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ジャン・チャクムル最新インタビュー(2021年12月)―アルバムの収録は音楽人生の一時期を切り取った写真のようなもの

トルコ南部アンタルヤ市において開かれた第21回アンタルヤ国際ピアノフェスティバル(会期:2021年12月11~24日)でのジャン・チャクムル君のコンサートが2021年12月22日、無事に終了しました。当コンサートの模様はアンタルヤ広域市のYouTubeチャンネルで視聴することが可能です。

さて本日ご紹介するのは、本ピアノフェスティバルを前にイエニ・ビルリック(Yeni Birlik)紙によって行われたチャクムル君の最新インタビュー(2021年12月22日付公開)です。
(※過去のインタビューで何度も取り上げられた質問(音楽家になった経緯/過程)を割愛した抄訳になります)


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1997年生まれですね。 その若さでいくつもの国際的な賞を受賞しています。それについて自分自身はどう感じますか?その年齢で手にしたこの成功があなたに感じさせるものは何でしょう?

人にとって成功していると聞かされるのは幸福なことです。その一方で「成功」という概念、特に賞をもらうことが芸術の本質にどれほど合致するかについては、私は懐疑的です。ゲーテは、ヴィルヘルム・マイスター(*1)に登場する一人の吟遊詩人の口を借りて、芸術に関するいくつかの素晴らしい詩を書き上げます。その詩のひとつで、吟遊詩人は王の御前で歌をうたいます。王はその詩を気に入り、吟遊詩人に金の首飾りを授けようとします。これをうけて吟遊詩人は、次のように要約できる詩の行で答えます。
「わたくしに金の首飾りを与え給うな。それは騎士たちに、大臣たちに与え給え。他に担っている重荷とともに、彼らにその金の重みも支えさせるがいい」
この意味で成功を目的と見なすことを、とりわけ芸術とは区別することが重要だと私は考えます。

これまでに出されたアルバムの成功によっても、クラシック音楽界で称賛を贈られていますね。ステージの上で演奏を行うこととアルバムのレコーディングで演奏することの間にはどんな違いがありますか?

コンサートで演奏することとアルバムの収録をすることは、2つの異なる労作であり、異なるアプローチを必要とするものだと思います。コンサートを開くことは一瞬の出来事であり、実際、私たちが経験しているその瞬間にのみ実現し、私たちの記憶の中でのみ残る経験です。したがってコンサートで私が優先しているのはいつでも、聴衆との間にコミュニケーションを築くことになります。アルバムの収録の方は、アーティストの音楽人生の一時期を切り取った写真に譬えています。アルバムを録音することは一瞬の現象ではなく、数日に及ぶプロセスの結果です。したがってアルバムの中の音楽が引き起こす反応は事前に計画され、研究されたものでなければなりません。そのための研究を行うことが特に自分は気に入っています。アルバムの中では、その時期に特に自分が重きを置いている美的現象に注視し、意識的に構成するチャンスが得られるからです。また、この創造のプロセスでは、音響技術者の役割は絶対に軽視すべきではありません。

クラシック音楽にあなたがもっとも惹かれる側面は何でしょう?

その質問に答えるのは正直言ってかなり難しいです。音楽とは究極的には、私たちが価値を帰する程度に意味あるものだからです。 音楽、さらには、より一般的なレベルで芸術が、自分の経験に付き添うにつれ主観的なレベルで自分にとって価値を増す一方で、芸術そのものの中での経験が、自分の人生の上にある種の影響を及ぼしました。この螺旋的な関係の結果として、音楽を最初は無意識に、やがて意味を持たせつつ―豊かな表現手段として見るようになったのです。

あなたは国外でも教育を受けましたね。我が国と国外の音楽教育のあいだの最も明らかな違いは何ですか?

トルコを除けば、ドイツをはじめとしベルギー、フランス、イタリアで教育を受けました。そこで自分にとって最も啓発的だったことといえば、各国のエコールがいかに異なっているか、そしていかに異なる点に重きを置いているかを目撃したことです。その意味で、トルコ対ヨーロッパという比較を行うことがどれだけ可能か、自分には確信が持てません。クラシック音楽教育の中心である大学や私立の教育機関を除き、抱えている問題は世界のどこでも似通っているように見えます。

自分のレパートリーを作り上げる際に、どのようなことに注意を払っていますか?

