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Wikipedia日本語版「ジャン・チャクムル」に掲載できなかったエピソード集

 

 先月(2021年1月)、Wikipedia日本語版に「ジャン・チャクムル」の記事を新規に執筆した。


 ツイッターで私のアカウントをフォローしてくださっている方はよくご存知だと思うが、私はここ2年ほど、トルコ出身の若手ピアニスト、ジャン・チャクムル君のサポートを続けている関係で、トルコ語で報道された新聞や雑誌の記事が目に留まるたびに記事に目を通し、紹介する価値があると判断したものについては、極力、日本語に訳してツイッター上で紹介してきた。特に2015年以降に公開されたインタビュー記事や動画、音声記録については、すでに削除されたものを除きほぼすべて目を通し、耳を傾けたつもりである。こうした情報が次第に蓄積していった結果として、どこか1箇所に集約しつつ一般公開する必要を感じ、やむにやまれぬ衝動に駆られて数日かけて記事にまとめ、慣れないWikipedia特有の言語をどうにかこうにか解読して一気に記事の公開にまで漕ぎつけた。
 が、Wikipediaはファンサイトになってはいけない、盛り込みすぎると場合によっては削除して欲しくない箇所までバッサリ削除されるよという経験者のアドバイスもあり、エピソードの項を立てることは諦め、すでに日本語でも公開されている2点のエピソード、(1) 音楽好きな家庭に育ち、ピアノを習い始めるまでのエピソードと、(2) 『白鳥の歌』の演奏・録音が子供の頃からの夢だったというエピソードのみ他の項に滑り込ませることにしたのだった。
 ここに掲載するのは、このような理由でWikipediaには掲載できないと判断したエピソードのうちのごく一部である。さらにその一部は、過去に私のツイートでも紹介したものであることを、どうかご容赦いただきたい。

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♬ディアネ・アンデルセンについて
 コンクール初経験は2010年、12歳の時。ベルギーのヨーロッパ・ピアノ指導者協会(EPTA)が主催する若いピアニストを対象としたコンクール"Rencontres Internationales des Jeunes Pianistes" に参加し最終選考に残った。その時の審査委員長が、現在も個人レッスンを受け続けているディアネ・アンデルセンである。コンクール終了後にアンデルセンにメールを送り、自分はこれからどうすべきかアドバイスを求めたところ、アンデルセンは、「あなたには何かやりたいことがあるのは分かりました。それは大事な事。でも、選曲を間違えていますね。指があなたの考えについてきていないわ」と答えると、夏に開かれる自分のマスタークラスに参加するよう勧めた。そのサマー・アカデミーで他の国々から来た生徒やピアノ指導者と出会い、その演奏を聴く経験を得、「自分もピアニストになりたい」と決心した。こうして2011年の終わり頃からアンデルセンのレッスンを受け始めたが、翌2012年にメンバーに選ばれた「世界の舞台に立つ若き音楽家たち」プロジェクトの奨学金のおかげで月に一度ベルギーとトルコ間を往復することが可能になった*1 。このような意味で、アカデミーが「自分にとってのターニングポイントになった」と彼は語る*2 *3 *4。なお、ディアネ・アンデルセンとの関係は単なる指導者と生徒の関係をはるかに越えたもので、彼女は自分に芸術に関する哲学的アプローチを伝授し、自分の音楽的認識の全体を形作った。彼女が教えてくれたのは、音楽を一つの全体として聴き取り、理解し、分析することであった、と語る*5 。また、まるで「祖母」のような存在だ*3 とも。

グリゴリー・グルツマンについて
  現在、師事するグリゴリー・グルツマンとは2014年の夏にヴァイマルで知り合い*11 、短期間で非常に息の合ったレッスンを経験した。音楽表現について言葉を使った解説や比喩に頼ることなく、自分がやりたいことを汲み取ってそれを実現できるよう計らってくれた。ほとんど会話はなかったが、ピアノを弾きながら互いのことを理解することが出来た*3 と語る。ドイツのヴァイマルにあるフランツ・リスト音楽大学に進学すること、グリゴリー・グルツマンに師事することしか考えず、他の音楽大学は受験しなかった。かくして2015年夏、1700人が応募したフランツ・リスト音楽大学への入学が許可された*1 *4 *6。

クラウディオ・マルティネス=メーナーについて
  影響を受けた指導者の名前を問われ、(定期的にレッスンを受けている指導者は除き)自分の物の見方に根底から影響を与えたのはクラウディオ・マルティネス=メーナーだと語る*7 。また忘れることのできない、音楽的に影響を受けたマスタークラスを問われた際にも、真っ先にマルティネス=メーナーの名を挙げている。彼は自分にとって「音楽上のアイドルのひとり」であり、「自分にとって最大のインスピレーションの源である音楽家のひとり」*8 とも語っている。なおマルティネス=メーナーのマスタークラスには、奨学生であるリヒテンシュタイン国際音楽アカデミーで2017年から継続的に参加している。

