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禍話リライト 忌魅恐『線香の匂いがする夜の話』

元は葬儀屋だというような物件は、よくない。
そういうお話。


どこの地方か。なぜ業種が変わったのか。
それらについては一切の情報が伏せられているが。
元は葬儀屋だった、という老人介護施設があった。
そこで夜間警備員のバイトをすることになった男性、Nさんの体験談である。

交通費は全額支給。
時給も、同じ地域の同じ業種と比較すると数百円は高い。
その他諸々の待遇も、かなり良い。
そんなバイトだったそうだ。


無事採用され、現場に赴いた、バイト初日。
先輩の案内の下、Nさんはまず施設内を巡回した。
先輩は人当たりのいい、気さくな中年男性で、施設内のどこがどうなっているのか、巡回中にいろいろ丁寧に教えてくれた。

紹介がてらの最初の巡回を終え、警備員の待機部屋に戻ると、先輩が言う。
「……じゃ。今回は一緒に回ったけど、次は一人で行ってみてね。次の巡回は俺が行くから、その次から、ね?」
「はい、わかりました」

先輩からそう言われて、待機部屋でNさんは巡回に出た先輩が戻るまで、そして自分の巡回の番がくるまで、ボンヤリと時間を潰していた。
部屋の中央に置かれたちゃぶ台に肘をつき、テレビを見ながら待っていると、しばらくして巡回を終えて先輩が戻って来た。
そうして自分の番が来るまで、待機部屋であれこれ雑談をしている時。

不意に、先輩が言った。


「……ああ、そうそう。
もし『したら』なんだけどさ。
『線香の匂い』がしたら、部屋から出なくていいからね」


意味がわからず、思わず訊き返した。
「……へ? なんですか?」


「いや、そんなことないと思うんだけど。ないと思うんだけどね? 『線香の匂い』がするなぁ、って思ったらさ。もう、その日は巡回に出なくていいから。ほら、この部屋にもトイレがあるし、ね?」


確かに、先輩の言う通り、待機部屋にもトイレがあった。
別に、職員用のトイレを使えばいいだろうに。
(……なんでここにもトイレがあるんだろう?)
Nさんは控え室に入った時から、疑問に思っていた。

「え、行かなくてもいいんですか?」
話がよくわからず、思わずNさんがそのように言うと、先輩がさらに話を続ける。

「うん。ほら、この記録帳。あるじゃん?」
巡回の際、何かしらの異変を見かけた時。それについて記す。そのためのノートだ。
それを手に取り、先輩が言う。

「……ここにね?
例えば、何日の何時頃から、とかさ。
まあ『線香の匂いがした』とまでは書かなくていいんだけど。
例えば、
『匂いがしたので、見回りには出てません』
とか書いといたら、それで全然わかるからさ」


「……え? ど、どういうことなんですか?」
わけがわからず質問したNさんへ、先輩が説明してくれた。


「……いや、ここ。元は葬儀場だったのは、知ってるよね?」
「あ、はい。それは、聞いてます……」
「うん。いや、別にそれで何か問題があったわけじゃない。とは、思うんだけどね?」
「はあ……」
「葬儀場が使われなくなった、廃業した理由の一つ。だと思うんだけどねぇ……」
そう前置きして、先輩が次のような話をした。


──この建物が、まだ葬儀屋だった頃のことだそうだ。

ある日、通夜の準備をしている最中。
クレームの電話が入ったそうだ。
電話の主は、近くの住宅地に住む老夫婦だった。

「……ご遺体を物扱いするようなことして! どうかと思いますよ!」

何のことか全くわからなかったため、電話を取った職員は詳しく訊いてみたそうだ。

その日、散歩をしていたその老夫婦は、偶然ご遺体が運び込まれる現場を見かけたらしい。
(どなたか、亡くなられたんだな……)
そう思い、病院から来た車両から棺が運び出される様子を眺めていた。


その棺から、ご遺体が飛び出していたのだという。


職員が施設内へ運び込もうとする棺。
その蓋が開き、起き上がるような形で、ご遺体の上半身が外に飛び出していたのだそうだ。


「そういう棺に納められないような亡くなり方をすることもあるだろうけど。それなら周囲をブルーシートで覆うとか、配慮のしようがあるんじゃないのか」
老夫婦は、そのように苦情を言う。

