夢って、積極的な夢と消極的な夢っていうのがあって、日本人?現代人?Z世代?の人間って積極的な夢を夢だと思い込んでいるから、夢が見つからないと思いがちなんだけど(不景気等の環境要因も然り)、そうじゃなくて、これはやらないって消去法で出てきた夢は消極的な夢かもしれないけど立派な夢と思う

https://note.com/verbalization888/n/nc536c09a2fee


「そういえば、noteに書くとか言ってなかった?」


と、「腐れ縁」の友人KMに言われ、これに関しては自己完結してなんかおもろくなさそうだなあって思って書くのをためらっていたのだが、書いてみることにする。



「積極的な夢」と「消極的な夢」

 まず、冒頭にあるのは自身のツイート、あ、ポストであるが、数人から意見を求めていると、気づくことがあった。


「積極的な夢」「消極的な夢」という言葉自体がおかしい

ということである。


「積極的な夢」「消極的な夢」って

そもそもそれって

「他人(ヒト)目線ではないか?」

ということである。





「日本人」「現代人」「Z世代」


 自分自身、


「日本人」「現代人」「Z世代」

などと

くくられることが苦手である。


なぜ、苦手かというと、

 「何かにくくる時点でくくる相手側は考えることをやめてしまっている」



思うからである。


 例えば、そもそも「Z世代」同士で

 「うちら、Z世代じゃん?」(なぜギャル風?笑)

とはならないと思うからである。


 大抵の場合はどこかのアタマノオカタイ経済人どこかのオトナ


「はい、彼らは『Z世代』ね」

「はい、君たちは『ゆとり』ね」


とカテゴライズしてるに過ぎないと感じてしまうからである。


 彼らは自分たちのオカタイおつむでは理解出来ないことをそのような言葉でくくることによって、自分たちの意見を正当化しようとしているように感じてしまうのである。

つづく(?)


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