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社会で生きることについて/余暇DTMer

同じ失敗を何度も繰り返してしまいます。

毎度、学んだ気になってもう二度と繰り返すまいと心に誓うものの、環境が変わるとまた繰り返してしまう。

バランスの取れた人間関係の構築に、いつも失敗してしまいます。

相手の懐に飛び込まなくては、と最初に意気込み過ぎて、全力で取り繕う癖があるのですが、時間が経過して関係性がそれなりに親密になってくると、尻すぼみになり、たいてい失望されていると思います。

悪印象が塗り重ねられていく過程で、他人との距離感を掴むのが苦手な私は、焦りや困惑から、不用意に周囲を不快にさせる言動を取ってしまう。

そして、そんな状況になってやっと、同じ過ちを繰り返していることに気付く始末です。

当たりの良い人のイメージをなぞろうとするから、そんなことになるのだし、最初からやめておけばよかった…と後悔しても後の祭りです。

社会性を有した人間であることを認めて欲しいという欲求が、自戒の心を打ち負かしてしまうのだろうと思います。

あるいは自分の関与した人が何かしらポジティブな変化を遂げていることを確認したいのかもしれません。

我ながら非常におこがましいと思いますし、そんな自分の未熟さにいつも赤面してしまいます。

とはいえ、少しずつでも、そんな自分の性向を修正・改善していく必要があります。

どうせ自分なんて…と諦めたり、周囲の環境が悪いのだ…と自分で自分に同情したりしても状況は変わらないどころか、ますます悪くなっていくからです。

生命活動が停止するまでは、嫌でもこの肉体で生きていかなくてはなりませんし、肉体と一体化したこの意識と心でもって、社会を生き抜かなければなりません。

誰かに関与したいのなら、距離の取り方と関係性の築き方に関して、今よりも理性的でないといけない。

当たり前ですが、私は誰かを傷つけるのも、逆に誰かに傷つけられるのも嫌です。

しかし社会生活を送っていれば、それは避けられないこともある。
だから自分にできることは、極力そういった機会を避ける努力をすること。

誰かを傷つけたり、不快にするような言動を極力避けるように努力しつつ、円滑なコミュニケーションで、適当な距離を置いた人間関係を築く。

非常に難しいですね。

社会から積極的にドロップアウトする気概もありませんので、難しくとも先に述べたような努力を続けながら、願わくば必要最低限の社会参加でこれからの人生を生きたい。

そんな消極的なことを時々考えてしまいます。

verde esmeralda

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