随分と空いてしまった。 最後にここに投稿してからも、色々と思うことは多く、天使と会話していると言いながらも、迷いや葛藤も多い。他人に何か伝えられるような立場では無いようにも思うが、サポートしたいとは思う。 さて、少し前からインスタグラムにて投稿を再開した。今上げているのは天使からのメッセージ。 一日に何度も投稿したかと思えば、何週間も期間が空いてしまったり。 その時によってメッセージをくれる天使が違う。 子供のような無邪気な存在や、叶姉妹の恭子さんのような存在と、様々だ。
私は、上の存在と会話をする。 天使や龍のような存在だ。 なぜそうなったのだろう。 遡って考えてみると、十数年前に経験した離婚調停の最終局面での恐怖の時がきっかけかもしれない。 その時は会話をしたわけではなく、あまりの恐怖と不安に押し潰されそうになっていた時に、藁をもすがる思いで、それに関わるみんなにとって最善の状態になるようにということと、この感情の苦しみを取り除いてくれるよう、大天使ミカエルにお願いしたのだった。 その場面で唐突に大天使ミカエルが頭に浮かんだのでは
以前、目を閉じて、自然の中にいる妄想をしているときに現れた白い龍に、どこの龍か尋ねたところ、「すわ」と言われて、諏訪四社を含む諏訪湖周辺に旅に出た話を書いた。 帰ってきて翌日か翌々日あたりにふと、また次に行く所があるのだろうかと思い、龍に尋ねたところ、「十和田湖」と言われたところまで書いたかと思う。 どちらも立派な神社があるのだが、(私自身、神社は好きだけれど、特に神社巡りをするほどではない。)この龍に私は、諏訪大社とか、十和田神社などとは言われないのだ。 ただ私が聞き取
子育てについて。 というか、小さな子と手を繋いで歩くことについて。 息子たちはもう中学生なので小さい頃のことなんだけれど、 周りの友達の子育てやネット記事、あるいは街中の小さな子ども連れの方などを見ていると、手を振り払ってどこかに行ってしまうとか、手を繋いでくれないとか、そういった類の話にしょっちゅう遭遇した。 私に関して言えば、手を繋ぐことを嫌がられた事や、振り払ってどこかに行ってしまうということは一度もなかった。 何が違うのかずっと謎だった。 子供が臆病で、マ
またまた龍の話。 というか、エネルギーの話。 天使にしろ、龍にしろ、それはエネルギー体であって、人間が知覚できる人間のイメージした形に合わせて現れると言うけれど、まさにそうだと思う。 目を閉じた時に、龍の姿で見える時もあれば、エネルギーの線のような状態で見える時もある。 私の場合、瞑想状態で、目は閉じても開けてもいいのだけれど、第三の目辺りか松果体に意識を集中しているとエネルギーの流れが見える。 これも私の場合だが、目を開けている時と、閉じている時では、見えるエネル
私は、こんな事があったの。面白いでしょう。すごくない?という事が目的なのではなくて、 私の不器用丸出しの生き方を書いて行くことで、読んでくださった人の何かしらのヒントになったりしたらいいな。と結構真面目に思っていたりする。 その中の重要な一つとして、出会った龍の話を何度か書いているのだが、 登場の仕方が毎度唐突なのだ。 私の場合は、瞑想状態で目を閉じた時に現れるのだが、想像通りにはいかない。 私の想像通りとは、サッと出て来てメッセージなり何かを伝えてくれるといったような
貸切状態のマイクロバスで、諏訪湖を眺めながら上諏訪駅までの道を楽しんだ私だが、電車の本数も限られていることを忘れていた。 一瞬、諏訪湖に沿って、徒歩で下諏訪駅を目指すことも考えたが、体力温存だ。やはり電車を待って、下諏訪駅まで向かうことにした。 何が起こる分からないから、先に諏訪大社の四社を全て回ってから、諏訪湖を眺めに行こうと決めていた。 秋宮から回ったが、迷うことなく着くことが出来た。 最後の春宮は、唯一、道に迷ってしまったが、直ぐに見つけることができた。 春宮
ある時、半分うたた寝、半分妄想中に急に出てきた白っぽい龍に、どこの龍かと尋ねたら、「諏訪」とだけ言われた私。 これまで、そんなことをした事がないけれど、行くように促されてるのかなぁ。やっぱり。という感覚が日に日に強くなったため、計画を立て始めた。 私が単に知覚出来なかっただけかもしれないが、「諏訪」という情報しかないため、諏訪湖なのか、諏訪大社なのか、どちらもなのかは分からなかった。 結局、日帰りで、諏訪湖と、諏訪四社巡りをすることにした。 なんだか、調べてみると、交
