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歴史考察 #108『会津さざえ堂はあのダ・ヴィンチ設計だった?!』

3.11カタリベ会動画「 福島ではどんな暮らしだった?」での会話の中に出てきた「会津さざえ堂」

「とても不思議な御堂」とのことで、早速調べてみました。

まず、「会津さざえ堂」は、1796年(寛政8年)福島県会津若松市の「飯盛山」に建立されたとあります。(高さ16.5m、六角三層のお堂)

「飯盛山」とは、戊辰戦争の際、白虎隊が自刃した地です。

正式名称は「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」といいますが、重要文化財指定名称は「旧正宗寺三匝堂(きゅうしょうそうじさんそうどう)」で、「会津さざえ堂」と呼ばれる所以は、その特異な構造や外観がサザエに似ていることからだとか。

たしかにお堂の中はグルグルと渦を巻いた形になっています。
興味深いのは、スロープを突き進めば、いつの間にか下りられる一方通行の「二重螺旋」であることです。

そんな不思議な御堂の設計者は、当時飯盛山にあった正宗寺(しょうそうじ)住職であった僧郁堂(いくどう)が考案したという説や、フランスのシャンボール城にある「二重螺旋」階段の発想が(書簡に)よって伝わったという説もあり、由来はいまだに謎のままのようです。

ちなみに、シャンボール城の設計は、イタリア人建築家ドメニコ・ダ・コルトナ((1470頃‐1549頃)とありますが、あのレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452 - 1519)が設計に関与していたとも言われており、この種の構造を有する近代以前の建造物は世界的にも珍しいようです。

そして「二重螺旋」といえばDNAですよね。
DNAが「二重螺旋」構造になっていることが明らかになったのは1953年ですが、お城のデザインにはひとつひとつ意味があることから、ひょっとしたらダ・ヴィンチ(1452 - 1519)が生存していた頃にはすでにDNAの形が知られていたのかも?!

いずれにしましても、「渦巻模様」は、生と死、再生の象徴と言われ、「螺旋」にはエネルギーを感じます。

戊辰戦争により賊軍となってしまった「会津藩」の土地に建つ「会津さざえ堂」

壊されずに残っているのも何か大きな理由があるのかもしれませんね...
帰郷の際にはぜひ訪れてみたい場所のひとつになりました✨

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