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ジャン・チャクムルMilliyet紙インタビュー:「芸術は社会的な活動であり続けるべき」

本日はトルコの大衆紙Milliyet日曜版(2023年5月28日付)に掲載されたジャン・チャクムル君の最新インタビューをご紹介します。
 
質問の趣旨から、5月19日のアタテュルク記念日および青年とスポーツの日の直前に行われたと推測される本インタビューですが、同時にトルコでは5月14日に大統領選挙および統一地方選挙が実施され、またその結果により同28日に大統領選挙の決選投票が行われることが決定、このような政治的空気を背景に、チャクムル君としては珍しい政治的メッセージを含むインタビューとなっています。

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聞き手:セイハン・アクンジュ
 
才能、演奏スタイル、そして手に入れた数々の賞によって注目を集めるピアニスト、ジャン・チャクムルは、今や将来を約束された若手ピアニストというに留まらず、未来を築く特別な音楽家である。先日、5年にわたる特別なプロジェクト(2028年に完成予定のシューベルト・プロジェクト)のアルバム第1弾にあたる『シューベルト+シェーンベルク』をリリースしたジャン・チャクムルに、11枚のアルバムから成るこのシリーズについて、シューベルトへの讃美、そして人工知能と芸術との関係について話を聞いた。


シューベルトに対して抱いている関心や彼の音楽を奏でるのが自分はいかに好きか、機会あるごとに語っています。

この長期にわたるプロジェクトとその成果である最初のアルバムに触れるにあたり、ジャン・チャクムルはこう語り始めた。BISレコードとパンデミックの最中に収録したアルバム『Without Borders』の後に、次のプロジェクトは長期的なものにしようということで双方の意見が一致したそうだ。チャクムルのシューベルトに対する親和性を知るBISから、いまだ自社のカタログに載ってないシューベルトのピアノ作品をまとめて収録してくれるよう依頼されたことで、このような作品が誕生したのだという。

このプロジェクトには、シューベルトの作品をただ年代順に次から次へと並べる代わりに、それぞれのアルバムにコンセプトと統一性を持たせることで、各アルバムを最初から最後まで通して聴いたときにアルバム自体にも意味が生まれるようにしたいと考えました。このような訳でそれぞれのアルバムにはシューベルトと繋がりのある他の作品も加えたのです。

シリーズ第1弾となるこのアルバムに収録されたシューベルトが完成させた最初のソナタと最後のソナタについて、チャクムルは以下のように説明する。

シューベルトは作品番号にしてもう1作品ソナタを作曲してはいますが、 このアルバムに収められたソナタの第2楽章がシューベルトが作曲した最後のピアノ曲であることを私たちは知っています。この第2楽章は傑出した作品であり、苦悩と憤りに満ちた音楽です。ヌーリ・ビルゲ・ジェイランは『雪の轍』という映画―最も好きな映画のひとつですが―のなかで、登場人物たちによる諍いの前と終わりには毎回この楽章の最初の主題をBGMとして用いました。

年に2度スタジオ入りすると説明するジャン・チャクムルは、こうも語る。

ハノーファーに最高のスタジオを見つけました。レコーディングにはワルシャワからシゲルカワイのピアノが送られてきます。どの録音も同じピアノと機材を用いて行います。そうすることで音の統一感が得られるからです。実をいうと、すでに半分は収録が終わっています。現在は録音したもののマスタリングとプログラムノートの執筆作業が続いています。2028年まで毎年春と秋に1枚ずつCDが発売される予定です。

ジャン・チャクムルは2019年に行ったインタビューで、「人生を通してやりたいと思える仕事を見つけた」という表現を使っている。おそらく多くの人が探しても見つけることのできないものであろう。
このことに関して若者たちに何を伝えたいですか?と尋ねたところ、懐疑的ながらもきわめて現実的な答えが返ってきた。

