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不登校になりたくてもなれない子供たちには居場所がない

こんにちは、スロバキア出身のベロニカです。

今日はTwitterで以下の投稿を目にしました。

この記事を書いた小幡和輝氏は、「不登校は不幸じゃない」という概念を持って活躍しています。

話が進みますが、不登校で有名になったゆたぼんの話、不登校だったのに関わらず現在大手企業で働いている友人の話を再び思い出したうえ、自分の過去の話も思い出しました。だから、この場を借りて私の下手な語彙力でお話したいと思います。

これからの話をする理由は、可哀想などと思われたいからではなく、子供のことをちゃんと考えてほしいからです。

過去は過去だし、私も過去とは和解したから、こんな話をしていても悲しい気持ちにならないです。それだけを考慮してくださいね。

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記憶がある限り、うちの実家はとても大変でした。両親が結婚したのは早すぎたかもしれないから、平和な家庭を築けなかったのですかね。お酒に逃げ場を求めていたお父さんが飲みすぎると暴力的になったり、プライドが高くて感情的になりやすいお母さんが逃げることができなくて、暴言・暴力・涙がほぼ毎日の出来事でもありました。

そんな中で、妹とお母さんを私が守ろうとしていても、すべてがエスカレートしてしまうだけでした。子供には何ができるかと考えても逃げ場がないうえ、力不足で悔しすぎる状態です。そして、お父さんに反撃をするとさらに大変なことになってしまうという繰り返しだけです。

逃げることが簡単だっていうけど、この状況だと無理に近いです。その場に居続けないと、怒りなどがもっと酷いことになる可能性があるからです。可能性というより、やってみるとさらにえらいことになっただけです。

今色々考えてみると、お父さんもお母さんも弱い人で相当な寂しがり屋にしか見えません。だからも、逃げることができないで、ずっと一緒にいたかったかもしれませんね。

しかし、こんなことが子供にはわかるはずがありません。学校または芸術学校から帰ってきたら、ずっとリビングにいなきゃいけない、一緒にいないといけませんでした。友達との遊びも結構制限されていました。しかし、両親の言うことを聞くしかなかったのです。怒られると大変だから・・・

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小中学校は、キリスト教の学校です。キリスト教の学校だから、いいイメージがありますが、現実は全く違います。お祈りはするけど、その他、唯一違うところは、他の学校からの問題児が通わせられるということのみ。その理由もばかばかしくて、キリスト教学校に行かせたら「奇跡的に」その子たちが「治る」という謎の理由です。

そのため、特に日本の中学校に当てはまる学年になると、問題ばかりが起きてしまいます。特に学校で働いている先生の娘さんが転校してきてから・・・うちのクラスでのいじめが始まったのです。特に私に対して。

悔しくて、なるべく速く高校に進学して逃げたかったのですね。

家の事情、学校での事情があって、図書館と理科系レッスンとスポーツと芸術学校という逃げ場しかなかったのです。それで毎日さまざまな趣味をやっていたら、家にいないからお父さんに怒られます。つい最近まで趣味を拾うように言われてたのに、やっているうち辞めるように言われ始めます。唯一の逃げ場も失いそうになるのは、とても怖いことでした。

怒られながら、どうにかして、なんとかなれれば・・・

まあ、涙たくさん流し、つらかったけど、どうにかなりました。

学校がないとき、あと唯一の救いは、「砂金掘り」でした。家族は砂金掘りに興味がなかったため、家族みたいな両親の友達と一緒にスロバキア・チェコそしてヨーロッパ中を大会に参加するために回ってきました。いつの間にか、両親の友達が両親より両親みたいな存在になっていましたね。それでも、本人たちには、うちの家庭ではどんな地獄が待っているか、誰にも分かりませんでした。両親はみんなの前で建前がうますぎたからですね。

そんな中で、高校に進み、不自由な日々を送り生きていました。さすがに、このとき、同級生とあんま仲良くなれないということがわかっていました。みんなで遊びに行くとき、私だけは両親の支配で行けなかったからです。

高校は、もう周りに理解できる人というより、正直に話す人がいませんでした。話したくても「自分だけがこういうことになっているんだろう、理解してくれる人がいないだろう、話しても信じてもらえないだろう」などという偏見を勝手に持っていたから、話しても自分の家族が非常に恥ずかしかったのです。話しても恥ずかしい気持ちいっぱいでした。

早く、なるべく早く、大学に逃げることだけが目標になっているほどでした。自分の家族から逃げたくて、自分の居場所が欲しくて、違う街または国に行くことだけが決まっていたのです。

大人になったら、自由になれるし、バイトもできるし、家族と理解者がいない街を早々出たかったのです。そして、結局そうしました。

大人になったら、色々複雑になるだろうけど、私にとって、大人になることが何よりもいいことでした。自由になれたからです。逃げ場を手に入れたからです。

不登校も自殺も考えていた日々が終わり、やっと自分だけのことを考えるようになれました。

言い方はあれなんですけど、18年間「こうしな」「これはだめ」など命令ばかりされて生きてきた私は、自分はどうしたいか、どうしたらいいか色々わからなくなりました。生まれ変わったというのはいいものの、危ないことも待っていたのです。思春期が訪れたと思われても変な話にならないくらいです。

と、この話で何を言いたいかというと、子供から逃げ場を奪っちゃダメというよりどんどん様々な逃げ場を作ってあげた方がいいということです。子供はただの未成年なだけかもしれませんが、両親や先生方は決して世界の知恵を食ったわけではないので、子供の言うこともきちんと聞いてあげて理解してほしいということです。

今の私は、過去を変えることができませんし、もしも変えられるのであれば、唯一変えたいのは、大人を恐れないで色々言ってあげることくらいですかね。まあ、あんな過去があったからこそ、今の私がいるけれでも、他の子供たちにこういうことを体験してほしくないです。そして、時間と私と私の兄弟からの努力が必要だったんだけど、両親も色々成長してきたと思います。

そうですね、自分の家族を選べないのですが、どんなふうに変えていくのかは、自分次第です。

そして、不登校の子でも、逃げ場すらあれば学校じゃなくても勉強ができるわけだし、すごい人にはなれますから、そんな子が回りにいれば支えてあげてください。逃げ場がないと人間を信じなくなるだけでから、頼むわ。よろしくお願いします。

応援されるとベロニカは空を飛びそうになるほど喜びます。