家庭での音楽環境について
  高校時代のインタビューで、家には相当数のクラシック音楽のコレクションがあり、デジタル録音された何千もの作品に手を伸ばすことが出来た。家ではほとんどクラシックだが、時々ジャズやロックも聴いた。ピンク・フロイドやELP(エマーソン・レイク・アンド・パーマー)を聴くのが特に好きだ*1 と語っている。
  物心ついたころからビルケント交響楽団 のコンサートに家族で出掛けた。「しかしこれは週に一度、2時間で終わるイベントではありませんでした。その週のプログラムを父がCDに録音し、1週間を通してそれを家族全員が聴き続けるのです。自分たちが期待するものを知った上で金曜か土曜夕方のコンサートを聴くわけです。コンサートで母は私の耳元で囁きました。「ジャン、ティンパニを見て!」とか「ほら、指揮者があんな風にチェロに合図してる!」と」*9 と語っている。

ギターと声楽について
  3~4歳の時にギターを習いたがり、両親に連れられて音楽教室に行ったのはウィキペディアにも記載済みだが、最初にギターを習いたかったのは、その頃バルシュ・マンチョに夢中になっていたからだという*1 。
  ギターに対して心残りがあるかという問いに対しては、ギターは今でも大好きな楽器、最も好きな楽器のひとつだが、心残りはない。しかも、大好きなギター曲をピアノ用に編曲したこともあるが、現在、自分が最も幸福に感じられる楽器はピアノだと語る。また、一時は歌を歌えるようになりたい、声楽レッスンを受けたいと強く望んだこともあるが、残念ながら声が悪いため諦めざるを得なかった。これもピアノによって、例えばピアノ独奏用に編曲された歌曲作品をピアノで弾くことである程度まで満足を得ることができる、と語る*10 。

趣味やその他の活動と、なりたかった職業
  2015年に行われたインタビューで、様々な分野にまたがる友人グループと付き合いがあると語っている。例えば2014年には文学を愛好する友人たちと「詩の夕べ」と題するイベントを催し、芝居好きな友人が行う詩の朗読に即興でピアノ伴奏をつけた。ドイツ語の詩をトルコ語に翻訳したりもする。読書が趣味で、世界文学だけでなくトルコ文学も努めて読む。Quantaをはじめとした科学雑誌もフォローしている。スポーツ好きで、サッカー観戦は大好きだが、特定チームのファンではない。スキーと自転車も大好きである*1 。
  同じく2015年、高校の最終学年の時のインタビューで「物理に興味があって科学者になるつもりでした。(ピアノの道に進んだけれど)興味はまだ失っていません。来年以降、外国のコンセルヴァトワールで教育を受けながら、趣味として生物学を学びたい」と語っている。しかしその一方で「スキーが大好きで、一時期はスキーに熱中していました。その頃はスキー選手になることまで考えていました」とも*1 。

脚注:

*1- 『アンダンテ』誌2015年6月号に掲載されたインタビューからの転載 https://muziksoylesileri.net/klasik-muzik/can-cakmur-fizikci-ya-da-kayakci-olabilirdim-12-yasinda-piyanoyu-sectim/  

 *2- Quick Sigorta - QBlog 2019年3月7日 https://blog.quicksigorta.com/yasam/dunya-capinda-basarili-bir-genc-muzisyen-can-cakmur-1102  

*3-  TRTラジオ3「若者たちへ」2015年3月

*4- IZ TV「世界の舞台に立つ若き音楽家たち」ドキュメンタリー・ビデオ 2017年

*5- ジュムフリイェット紙2019年1月11日  http://www.cumhuriyet.com.tr/haber/klasik-muzikte-odul-sadece-arac-1198890  

*6- 9 Eylül Gazetesi 2017年9月22日 https://www.dokuzeylul.com/yasam/genc-piyanist-yetenegi-ile-buyuluyor-h83421.html

*7- ミッリイェット紙2019年5月19日 https://www.milliyet.com.tr/pazar/hayatim-boyunca-yapmak-istedigim-isi-buldum-2875831 

*8- Young Musicians on World Stages Q&A 2020年5月7日

*9- SANATATAK 2015年6月5日 http://www.sanatatak.com/view/whiplashten-cok-etkilendim

*10- Bizim İzmir TV 2019年12月19日


*11- 2014年にヴァイマルで開催された「若いピアニストのためのリスト国際コンクール」に出場したが、その時の審査委員長がグリゴリー・グルツマンであった。


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