОPのアニメにあるようにメメントモリがテーマだからでしょう。
 メメントモリというのは、「死ぬべき運命」「死を忘れるな」という意味ですが、ゲームは、所詮、仮想現実にすぎないのですが、プレイヤーも死に向かっているので、非常に現実的な問題を投げかけているわけです。
 
 ゲームシステムに関して言うと、このスケジュールがあって、一日一日が進んでいくというシステムは、現実的すぎて、RPGにはいまだにRPGにはあまり採用されていないと思います。ゲームシステムとしては、『ときめきメモリアル』のようなギャルゲーが(RPGにも関わらず)元ネタにあるのではないかと思います。

 このシステムは、メメントモリと結びついていて、死に向かっていく一日一日をどう過ごしていくか、という現実の問題そっくりそのまま投げかけているわけです。哲学者のマーティン・ハイデガーの考えに「死への先駆」という考えがあります、難しい概念の一つですが、簡単にいってしまえば、死があるという人生における有限性を認識することで、人は行動を起こすことの意義を見出すことができるという考えです。ペルソナ3は、ゲームを通じて、どう生きるべきかという問題を提示してみせているわけです。それゆえ、世間のキャラクター的人気から非難されようが、主人公の死は避けざるものでありつづける必要があるわけです。

 イアン・ボコストという批評家(単著が翻訳されておらず残念です)が、ゲームの批評において「説得的ゲーム」という概念を提示しています、ゲームというのが、テレビや映画などよりも、体験を通じて「説得的」なものとしてあるという概念のようです。
 この概念に照らして、ペルソナ3を語れれば、死を意識しながら、現実を充実させながら、どう生きていくかを「説得的」に、ハイデガー的に描いているわけです。
 ペルソナ3以降は、このテーマをはなれて4⇀5では「改心」というテーマが、ジュブナイルのジャンルをとりながら、文字通りの説得的に提示されているように思います。
 特に5では、あきらかに現実に起きた不祥事がモデルにあるストーリーが展開され、現代の日本の社会や、ポストトゥルースの問題が、批判的に描かれています。
 ペルソナシリーズを離れて、次作の『メタファー:リファンタジオ』では、5から一歩進み、現実社会を模したゲームという構図が反転し、現代社会が逆にファンタジー側におかれるという描写がなされています。そして、その構図があったうえで、ある程度リアルな政治動かしていくというプロセス、選挙が描かれているのではないかなと…いずれにせよ、単なるエンタメとしてのゲームではなく、どう生きていいくかを、ゲームを通して、提示しているということですね、今から期待しています。


参考文献・動画:
 



 

 
 



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?