笑いの言語化|笑いはどんな時に起こる?どうやって起こす?
誰しも一度は思うはず。
「面白い人間になりてぇ~!」
ああ悲しきかな、そんな簡単にはなれんのですよ。
私もその一人です。
ということで、ここ最近面白い人になる方法を考えてました。
とりあえず、面白い=人を笑わせる人 なんだから、「どういう時に人は笑うんだろう」っていう根っこの部分を考えてみようってことで書いた記事がこの記事です。
では、お楽しみに↓
結論 人は、普通じゃないことが起こったと理解した時に笑う
結論は、人は、異常なこと(普通じゃないこと)が起こったと理解した時に笑うってことです。
そんでもって、そこに安心できる場があるとなお良いってことです。
↓説明はこちら
笑いが起こる条件の言語化
人は、普通じゃないことが起こった時に笑う
私たちがどんな時に笑うことがあるのか、少し考えてみましょう。
例えば、誰かが転んだ時、バカなことを言った時、間抜けなことをした時、などなどです。
で、どうやら僕らが笑う時ってのは何か共通点があるぞ?と気づいたんですね。
それが、「普通じゃないこと」が起こったと「理解」した時 っていうことです。
大まかな全体図: 「変なことが起こる」→「それに気づく」→「変なことだと理解する」→「笑う」
考えてみるとどこかしら普通じゃない部分があるんですよね。
安心できる場所があるとなお良い
例えば、厳しい環境に置かれている人、(例:上司から説教されている部下)が、急に「ブーッ!」っと大きなおならをして大爆笑みたいな話ありますよね。
緊張と緩和ってよく言いますね。
で、これ、緊張が緩和してくれればいいんですが、緩和しない時ってのはもちろんあると思います。その状況がどんな状況か考えてみます。
例えば、↑の上司の叱責が殊更に激しかった場合はどうなるでしょう?もちろん、部下がおならをして笑いが起きることもあります(可能)。だけど、激しくなればなるほど、笑うのは難しくなっていきませんか?
つまり、安心できる環境は必須ではないんだけれど、笑っている時、少なくとも安心感はある。ので、安心できる場所はあった方が笑いやすいってことです。
緊張してた方が爆発力はありそうですけども
「普通」には、色々な指標が絡んでいる。(一般常識、想定、ネタの設定など)
例えば、「一般常識」の普通から外れたもの
「下ネタ」・「品のない行動」・スタンドアップコメディの人種差別など、「差別的な言動」
人々の「想定・予想」から外れたもの
例えば、ダンス初心者がいきなり踊らされたらヘンテコな動きをしてしまうなど。
→本来の振り付けという「想定の普通」からの逸脱。
その場その場の「常識」の普通から外れたもの
例 話の流れ、ネタの世界観などから逸脱した発言、行動。
「日常」から離れたものなどなど。
ただ、たまにややこしいものがあってですね。
というのは、「面白いと予想がついてるもの」です。
例えば、道の真ん中にバナナの皮が落ちてて、酔っ払いが
歩いてきましたよって時に、転ぶのは予想がつくじゃないですか。
だけれど、笑うことはありますよね。
これは、みんなの「想定」の範囲内なんだけども、「日常」の範囲外。つまり、二つの指標が混ざった結果は、「普通」から外れた「異常」だった。ということです。
上記のことを踏まえて
つまり、色々な指標が組み合わさって今の「普通」ができている。だから、人を笑わせる際には、今の「普通」がどこにあるのかに意識を向けて発言するべき。
人によって笑いのツボが違うように、「異常性の感じやすさ」
「その人の中の普通」は個人差があります。これも「今の普通」に含みます。
「今の普通」の移り変わり方
まず、「今の普通」が移り変わるとはどういうことか説明します。
上司が部下に説教をしている例を使って説明します。
まず、上司が部下を叱った時(緊張属性)、状況は、「緊張」側に寄ります。
つまり、その場の常識が「緊張」側に寄るってことです。(皆「今ふざけたら駄目だ」と思う。)そんで、部下がバカなこと(緩和属性)、つまり、その場の常識から外れたことをして、笑いが起こると、その場の常識が「緩和」側に寄ります。
これが、「今の普通」が移り変わるってことです。
簡単に言うと、「慣れる」ということ。同じことばかりし続けると面白くなくなるのは、それに慣れてしまうから。それがスタンダードになるから。
次に、移り変わり方について考えます。
まあ激しいと緩やかとその間のグラデーションしかないんですけど
まず、緊張に向かっていく例を使って説明します。
変化が激しいとき
緊張の糸が一気に張り詰める時、例えば、何気ない一言が人を怒らせて、その人が怒鳴った時(この時、怒鳴る=異常)。「今はふざけたことを言ったら駄目」といった類の「常識」へと急激に変化します。(同時に、こうなった時は、「怒鳴る=普通」という「常識」に寄る。)
変化が緩やかなとき
ゆっくりと緊張に向かっていく時、例えば、友達同士(A、Bとする)の、遊びの貶し合いから始まり、だんだんとエスカレートしていく時。この時、周囲の人々は、大体A、Bがこの後どんなことを言うか「予想」がつく。つまり、A,Bの発言は、「その場の常識」から少しだけ外れた状態(少しの異常性)。同時に、「その場の常識」は緊張側に寄る。で、これが繰り返されていく。ABどちらかが、少し過激なことを言う→「その場の常識」が緊張に寄る・・・繰り返し という感じ。