しかし。
電話対応をした職員が、同僚に調べさせると。

その老夫婦が通りかかったという時間帯。
病院からご遺体が搬送され、施設に運び込んだ記録は、確かに残っていた。

だが、その棺の蓋が開いていたとか、ご遺体が飛び出していたとか、そんな記録は一切なかった。
もしそんなことになっていれば、当然担当の職員たちが覚えているし、病院からも何らかの伝達があるはずである。

さらに、老夫婦によると、遠目に見たのではっきりとは言えないが、長い髪をしていたことから、棺から出ていたのは若い女性のようだったらしい。
そして黒い喪服のようなものを着ていた、と。

それもおかしな話だった。
そもそも、喪服というのは葬儀に参列する遺族側が着るものだ。
ご遺体には死装束、つまり白い服を着せるわけで、棺の中のご遺体が喪服を着ているはずがない。
さらに、その時間に搬送されてきたのは、若い女性ではなかった。
持病が悪化して亡くなった、高齢の男性だったのである。

何度記録を確認しても。
確かにその時間にご遺体を搬入してはいるが。
老夫婦の言うように、
『喪服を着た若い女性を、棺からはみ出したまま運び込んだ』
などということは、なかったわけだ。

さらに言えば。
その日に行われた葬儀は、その高齢男性の一件のみ。他に搬入されたご遺体もない。
その旨を丁寧に伝えたのだが、老夫婦は聞く耳を持たない。
結局、埒が開かないため、悪質なクレームと判断し、対応した職員は電話を切ってしまったそうだ。


──そして、その晩。
その高齢男性の通夜が営まれた。
通夜自体は滞りなく終わり、男性の親族と共に何人かの職員も葬儀場で待機していたのだが……。


そこへ、急に訪ねてきた者があったそうだ。


夜間でも正面入り口の自動ドアは稼働している。だから、そちらを使えばいいのに、その訪問者は自動ドアの隣、職員用のドアを乱暴に何度も叩いた。

(……こんな時間に、誰だろう?)

遠方に暮らす親族が遅れて着いたのだとしても、普通に自動ドアを使えばいいわけだ。
なのに、なぜ職員用のドアを叩くのか。

葬儀場から少し行ったところに飲屋街があったため、そこから酔っ払いが来たのでは、という話になり、念のため、一番体格のいい男性職員が応対することになった。

(でも、今までに一度も酔っ払いなんか来たことなかったんだけどな……)
そう思いながら、職員は自動ドアの方から出て声をかけた。

「はい……?」
職員が外に出てみると、そこにいたのは若い男性だった。
ジョギングでもしていたのか。ジャージ上下、運動靴という出立ちである。
その格好からもわかるが、目をカッと見開き、脂汗をダラダラと流すその様子は、タチの悪い酔っ払いではないのは明らかだった。

男性は横の自動ドアから職員が出てきたことにも気づかず、職員用のドアを叩き続けている。
何やら様子がおかしい。
そう思いながらも、職員は彼に改めて声をかけた。

「ちょっと、ちょっと! お兄さん、どうしたの⁉︎」
「……あっ、ああ! スイマセン! ……あっ、そうか。自動ドアがあったのか……」
職員に声をかけられ、そこでようやく人が出てきたことに気がついたらしい。かなり動揺している様子である。

「……えっ、アンタ、どうしたの?」
「えっと、あの、その……。スイマセン、これぇ……」
職員が訊ねると、男性は握った右手を差し出した。


男性の差し出した手には、線香が数本握られていた。
汗に濡れた手で握りしめていたからか。
その線香は湿り、曲がってしまっていた。


なぜ男性は、その格好と不釣り合いな線香を持っているのか。
そして、なぜそれをこちらに渡そうとするのか。
全く理解できず固まっている職員へ、男性はなおも線香を握った手を差し出す。
「……あの、これ」
「いやいや! これじゃないですよ! いったい何なんですか⁉︎」


「いや、渡されたんで……」


(……ん? 渡された? 葬儀に来た家族か、職員の誰かから線香を渡された、ってこと? 何言ってんだ?)
どういうことかわからず、職員が訊ねると。
男性は何があったのかを語り始めた。


「……いや、自分。この辺りをよくジョギングしてるんですけど」
「う、うん」
「裏が、駐車場になってるじゃないですか。こちらの建物って」
「いや、なってるけど……」


「……そこを通った時に、駐車場からフッて人が出てきたから、危ない、当たっちゃうなと思って、立ち止まったら……。
あの……。
線香を持った、喪服を着た女性がいて。
……普通。その格好なら葬儀場に入っていくのならまだわかるけど、何で外へ出てきたんだろうって。
そう思ってたら、なんか、これを渡されて。
『どうぞどうぞ』って感じで。
『いや、なんですか! 困ります!』って言ったら、その女の人に何か言われたんですけど……。
ごめんなさい。何て言われたのか、それはちょっと記憶にないんですけど……」


