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ジャン・チャクムル最新インタビュー(2022年3月)―「心から来るものは、心へと届くべき」―

本日ご紹介するのは、「シューベルトの後を追うピアノの天才、ジャン・チャクムル」というタイトル*1で文化芸術関連のトルコのデジタル新聞LİTROS SANAT紙に掲載されたジャン・チャクムル君の最新インタビュー(2022年3月16日付公開)からの抜粋です*2

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一日にピアノに割く時間はどれくらいですか?

気の向くままにピアノに向かったり、様々な作品の楽譜を読んだり、室内楽をやったりする時間も合わせると、音楽が自分の一日の大半を占めています。ピアノの練習はそれとは別に考えています。プロのアスリートが行うトレーニングのように私が自分で組み上げた練習ルーティンがあるのです。これはその時のレパートリーの負荷によって異なり、3 時間から7 時間になります。私にはひとつのモットーがあって、できるだけ少なく、ただし必要なだけ多く練習しなければならない、そう考えています。さもなければ人は、何かひとつの仕事に向かうアマチュア精神を、その素晴らしい面を忘れてしまいます。

自分で作曲はしますか?

古典派時代の協奏曲にカデンツァを書いたり、シューベルトやシューマン、ベートーヴェンの歌曲をピアノ用に編曲したりした他は、作曲活動をしたことはありません。書き始めた作品は完成させられませんでした。おそらくいつの日か、自分は作曲家として進みたいと確信が持てる方法を見つけるだろうと思いますが、そのプロセスを自分に強いることは絶対にしたくありません。

自身の成功の理由は何だと思いますか?それだけ良いピアニストになるためには練習だけで十分でしょうか?

目的のない練習は、私が思うには時間の損失です。練習を重ねることでどこに到達することを目指しているのか、これを自覚している限り何ひとつ不可能ではないと考えます。その練習プロセスは長く辛いものかもしれませんが、私たちがその自覚と自制心を保っている限り、より良い芸術家になれるものと確信しています。またキャリアという意味において、成功は、自分たちの力が及ばない要因に縛られることもあるということを忘れてはいけません。適切な時に適切な場所で、適正な考え方を持つことの重要性は軽視できません。

あなたを表す素晴らしい言葉があります。「ピアノのプリンス」や「ある種の天才」といった・・・このような言葉を聞いた時にどう感じますか?

そのような言葉を聞かされるのはもちろん大変に素晴らしいことですが、芸術とはそのように個人に焦点が当てられるべきものではないと信じています。

コンサートの録画・録音を後で観たり聴いたりすることはありますか?その際、自分のことをどう判断しますか?

録音は、もしコンサートが終わった時、あるいはスタジオから出てきた時に自分が幸福だったなら聴きます。将来もっと違うかたちで弾きたいと思った部分や特に気に入った箇所を自分の記憶に刻むのです。万が一、コンサートに満足がいかなかった場合、どうして満足いかなかったか分かっているなら、録音を聴く必要は感じません。確信が持てない場合は、録音を聴き直して分析します。

ステージに上がる前にやっているおまじないはありますか?準備のプロセスはどんなものですか?

ステージに上がる前の特別なおまじないはありませんが、筋肉をほぐすために両手を温かい水で洗うようにしています。ステージに上がる恐怖に立ち向かわないで済む音楽家の数はおそらく大変に少ないことでしょう。周期的に、私にも相当上がった時、緊張を強いられた時がありましたが、昨シーズン以来、ステージ上でのストレスを感じなくなりました。コンサートの日、その夜に演奏するプログラムを、決して自分に無理強いすることなくやり通します。これが、そのプログラムを演奏したいという気持ちが自分の中に目覚めることにも繋がっている気がします。

あなたのやっているクラシック音楽とは・・・ポピュラーミュージックについてはどう考えます?最新のものを押さえていたりはしますか?