んで、ここに長ったらしい話が面白くなりにくい理由があります。
↑の二つを、笑い話をする時に置き換えてみると、
変化が激しい時
異常性を生み出しやすい。→普通からのずれによって笑わせやすい。
変化が緩やかな時
↑に比べて異常性を生み出しづらい。かつ、話を聞く側が常に慣れた状態が続く。
→普通からずれないため、笑わせにくい。
つまり、「その場の常識」からの変化幅が小さいと、異常と言えるほどの変化を生み出せず、人々の「普通」の範囲に収まってしまう。同時に、「今の普通」は、そっちの方向(例えば話の内容)に寄ることによって、どんどんどんどん、内容の異常性が薄れていってしまう。だから面白くなくなっちゃうんです。
だから緩急が大事ですよーって言われるわけです。
笑わせるためにどんなことをすればいいのか考えようじゃないか
つまり、人を笑わせるためには、「今の普通」から外れた、異常性を作り出す、提供することができなきゃいけないわけです。
では、「異常」を作り出すためにはどうすればいいのか? それは、「異常」がどんなものなのか理解する、つまり、インプットをしなきゃいけないんです。
インプットするからアウトプットできるんです。
異常に触れまくりましょう。
異常性を作り出すために
日ごろから普通じゃないことを探す・・・A
普通じゃないことは起こってないか、普段から観察しましょう。なかなか見つけられない時は、粗探しとか、なんなら、難癖をつけるでもいいですよ。結局それって、異常を作り出す練習ですし。
例えば、「箱ティッシュに、開きやすいようにミシン目あるやろ?あれ俺嫌いやねん。
なんかターゲットに誘導されとるような気がすんねん。もう俺は掌の上や!」とか
「不細工って細工してないんやから別にええやろ!」とかとか。
面白い例を知りたいなら「人志松本の許せない話」とかいいですよ。
みんながおかしいと思わない所からうまい具合に異常を作り出してます。
あえて人と違うことをしてみる・・・B
基本的に、数が多いのが「普通」なんですね。つまり、多くの人がしない方をすれば、自ずと「異常」に触れることができます。
例えば私は、利き手じゃない方の手で箸とか使ったり、
色んな食べ物にとんかつソースかけて食べたりしてます。
これで、普通じゃないことを試すのが遊びになるし、
そういう姿勢も自然と身に付きます。
(あと結構恥ずかしいけど、過ぎ去っていく電車の中の人に
向けて手を振るとか。)
異常な展開を妄想する
僕らの当たり前の「日常」からあえて外れた妄想をしてみましょう。
例えば、普段僕らって歯の裏側とか見ないじゃないですか。
で、歯医者さんに行ったときに、裏側の掃除もされると思うんですが、
その時に、裏側にだけ入れ墨みたいに、絵描かれてたら面白いよなとか
妄想してます。
↑こんなのじゃなくても、例えば、「あそこで歩いてるおじいさん、すっ転んで肥溜めに落ちないかな」とか、そんなことでもいいですよ。
A,Bで蓄積した異常なことをどう伝えるのか考える
伝え方は大体「話」「ボケ」「ツッコミ」の3つに分類できるかな、と思います。
・話
単純に、「~だったら面白いよね」みたいなタラレバでもいいですし、「すべらない話」みたいにストーリーを作って話してもいいです。
・ボケ
蓄積したものを活用するのであれば、「モノマネ」が一番やりやすいかな、と思います。「この前見た酔っ払いの真似~」みたいな感じです。
・ツッコミ
これは、例えツッコミが一番活用しやすいと思います。自分が見つけた普通じゃないこと、人に例えてツッコみましょう。
例外的?な笑い
ていうのは、人を嘲るとか、見下す時の笑いですね。これはなんていうか、 自分の中で完結するってより、攻撃するための手段。あくまで攻撃が主体って感じです。
ただ、やっていることは普通に笑う時と変わらないと思います。
相手の異常を見つける or 難癖をつける ・・・つまり異常を作り出す
そして、笑う。って感じ。ツッコミと似ておりまする。
まとめ
人は、普通じゃないことが起こった時に笑う
様々な普通の指標が混ざった、「今の普通」を見極めることが重要。
人を笑わせるために、異常性を作り出さなければならない。→そのために、普通じゃないことのインプットをしよう。
これにて終了~
あとがき
「異常性を作り出すために」みたいな how to はやっぱり読んでてつまらないですね。どうしても再現性がある方法を書かなきゃならないので、普通の範囲内に収まっちゃう。やっぱり、根本の部分、考え方と簡単な例だけ説明して、「あとは自分で考えてね~」の方がいいのかしら。
考えてみると当たり前なんだけれど、やっぱり僕らはどうしようもなく非日常を求めちゃうんだな、っていうのを記事書いてる最中に思いました。(安定した環境にいつつ、非日常を持ち込みたがるみたいな)
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