私は少し前に、どこか、自然の多い場所に行ってしまいたいなあ。 とか、 どこか、そう遠くない、もっと自然が多いところで暮らせたらなあ。長野県辺りはどうかな。 そうだ、水辺の付近で暮らしたりしたらいいなぁ。 などと、漠然と妄想を繰り広げていた事がある。 ある時、ぼーっと、ゆっくりと目を閉じて、自然に囲まれている妄想でいい気分に浸っていたら、急に、どっしりしっかりした、白っぽいキラキラとした龍がぐわんときて、ぐるりと回った。 わあっ、と思わず、どこの龍さん?と問いかけたら 「
今回のこれは、見えるではなくて、聞こえるなんだけれど。 ある時から、自分のやってる事や、今自分のいる状況など、これでいいのかな。などと物思いにふけってる時に、ウィンドチャイムの音が聞こえてくることが度々あった。 ドアや窓の所にかけるようなものではなくて、 パーカッションの人が演奏するような、グリッサンドというか、下から上までしっかり音程がグラデーションになる、長細い木のパーツに、金属の細い筒が何十本もぶらさがったタイプのやつだ。 あまりに急に、あまりにしっかり聞こえるの
さて、特定の現れ方をする白い蝶が、祖母だと思い込んでいる私なのだけれど、他にも信じている存在がある。 それは天使だ。 ただ1つ残念なお知らせがある。 タイトルには見えるものとしてあるが、私は天使の姿を見た事はない。信じているだけだ。 モラハラ夫と離婚する際、話し合いがつかず、調停に持ち込んだ。 何ヶ月もの間、いくら回数を重ねても相手は一歩も引かず、私は先のこと、特に子供のことを考えては苦しみ、つらい日々を送っていた。 今なら、心療内科にかかってみるだとか、心のケア
辛い結婚生活中、幼い息子を連れて、近所の公園に行くのが毎日の日課だった。 家に帰ると地獄感強めではあるものの、辺り一帯は緑も多く環境が良くて、家を挟んで真逆の方向に2つお気に入りの公園があった。 ある真夏の日、いつも通り、長いゆるやかな下り坂をベビーカーを押しながら歩いていた。 すると、どこからともなく、白い蝶がとんできて、私に伴走するように目的の公園付近までついてきたのだ。 公園に入って、もう一度蝶に視線を向けたけれど、もうどこにもいなかった。 真夏のこんな暑い日
考えてみると、傍から見た私の印象とは裏腹に、私は随分とドリーミーな世界に生きているようだ。 それと同時に、常に、もう1人の私が私の事を冷静に見ている。 私は亡くなった人や、幽霊のようなものは見えないんだけれど、思い返せば不思議な体験はしている。 よく振り返ってみたら、自分も不思議な体験の数々に出会っていたという人は、多いんじゃないだろうか。 少しづつ、書いていってみようと思う。 物心つくかつかないかくらいの時には、多分一度だけ、宇宙船のようなものに乗っている夢を見た
今日のちょっと不思議なこと。 登校拒否中の息子と、矯正歯科に行った帰り、駅から家まで歩いていた。 とりとめなく会話をしながら駅から家まで私と歩くのが、今の彼にはちょうど良い散歩になり、気に入っているらしい。 所要時間は20分程。 私たちは、地元の小さなショッピングモール風の建物の外の広場を突っ切って歩いていた。 すると、どこからともなくクレープのような、甘いいい香りがしてきた。 そう私が思ったと同時に、息子が「クレープみたいな匂いしねぇ?」と言った。 やっぱり!
そうそう。 これは龍だ!ってわかる前、全身を見る前に、もう1つ面白いものが見えたんだった。 それは 目。 め。 目だけ。 大きくて座った目。 見た時、私が思ったのは 「え、不機嫌な男の子の目だけ?」 だった。 我ながら意味不明。 全体像を見て数日経ってから、 「そう言えば、あれは龍の目じゃん!」 と理解した。 でも、現れ方がなんともユニーク。 前に、私が驚かないようにと思っての事かもしれない・・・なんて書いたけど、思い出せばだすほど、いたずらっ子
さて、昨日は、寝入りばなに目を閉じたところ、龍が出てきた話を書いたのだけど、実際のところ、それまでの私は龍そのものに特段の興味はなかった。 ここまでの流れの中で思い当たることといえば、昨年12月辺りにYouTubeで見た動画で、カタカムナというものが取り上げられていたのだけど、それを見てからというもの、カタカムナの渦巻きや文字そのもののフォルムがどうにも可愛らしく魅力的に見えて、本を読んでみたりしていた。 そこから数日のうちに、古代文字繋がりで、龍体文字や龍踊文字というも