「……とにかく、渡されちゃったんで。これ、お返ししていいですか」
「ええ……」
わけがわからず固まっている職員へ、汗で曲がった線香を押し付け、その男性は帰っていってしまったのだそうだ。


「──みたいなことが。昔、あったらしいんだよね」
「ええ……」

思いがけず怖い話を聞かされてしまい、Nさんは絶句した。こんなに待遇が良い理由が何となくわかったような気がして少し後悔したが、しかし、今さらそんなことを考えても仕方ない。
それよりも、話の続きが気になった。それからどうなったのか。線香の匂いがするとどうなるのか。それを詳しく聞かないと、仕事もまともに出来ない。それに何より、単純に好奇心に負けてしまった。

「……で、それからどうなったんですか?」
「いや。何か、それからね。元々のお葬式は無事に終わったみたいなんだけど、それからちょくちょく黒い服を着た女が周辺に出る、みたいなことになって。悪い噂も立っちゃって。気持ち悪い、つって。で、まあ、今ここってそういう施設になってるわけなんだけど」
「え、今は大丈夫なんですか?」
「ま、俺はそういうの見たことないんだけどね。でも、なんか線香の匂いがしだしたら危ないらしいからさ。俺は経験ないんだけど、君の前に入ってたやつとか、その前に入ってたやつとか、辞めてるんだよね」
「えっ……」
「君の二つ前の人なんか、わざわざ出ていっちゃったらしくて。匂いがするけど何だろう、とか言ってね。で、それで辞めちゃったんだよね。だから、怖いなあ、って思っててね」
「えっ、絶対出ませんよ、俺」
「うん、出なくていいよ。それはもう、上の人も、ちゃんとわかってるから」
(……怖いなあ)

そんなことを初日の夜に聞かされ、Nさんはバイト中に線香の匂いがしたらどうしようかと、心配で仕方なかった。
しかし、そのことさえ考えなければ、非常に楽で良いバイトである。

そして仕事に励む内、何事もなく一ヶ月が過ぎた。
その頃にはNさんは、単独での夜勤を任されるようになっていた。


そうして、一人での巡回にも慣れてきた頃だった。


その日。
夜の十時過ぎ。巡回を終え、Nさんは待機室へ戻ってきた。
(あ〜、次の巡回までヒマだなあ……)
夜食を摂るにもまだ早いし、テレビを見てもロクな番組をやっていない。何もすることがなかった。

そうしてボンヤリとしていると、不意に。
初日にこの部屋で先輩から聞かされた『線香の匂い』の話を思い出した。

(……そういえば。前に先輩から線香の匂いがどうとかって怪談話みたいなの聞かされたけど。全然そんなことないし、きっと何かの勘違いなんだろうなあ)

あまりにも暇すぎて、Nさんは待機部屋の掃除を始めた。
床を箒で掃いてみたり、棚のファイルを整理してみたり……。
その内に、壁にかかった日めくりカレンダーに目が止まった。日付を見ると、数日前のままだ。

(なんだよ、誰もめくってないのかよ。しょうがない、めくっといてやるか)

Nさんはカレンダーをめくり始めた。
五日前、四日前、三日前、二日前、昨日……。

「……ん?」
カレンダーの、今日の分のページ。
その日付の横に、何か書き込まれていた。


『今日あたり』


たったそれだけ、書き込みがあった。
恐らく、待機室に置いてあるボールペンで書いたものだろう。
(何コレ? 誰が書いたんだ? 意味わかんないし、変なの)
よくよく考えれば、思い当たりそうなものだが。
Nさんはその書き込みの意味がわからず、すぐに興味を失ってしまった。


──それから少しして、巡回の時間が来た。
(お、そろそろ時間だ。じゃ、行くか……)
そう思い、待機室のドアを開けて外に出た。


廊下中に、線香の匂いが立ち込めていた。


「えっ、嘘⁉︎」
その瞬間、先輩から聞かされた話が一気に頭の中に蘇り、カレンダーの書き込みの意味も理解してしまった。
先輩から話を聞いていた時は『匂いがする、かも』くらいのことだと勝手に想像していたが、そんなレベルではなかった。

