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分かれること、捨てること

例えば今この記事を読んでいるVTuberではない君がVTuberになるとしたらどんなVTuberになるのか、想像してみて欲しい。
自分の経験や知識を活かした専門系?それとも声質やスキルを使った音楽系?鍛え上げた腕を振るうガチゲーマー?音楽イラストなんでも込みで自身の世界観をフルに描き出すクリエイター系?
それとも…何も持たず何も考えず、ただ何となくやってみただけ?
どんな想像の産物であっても、「ただやりたかったからやってみた」という衝動に駆られて何かを始めるという時点で、既に凡人の域を抜けている。
何かをしたいと思うだけならタダだが、そこから行動に移すということは凡人には中々真似できない、「何かを始める」というのはそれだけ価値があることなのだ、VTuberというコンテンツに触れてきて思ったことの一つがこれ。
もし本当になりたいと思っている人がこれを読んでいるなら、その小さな初期衝動を忘れずにして欲しい。
別にその衝動から始めたものがVTuberである必要はない、音楽でもイラストでも、モデリング、執筆、料理、プラモ…なんだっていい。
かの四天王も言っていた「やらなければ、始まらない…」という言葉、これを大事にして欲しい。

そんな四天王と呼ばれた一人「キズナアイ」親分も自分の会社を立ち上げるまでになった。
立ち上げたのは曰く本人ではないが、他にはない快挙ををここで2つ達成している。
一つは会社の立ち上げ(分社化ではあるが、それでも大きい快挙と言える)、もう一つはボイスモデルの公開。
つまり、「VTuberの声関係を自身の経歴に書く手段」をアドバイザーとして参加しているとして書き加えることが出来るようになった。
今までタブーとされてきた中の人事情をこういった形でオープンに出来たのは、彼女自身の世界観を尊重して来たからこそ「ボイスモデル」「アドバイザー」という”別存在”という形で発表できたと個人的には思う。
「設定がすぐに崩壊する」なんて言われている他のライバーとは違い、徹底して世界観を守り続けたからこそできた成せた力業である。
分裂したりなどで不安になったこともあったが、VTuberというカルチャーとしてのトップランナーはやっぱりキズナアイであるとはっきり言える。
これからも彼女の背中からは目を離せない、一つ突き抜けた先をきっと見せてくれると信じている。

しかしながら現状のVTuberの主流は生配信、ゲーム実況がどうしてもメインになっている。
ブーム初期のカオスは今や消え失せ、魂的な何かにLive2Dか3Dモデルの皮を被せた元生主のロンダリングだなんて言われているのも事実として存在する。
実際今現状キャラクター的な世界観を重視しているVTuberよりも生配信などで見せる素面がウケているVTuberが人気なのも根拠の一つだ。
だが実際にそれが面白いのも事実、ジャンクに笑えて手っ取り早く楽しめる。
ブームの黎明期だなんて言われてた時代にあった世界観売り的な一面はもう去り、今や第二のニコ生状態と比喩する人もいる。
この流れを歓迎されるべきなのかそれとも忌むべきなのか、その辺りの考え方は人それぞれだが、少なくとも創作で何かを見せたかった人らや新たなブームに真新しいものを探しに来た人にとっては大分失望させてしまったかもしれない。
ではこのまま第二のニコ生としてこのVTuberというカルチャーは固まってしまうのか?

