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#98 紀貫之「仮名序」が伝えていること

古典『古今和歌集』。

紀貫之の仮名序にこうあります。

「やまと歌は、
人の心を種として、
よろづの言の葉とぞなれりける。
世の中にある人、
事業、繁きものなれば、
心に思ふことを、
見るもの聞くものにつけて、
言ひ出せるなり。

花に鳴く鶯、水にすむ蛙の声を聞けば、
生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける。
力をも入れずして天地を動かし、
目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、
男女の仲をも和らげ、
猛き武士の心をも慰むるは、歌なり。」

和歌とは、
心に思うことを、
見るもの聞くものに託して、
言葉に表わしている。

そして、
世の全てのものの心を動かすのも、
歌である。

と言うんですね。

僕はここに、
現代人が忘れがちな、
心の在り方が
書かれているように思います。

1つ目は、
和歌(言葉)と言うものは、
人を感動させ、
また人を傷つける、
大きな力を持った、
諸刃の剣であること。

2つ目は、
言葉を磨くには、
そのもとである
心を磨く必要があり、
心は自然の豊かさに五感を委ね、
養われていく、ということ。

北海道をツーリングして感じたのですが、
ありのままの大自然が存在している、
反対に言えば、
大自然「しか」存在していないスポットは、
日本人よりも、
むしろ欧米人に人気のようです。

しかも、1日、2日ではなくて、
数週間単位で滞在する。

大自然に身をゆだねて、
ただただ、時を過ごすのです。

そこには、
いわゆる「映え」スポットはありません。

しかし、日々の忙しさから抜け出し、
心の平穏を取り戻し、
また、心を磨く機会は、
今も昔も、
ありのままの自然にしかないのです。

僕たちの祖先、
紀貫之の金言を、
むしろ欧米人が実践し、
日本人が忘れてしまっているのだとしたら、
これは寂しいことですよね。

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