2019年のインタビュー以降、パンデミックが私たちを襲い、何十もの戦争が継続中です。パンデミック後には途方もない経済危機に突入しました。最近、人々―特に若い世代にとって、理想的な職業が存在するとは徐々に信じられなくなっていることを示す研究論文を読みました。ほとんどどの職業分野についても言えるように、創造的芸術の分野においても、キャリアパスが以前にも増して契約ベースで成り立つ自由業へと変わってきているのを見ることができます。これは高確率で搾取に繋がりやすいシステムであり、残念ながら働くすべての人を将来に対する収まることのない不安の中に押し込めるものです。卒業後に無職のまま残る可能性が恒常的な現実であるにもかかわらず、教育を受け続けようと努力している、そして卒業生としてこのような可能性に直面している何十万人もの若者たちに対して、今述べたような条件が続く限り、何らかの「アドバイス」を行うことは失礼に当たると思います。人生から得られる充足感というものは安定した人生観に正比例するものであり、その場合に人は初めて、自分が手にしているものの価値を信じ、それに手を加えることで美しくすることができるのだと私は思います。残念ながらこれはアドバイスなどで実現するものではありません。人生が、一日また一日と足を引きずりながら歩むものではなく、それを克服する時が来ることを心から祈ってやみません。

人工知能によるアート制作はいまだ議論すべき話題である。人工知能によるアートというものが次第に競争相手となっていく環境を若きアーティストとしてどう評価するか尋ねたところ、チャクムルは次のように答えた。

人工知能によるアート制作は、現段階では視覚芸術にとってより有意な脅威要因を形成していると思います。多数のアーティストの作品が人工知能プログラムによって”盗まれた”のをニュース等で読みますが、音楽家にとっては、状況は少々異なります。コンピュータプログラムは、現在までに録音されたすべての音源を分析し、大変に説得力のある産物を生み出すことが可能かもしれませんが、このことはさほど重要ではありません。芸術は社会的な活動であり続けるべきだからです。コンサートに足を運ぶこと、そこで聴衆と演奏家との間に成立するコミュニケーションが、芸術を意味あるものにしているのです。コンピューターが完璧な製品を提供したとしても、私たちが気に入ったアーティストとのあいだに築く人間的な繋がりまで模倣することはできません。とはいえポピュラーミュージックのように定型的なジャンルの作曲家にとっては、人工知能が脅威要因となりうることも予想がつきます。

それについて質問をもう少し詳しく掘り下げ、人工知能の産物である音楽はあなたにとって芸術ですか?と尋ねると、チャクムルは次のような言葉で答えた。

それに似た質問を、ヴィヴァルディが15分で書いた協奏曲の楽章についても問うことが可能です。

もし作品に、作品の完全性と必然性を成り立たせているあの意志の力がないのであれば、私たちが相対している行為の形は(芸術ではなく)単なる工芸になるのではないでしょうか? つまるところ、芸術を芸術たらしめているのは、私たちと芸術とのあいだの相互作用です。この相互作用が成立している限り、バナナの皮でさえ芸術となりえるのです。

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最後に、5月19日アタテュルク記念日および青年とスポーツの日に寄せて、ジャン・チャクムルに未来に対する考えを聞いた。

大好きな、そして私が20世紀芸術の最も重要な例と見なしているロック界の巨人キング・クリムゾンが1969年に作った「エピタフ(墓碑銘)」という作品を引用したいと思います。

   誰もが夢と悪夢とのあいだで引き裂かれ
   静寂が悲鳴をかき消すとき
   月桂冠を戴く者などいるだろうか?
   混濁と混乱
   それが私の墓碑銘になるだろう
   ひび割れ粉々に崩れた道を這いつくばりながら
   もし乗り越えられたならば、私たちは背もたれに寄りかかり
   安心して笑うことができるだろう
   だが
   私は恐れる
   明日は苦悩の中で嘆くだろうことを

繁栄の中で過去を過ごした人々が、私たちをなぜ混濁の中へと引きずり落としたのかを知り、私たちの未来を奪った責任を追及することは、世界中の私たちの世代に負わされた債務です。生まれたときに私たちの首にかけられた金床なのです。


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