そもそも論として、ここで言うところの(本来の仮想現実的な意味ではなく概念的な意味での)バーチャル、もしくはバーチャル的なものとは何か?
SAOや.hackを連想させるような仮想空間上のものなのか、それとも初音ミクのようなキャラクター概念の新たなスタイルなのか。
人によってそれには様々な解釈があり、そして定義がない。
だからこそ各々のバーチャルというのは誰かにとっての白紙のキャンパスであり、自身の求める像を主張して”解釈違い”を起こす。
「○○こそバーチャル」「寧ろ○○だけがバーチャル」「✕✕するヤツはバーチャルではない」「△△な話を始めたらメタいからバーチャルではない」
今でこそ鳴りを潜めたが、過去何回この論争を繰り返してきたことか。
これが起きる度にあぁでもこうでもないを繰り返し、そしてみんな大好きな”ヤベーやつ”に話題を掻っ攫われてうやむやになる、それを繰り返してVTuberというカルチャーは今日までに至っている。
定義が無いから自由、しかし定義が無いから解釈も違う。
そんな雁字搦めなのかひたすら自由なのか分からない中、よくまぁここまでになったと思う。
逆に、定義の論争の外で話題になっているVTuberが人を集めて成り上がっているんじゃないかと個人的には思ってしまう。
世界観もクソも無く、ただ「人間として面白い」から人を集められる。
故にもっと人間として面白いものを求めて、集めて、そして現状が生まれたと考えると「定義付けすることの意味」すら考えてしまう、それでこそキャラクターを被る意味なんてないんじゃないかと錯覚してしまうのも理解できる。
現状に対して「バーチャルとは」を定義付けしようとしても意味がない、何故なら需要のファクターが「定義議論の外」にあるから、俺はそう思う。

一回VTuber界はぶっ潰れた方がいいなんてことを過去に書いたことがある。
VTuberというカルチャーを構成するファンの認識を破壊して流れを変えること、これがきっと必要なんだと過去の俺はそう思っていたし今もその考えは残っている。
しかし最近になって思うのが「分断こそ本当に必要なんじゃないか」という考え、なんとなく頭に浮かんでいた考えだがキズナナイ株式会社の設立とそれに対するアイちゃんのコメントを聞いて、分断の考えはより固まった。
まずVTuberという括りの中でファンの求められているバーチャル像が違うのに何故まとめられてしまっているのか。
それこそ定義が無いが故にそうなっているのだが、その解釈違いの中で成したい像や出したい世界観をVTuberという括りによって制限されてしまい出そうにもに出せなくなっているとしたら?
そこから自分のバーチャル観に賛同したいVTuberに従い、「よそはよそ、うちはうち」と別物扱いして分断すること。
それに付き従うように似たようなバーチャル観を持つVTuber、近しいカルチャーやムーヴメントを作り上げたいVTuberが寄り添い、最終的にVTuberの肩書を捨てた別物のカルチャーとして再臨する。
これが分断、そしてVTuberの肩書を捨てるという俺の持つ考え。
VTuberとして一括りにされているのに全く別なカルチャー、ムーヴメントを形成してカオスなことが枷であるなら、そもそも別物として自信を切り離せばいい、そんな考えだ。

VTuberのクラブカルチャー周りはもはや主流のそれとは別物の流れが形成されつつある。
貪欲に音楽系Vを漁ってはクラブシーン等で拡散し、様々なVシンガーリアルDJ等々を集めてネットとリアルで盛り上がる様は主流のそれとは全く別物。
いち早くVTuberの肩書を捨てていくのは音楽系VTuberを始めとしたVTuber音楽シーンではないかと個人的には思っている。
勿論既に別物扱いな方も、認識としてVTuberではなくアーティストとして見られている方もいるようだが。
現場にガンガン出ているようなファンがどんな先を思い描いているのかは分からないが、きっと「サザン、perfume、ミソシタ」のような"アーティストとしてのバーチャル存在"が、次にここから生まれることは間違いないと思う。

VTuberの定義論争を抜けて、独立したアーティストの”個”として人気を集め、次にこのステージに立った瞬間ことVTuberの肩書を捨ててアーティストとしての存在へ昇華できる瞬間かもしれない。
俺は蚊帳の外だが、現地人には是非とも頑張ってもらいたいと思う。

「ブーム初期の頃を思い出す」「あの頃はカオスで楽しかった」
まだVTuberのカルチャーがブームになってから3年経ったかどうかぐらいだというのに既に老人会が結成されている昨今、VTuberという大きく歪に膨らんだカルチャーをどう正すかではなく、いかに切り分けて分断し枝分かれさせるのかが今後必要になってくる。
それは人気かそうではないかということでなく、ジャンル分けのそれよりももっと強いものとして、カルチャーの大きな括りから独立すること。
それはもしかしたら孤独でとても怖いことかもしれない、だがそれを乗り越えて”次の四天王”じみた存在に誰かがなった時、また新しい黎明期が訪れるのだろう。

そんな未来が訪れたらいいなぁ、なんて。


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