レパートリーは出来る限り広く持つよう努めています。もちろん季節ごとの計画に従って制限されることも出てきますが、コンサート・プログラムが色彩豊かであることはかなり重要です。その一方でコンサート・プログラムでは、自分が親しんでいる作品や作曲家と、それまで手を伸ばしたことのなかった作品を一緒に並べるよう配慮しています。もう一つの要素は、レコーディング用プログラムはコンサート用プログラムとは反対に、より一方向的であるということです。その意味でCDに理想的なプログラムは、コンサートホール用にはモノトーンすぎるということがしばしば起こりえます。これについてもバランスを守ることを重視しています。

最も好んで演奏する作曲家は誰で、その理由は何ですか?

 最も好きな作曲家はシューベルトだと言えます。シューベルトの音楽の親密さ、直接性にシンパシーを覚えるのです。とはいえシューベルトを弾くのは多大な集中力を要します。彼の音楽が人の頭の中では自然のままに流れていたとしても、その自然らしさにピアノで到達するのは困難かつ絶えず注意を必要とするプロセスです。
ここ最近、シューマンやブラームスとの関係は良好で、ステージでこの2人の作曲家を弾く際には自分を自由に感じます。ごく最近では、ピアノにおける重層性と色彩について取り組んでいました。2人とも、和音と様々な線のそれぞれがいかなる相互作用の中にあるかに密接な関心を抱いていた作曲家です。その意味で彼らの音楽は、現時点で自分の興味を掻き立てるこうしたアイデアの実現を可能にしてくれます。

この後の目標は何でしょうか?

これから数か月のあいだに、シューベルトとシューベルトに関連のある作曲家たちの作品のCDレコーディングを開始することになります。これは長期に及ぶ、何年もかかる仕事です。その一方で、コンサートも継続します。今季についてはトルコ国内、イズミル、アダナ、イスタンブルで演奏の予定です。5月か6月には、アドナン・サイグン、バルトーク・ベーラ、ディミトリ・ミトロプーロス、ジョルジェ・エネスクの作品を収録したCD(*2)が発売される予定です。

アンタルヤ国際ピアノフェスティバルでステージに立ちますね。どのようなコンサートになるのでしょう?

このコンサート用に、シューマンとシューベルトを中心に据えたプログラムを準備しました。シューマンの『パピヨン』とピアノソナタ第2番がプログラムの半分を構成しています。パピヨンはあたかも様々なワルツとポロネーズで出来上がった音楽の万華鏡であり、ピアノソナタ第2番はより古典的できめ細かに編まれた作品です。プログラムのもう半分にはシューベルトのピアノソナタD 959 があります。この作品は聴き手を40分かかる旅に連れ出します。 私が思うに、この作品のもっとも特徴的な面は、辿りついた感情的な深みと多様性です。ヌーリ・ビルゲ・ジェイランは『冬の眠り』(*3)という映画でこの作品の第2楽章を極めてドラマティックな形で用いました。


訳注:

*1- ゲーテ『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』とその続編『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』のことと思われるが、吟遊詩人のエピソードがそのどちらに登場するかは不明。

*2- このCDはチャクムル君にとって3枚目のアルバムにあたり、2021年5月に収録が終わっている。プログラムは、アフメット・アドナン・サイグンのピアノ・ソナタ、バルトークのピアノ・ソナタ、ディミトリ・ミトロプーロスの「パッサカリア、間奏曲とフーガ」、ジョルジェ・エネスクのピアノ・ソナタ第3番という東欧~バルカン地方に生まれた20世紀音楽からなる。


*3- ヌーリ・ビルゲ・ジェイラン監督『冬の眠り』は原題《Kış Uykusu》(2014)、日本では『雪の轍』というタイトルで2015年に劇場公開された。


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