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動物園の始まりは『南蛮貿易』だった⁈

檻に入れられ運ばれる虎...

『南蛮屏風図』

こちらは、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した長谷川等伯(1539-1610年)が描いたとされる『南蛮屏風図』の一部です。

『南蛮(なんばん)』とは元々、中国大陸を制した朝廷が南方の帰順しない異民族に対して用いた蔑称でした。

15世紀にヨーロッパ人との貿易が始まって以降は、主にヨーロッパや東南アジア・スペインやポルトガルの文物や人物を指す語となりました。

そんな『南蛮屏風図』を観に大阪『南蛮文化館』へ出向きました。

『南蛮屏風図』とは、日本の港に来航したポルトガル船と、ポルトガル人や黒人乗組員たちの荷揚げの様子や、商館長(カピタン)の上陸場面が描かれた屏風絵のことです。

そこには南蛮船を迎える宣教師や、荷揚げされる品々、動物、それを見物する人々なども描かれています。

そこで一番興味を持ったのは動物です。
檻に入れられた孔雀、猫、虎、リードに繋がれた山羊、人を乗せている象...

クジャク

こうやって日本に運ばれてきたのか...
そこでハッとしました!!

こうして珍品として運ばれてきた動物たちが、見せ物として、動物園に繋がったのではないか?

野生動物の飼育は、古代エジプト王朝時代(B.C.3000年頃)とかなり歴史があるようです。

中国では周の文王の時代(B.C.1500頃)に、『知識の園』と称し、動物を飼育した記録が残されています。

その後、王侯貴族を代表とする特権階級の『富と権力の誇示や趣味』として発展してきたとありました。

現代的な動物園は、1828年(文政11年)にできた『ロンドン動物園』が初めてで、その後、ヨーロッパ各都市やアメリカにも次々とつくられていったようです。

日本では、1882年(明治15年)に『山下博物館』の移転に併せ、『上野動物園』が開園とありました。

そして上野で思い出されるのは、1877年(明治10年)開催の『第1回内国勧業博覧会』の動物園です。

博覧会に動物園があるがとても不思議でしたが、『南蛮からの珍品』として展示されていたとすれば腑に落ちます。

1903年(明治36年)開催の第5回内国勧業博覧会では、次のような動物たちが展示されたようです。

食火鶏(ひくいどり/ダチョウ目)、スマタラ島コウノトリ、鷲 、蟒蛇(うわばみ/大蛇)、鰐魚(がくぎょ/ワニ) 、猫鼬(マングース)、蛇舅母(かなへび)、 印度牛、象、山猫 、豹、黒豹、茶鼠豹、虎

ちなみに食火鶏を調べてみますと、すでに1790(寛政2)年発行のかわら版「駝鳥之図」に描かれており、『最初は珍しがられるが次第に飽きられてしまう』ことから、手を変え品を変え、売り出された様子が伺えます。(その後はどうなったのだろう...)

いずれにしましても、『南蛮貿易』は常に日本に大きな影響を与えてきたと言えますね。

そうしたことが見て取れる大阪『南蛮文化館』から、あと二つほど、ご紹介したいと思っています。

次回もお楽しみに...‼︎

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