見出し画像

「感謝」で本当に人は幸せになれるのか?やってみた。

美輪明宏さんの言葉に、「幸せとは、充足感。」というものがあります。
お風呂に入って気持ちいいという幸せ。でも30分や1時間経つとのぼせてしまう。しかしまた次の日も同じことをして幸せを感じることができる。
幸せや満足は、その瞬間に感じるものであって、状態ではないのです。

だからこそ、日常の瞬間瞬間に「感謝をする」ことによって常に自分を満たしてあげることで幸せを永続的に感じることができる。と美輪さんもおっしゃっています。

以前もご紹介した世界をわかりやすく – Kurzgesagtさんの動画でも「幸せと感謝の関係」について解説されています。

ここでは「日々の小さなことに目を向け、感謝をすること」が解説されていますが、私が面白いと思ったのは「感謝特性」についてです。

人が感謝を感じるレベルやタイミングは、遺伝子や性格、文化によってそれぞれ違うようです。つまり、同じ物事に対して感謝を強く感じる人とそうでない人や、同時に申し訳なさ(負債感)を感じる人、物事が起こってからしばらく経って感謝を感じる人、など様々なのです。

文献:https://tasukuigarashi.com/lab/wp-content/uploads/2015/02/Shiraki_GQ-6.pdf

上記の動画に倣って、私も少し前に「感謝ジャーナル」をつけてみました。
・すごく晴れていて散歩が気持ちよかった。
・メルカリで温かいレビューを書いていただいた。
・炊飯器を洗えた。
・散歩していたらビアフェスやってた。昼間からビール飲めた。
・ファミマの店員さんが丁寧だった。

大きいことから小さいことまで、今見返すと「そんなこともあったなあ」と忘れていたことばかりです。
やってみて感じたのは、私はおそらく感謝特性的には感謝を感じにくいタイプなのかなと思いました。

先ほど記載した文献の中に、

~~~東アジアの実験参加者は自身の存在を他者との関係の中に位置づけるため、北米の実験参加者よりも、返報の義務、つまり負債感を感じやすい ことが示された。

感謝特性尺度邦訳版の信頼性および妥当性の検討/
白木優馬・五十嵐祐(名古屋大学大学院教育発達科学研究科)

といった考察が記載されていました。

私が感じたのもこの通りで、感謝ジャーナルをつけるタイミングになって、
「よく考えたらこれは感謝することだったな。これだけ親切にしていただいたのに、私の反応は快いものだったかな?感謝を感じると同時に自分自身も感謝を伝える振る舞いをもっと意識しなければいけないのでは?」
というふうに考えていました。
私は損得勘定が強い人間だと思うのですが、それ故に感謝と同時にそのお返しを意識してしまうのです。

これは自分が社会に与える良い影響につながると思うのですが、感謝を感じようとするあまりその周囲についてくる感情により、自分自身が純粋に「日常に幸せを感じる、小さな幸せを逃さないようにする」という目的からは遠ざかってしまいます。

では私のような人間がどのようなことであれば「瞬間の幸せ」を感じられるのか?ということを考えた結果、「感謝」というニュアンスではなく、
「自分いいな、と思った瞬間」でいいのかなと考えました。

自分が能動的に起こす行動それ自体が楽しかったり、それによって得られた結果が良いものであったときに、私は「幸せ、充足感」を感じます。
そこに自分がどうするか以外の偶然性は必要ないですし、他人からの振る舞いに対しての負債感はありません。

読んだ小説が面白かった、新しい言語を読めるようになった、普段は見ないような動画を見た、顔が赤くなるほど汗をかいた、部屋をきれいにした、等
自分の好奇心が赴くままに行動した結果の良かったことが、私の幸せなんだと思います。

これらの能動的行動からの幸せを感じるためには、それなりに自分の中に余裕がないと難しいです。人によっては私の幸せの感じ方が全く合わない場合もあると思います。
しかし共通しているのは、幸せや満足は、その瞬間に感じるものであって、状態ではないことと、その上で幸せを感じる瞬間についていろいろな手法を試してみることが大事であることだと思います。

「感謝ジャーナル」は私にとって良いヒントになりました。また感謝特性については純粋に面白い研究だと思いましたので、また興味が湧いたらもっと調べてみようと思います。こうして新しい学問に出会えたことも私の中での幸せな瞬間です。

最後までお読みいただきありがとうございました。

Veni,

この記事が参加している募集

#日々の大切な習慣

with ライオン

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?