性善説と性悪性

会社経営をしていると、時々、言葉として出ますが、そもそもずっと、意味を誤解していました。人を信じるか、信じないかの議論になりがちですが、実際の意味は以下とのことです。

「人は生まれつきは善だが、成長すると悪行を学ぶ」というのが性善説、 「人は生まれつきは悪だが、成長すると善行を学ぶ」というのが性悪説です。

 つまり、どちらの見解でも結局「人は善行も悪行も行いうる」のであって、 これは人を信じるかどうかとは関係のない話とのことです。

正しい定義を知ったうえで、改めて会社経営でどう考えるべきか、考えてみました。

人には心の強さも弱さもあり、善行も悪行も行いうる、とすれば、善行をよりやりやすく、悪行はよりやりにくい、ように会社の制度設計をすべき、ということになります。

内部牽制の組織を作ったり、内部監査を行ったり、監査役や監査法人の監査を行なったりして、そもそも悪行ができないようにすることは非常に大事ですし、やはり組織にはしっかり規定やルールを作るべきだと思います。

規程やルールが多数あるのは、社員を信じていないとか、自由を奪い善行を行うことを抑制するような議論もあります。しかし、日本における本質的な問題は、メンバーシップ型採用とも関連しますが、形式的なルールは一見すると少ないが、実は暗黙のルールが多く、その暗黙知が同調圧力になっていることです。外資系企業では、厳しいルールが設定されていますが、明記されたルール以外の暗黙のルールは存在しないため、逆に目に見えるルールにだけ沿っていれば、自由です。日本は、職務の定義もなく、権限責任も曖昧で、一見自由で、実は不自由で、後出しが多いところがある気がします。

また、性善説的な考えで、曖昧なルールの中で運用すると、自由に見えて何かあった場合、会社から社員に責任が実は転嫁されている場合があります。社員に責任を負わせるくらいなら、会社でちゃんと責任が取れる形にすべきでしょう。

IPOの前、また、その後からは、インサイダー情報の管理なども重要になってきます。その際、これまで月次決算などの情報をオープンに社員やそれ以外の派遣やパートの方まで開示していた会社では、悩ましい判断が求められます。

一つは、継続してオープンな開示を続けることです。オープンであることは、もちろん、会社の経営姿勢として素晴らしいし、社員の主体性をより引き出す制度の一つだと思います。一方で、採用・教育含め、会社側でしっかり責任が取れる状況があってこそですし、当然、社員側にもそれなりの責任があることを皆がちゃんと理解して運用すべきです。

もう一方は、開示内容を制限することです。これは社員を信じている、いないの話ではなく、不要なレベルの責任を社員に負わせないことです。実際、社員の全員が全ての情報にアクセスしたい、とは限りません。開示制限をすることもまた、社員を守るためでもある、とも言えます。

人は、善行も悪行も行いうる以上、会社単位で性善説、性悪説という議論よりは、会社全体のパフォーマンスが最大化され、悪行は制限され、善行はしやすいように、費用対効果も踏まえつつ、会社の各種の制度設計をすべきですね。

このあたりは、最近の在宅勤務の制度設計でも、極めて重要です。

ついつい、うちの会社は性善説で制度作っている、というと、社員を信じる会社で、性悪説で考えると、社員を信じていない会社、みたいな誤解も生じやすいので注意しないとかな、と。


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