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中曽根元総理の車窓から

先週冷たい雨風の中、中曽根元総理の内閣・自民党の合同葬が執り行われた。私は諸事情により偶然官邸前にいた。そこで官邸に別れを告げるために悠々と走る黒塗りの高級車の車列をこの目で見ることができた。

私が奇異に思ったのは機動隊が厳しく市民の通行を制限するような越権行為が日常化されている官邸前の横断歩道に見慣れぬ一群が、誰かの引率で連れて来られた。警備、機動隊はそのことを事前に把握しているためであろうか、全くのお咎めなしである。見るとその一群の手にはプラカード。日の丸があしらわれ、ベトナムとわかるイラストや文字に「中曽根元首相ありがとう」と書かれたものをその一群は手にしていた。私の見た限り、それはベトナムから来た留学生なのかはたまた外国人技能実習生の一群。車列が目の前を通過するタイミングで「中曽根さん、ありがとうございました!」声をそろえて明らかに…言わされているとしか思えない。傘もささずに。その一群は車列の見送りを終えるなり去っていった。

ひとけの少なくなったその場所に、警備、機動隊のほかに2人の女性ベトナム人の方が無言で立ち尽くしていた。大きなプラカードを柵にくくりつけていたので、それがベトナム人の方であること、ハンガーストライキであることはわかった。でも具体的に何にどう不満や怒りを覚えてこの寒空の下、薄着で華奢な女性2人がそこにいるのかわからず、思わず声をかけた。「いま困っていることはない?」「何のためにハンストをやるの?」言葉の壁もあり、「大丈夫」という答えが返ってきたところで私は質問をやめた。

警備の目もあるため、私もカメラのシャッターをきることは躊躇した。メディアは誰もいない。あの独特な空気感を私の拙い文章でどこまで言語化できるだろうか。私が寒さに震えながら見たままの光景はここに書いた。

けれど、果敢にもフリージャーナリスト・田中龍作氏の渾身の1枚の写真が今という世相を如実に可視化してくれた。列を成しているのは自衛隊部隊。

そして、国会で所信表明演説すらもしないままに外遊にでかけた我が国の新首相の行き先もベトナムであったことをことも記録しておく。この気味の悪い偶然の一致に何かきっと意味があるはず。このシーン、同じ場面にも関わらず国内メディアと海外メディアで付けた見出しのニュアンスが全く違う。

すこし調べたら1983年中曽根康弘が「留学生10万人計画」に着手とある。私の不勉強、不徳の致すところで、これが現在の悪名名高い外国人技能実習制度やODAバラマキと繋がるのかはわからない。少し本屋で書籍をさがしてこようかと思う。日本的新自由主義の生みの親である氏のことについて。

こちらは氏の長男 中曽根弘文元外務大臣のベトナム訪問の記録

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