それは、ポピュラーミュージックとクラシック音楽(芸術音楽という用語を私は使うようにしています)との間の線を私たちがどこに引くかによると思います。そのふたつの間に堅固な仕切りがあるとは私は思いません。バロック音楽の即興演奏の骨格をなすコード進行からミニマル・ミュージックへ、そしてそこからテクノミュージックへとつながる道筋のどこに、こうした仕切りを設けることができるでしょう?ソレルファンダンゴベートーヴェンのピアノソナタOp. 111との違いは、自分が思うには、ソレルのファンダンゴとヨーロッパが歌う曲「ファイナル・カウントダウン」との間の違いよりもずっと大きいということです。クラシック音楽に対し、今日まで私が先入見をもって向き合ったことは一切ありません。ベートーヴェンがこう言っているように。「心から来るものは、心へと届くべき」*3と・・・

まだ若いにもかかわらず大変素晴らしい成功を収めましたね。これから10~20年後に自分が目指しているのはどの地点ですか?

今から3年前に、パンデミックによって日常生活の全てが棚上げになることを誰が知りえたでしょうか?これから10年後にどうなるか、誰が知りえるでしょう? 現時点では、コンサート生活が少しずつ戻ってきています。パンデミックの過程で自分が行っていた練習や研究をステージで試しているところです。それがどこへ向かって発展していくかは、まだ自分にも分かりません。おそらく分からない方が、実際に経験する方がずっと良いのではないでしょうか。

アルバムを出す考えはありますか?

これまでに4枚のアルバムを収録しました。そのうち3枚はスウェーデンのBISレコード用、1枚はベルギーのアルファ・レコード用です。最新の録音は5月に発売になります。プログラムは、サイグンバルトークエネスクの各ピアノソナタ、そしてミトロプーロスの「パッサカリア、間奏曲とフーガ」です*4。近々BISレコードとの間で、シューベルトのピアノ作品全曲(完成作品のみ)とこれらの作品に触発された10人の作曲家の作品を収録することになる12枚組のアルバムの制作が始まります*5

これまでのステージで最も特別だったステージはどれですか?

昨年フランスで行われたビアリッツ・ピアノフェスティバルと、日本の鹿児島にあるみやまコンセールで行われたコンサートでは、ことのほか幸福にステージを終えたことを覚えています。

「この芸術家と同じステージに立つのが夢」といえる名前はありますか?

鈴木雅明氏と一緒にコンサートをやりたいという強い希望があります。バロック音楽に関する彼の録音からは非常に多くのことを学びました。

その後ろを追いかけ、自分の範とした芸術家はいますか?

真剣にピアノを弾き始めた日からこれまで、バリトン歌手ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウが自分にとって最大のインスピレーションの源です。

それでは、あなたが最も感化された作品はどれですか?

一般的には、その時に自分が弾いている作品に夢中になるのですが、2つの作品―2つともピアノ独奏作品ではありませんが―は自分のなかで特別な場所を占めていると言うことができます。それはシューベルトの歌曲集「冬の旅」シューマンの「ゲーテの《ファウスト》からの情景」です。

何百年も昔に作曲された作品を演奏していますが・・・これらの作品には魂が宿っていると思いますか?

作品が過去から携えてきた、聴く者全員にとって非常に主観的な経験というものは絶対にあります。それが「魂」であるとは自分には言えません。音楽において私たちに影響を与えるものが呼び起こす印象であると考えます。これは具体的な記憶であると同じく非常に抽象的なもので、潜在意識に残った印象なのかもしれません。


訳注+訳者の個人的コメント:

*1- 大仰なタイトルですね…おそらくチャクムル君自身は天才と言われることを好まないと思うのですが・・・。質問の方も、時々馬鹿げた質問があるので、心なしかチャクムル君の回答もイライラしているような印象を受けました。

*2- ピアノを習い始めた経緯や浜松国際ピアノコンクールでの優勝に関する質問は、過去のインタビューで繰り返し取り上げられており、回答も重複していることから割愛してあります。

*3- ベートーヴェンが「ミサ ソレムニス」の楽譜上に記した”Von Herzen-Möge es wieder-Zu Herzen gehn!"という言葉に相当すると思われます。以下のページでは「日本語訳では、『心から出で-[願わくば再び]-心へと至らん[入らん]ことを/[心に向かうように]』等と訳される」と回答してありますが、ここではチャクムル君のトルコ語に沿って口語調で訳しました。


参考ページ:

*4- BISレコードから出る3枚目のソロアルバム『without borders/国境なきピアノ曲』は、日本では輸入版が4月中旬、国内仕様版が5月中旬の発売予定となっています。



*5- 今月(2022年3月)、この1枚目に当たるCDのレコーディングが予定されています。

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