明らかに、露骨なほどに匂う。
というよりも『線香臭い』というレベルだった。

それこそ、葬儀場の中にいるのではないかと、そう思うほどに。

(そんな、バカな……)
Nさんは反射的に視線を左右に向け、匂いの出所はどこなのか探そうとして……。

「ウッ……」
低く呻き、固まった。


右側の廊下。
その突き当たりに、女の後ろ姿があった。
俯き、ダラリと下げた両腕をユラユラと左右に動かしている。
そして右の拳を、軽く握っているように見えた。

(……線香を、握ってる)
ハッキリと見えたわけではないが、そんな考えが浮かんだ。


「……ウワァッ!」
慌てて待機部屋へ引っ込み、ドアに鍵をかけた。
十円玉を使えば開くような簡単な鍵だったが、何もしないよりはマシだ。

だが、そうして籠城することを選択したものの。
次にどうするべきかと室内を見渡し、部屋の構造を改めて確認して、
(しまった……)
Nさんは後悔した。


待機部屋には、一応、窓はある。
しかし、その窓はせいぜい換気のために使う程度のものでしかない。あまりに小さく、そこから外へ出られるようなものではなかった。
そして、その窓と、自分が今閉めたドア以外に、部屋と外部を繋ぐ経路は、ない。


つまり、自分から袋小路へ入ってしまった。
そんな状況だった。


(ウワーッ! どうしよう、どうしよう!)
パニック状態に陥りつつ、どうすればいいのかNさんは考える。
幸い、待機部屋のドアは、室内に向けて開くタイプだった。
ということは。自分がドアに身体を押し付けて、開かないように踏ん張っていれば、何とかなる、かもしれない。
そう判断し、Nさんは自分の身体をドアストッパーにするような形で扉へ押し付けた。


(えっ、ウソだろ? マジで?)
先輩から聞かされた話が、まさかこのように自分に降りかかるとは思っていなかった。
(早く、何とかなってくれ! 早く終わってくれ!)
そう願うものの、今や廊下に漂っていた線香の匂いは、そうしてドアに背を押し付けて震えているNさんの鼻腔にまで届くほどに濃くなっていた。
古い建物なので、建て付けが悪くて隙間があったのかもしれない。
それでも、常識的に考えて、あり得ないほどの臭いだった。

(えっ、近づいてきてんじゃないの⁉︎ ウソだろ⁉︎ )
恐怖のあまり、Nさんはドアに背を預け、体育座りのような体勢を取って頭を抱えた。

(……ウソだろ! 俺、関係ないよ! 俺はただのバイトの警備員だよ!
そもそも、もうここは葬儀場じゃないんだしさあ! 勘弁してよ! 俺、関係ないよ!
あの女、喪服っぽかったけどさあ! 線香みたいなの持ってたけどさあ!
もうここ、葬儀場じゃないしさあ! そんな話があったのも、もう何年も前だよ……!)


そうしてNさんが頭を抱え。
脳内であれこれ考えていると。


ドアにもたれ掛かり、膝を抱えていた。
つまり体育座りをしていた、Nさんの右足が。


急に、誰かに、ガッと掴まれ。
前方へと引っ張られた。


そのせいで、彼は体勢を崩し、後頭部を身体を押し付けていた背後のドアに打ちつけた。

「……イッテェ!」

(……何なんだよ)
そう思って、後頭部をさすりながら立ち上がり、前を見た。


女がいた。


待機部屋の中央に置かれた、ちゃぶ台。
その上に。
全く知らない、見覚えのない女が、腰掛けていた。

自分の膝の上に肘をつくような姿勢で、Nさんを見つめながら。
女は、彼へ何事か呟いたそうである。


『●●●●●』


『それにしても、●●だよねェ』とか。

『巻き添え』がどうとか。

そんなことを、もっと難解な言い回しで言われたような。

Nさん曰く、そんな記憶が残っているそうだ。



──次に気がついた時。
Nさんは、職場近くの河川敷に倒れていた。

時刻は早朝。
近くに住む老人が犬の散歩をしている最中、倒れている彼を発見し、声をかけられて意識を取り戻したそうだ。

その日のうちに、Nさんはバイトを辞めたとのことだ。


この話を取材した某大学のオカルトサークル。
(※『忌魅恐序章』を参照)

彼らは、Nさんの話にあった建物周辺を調べてみたそうだ。
すると、該当する建物の外壁に、掲示物があった。
そこには、
『警備員、常時募集中!』
そんなことが記載されていたという。


Nさんから取材した内容が全て事実なのかどうか、それはわからないにしても。
問題の施設では、常時、夜間の警備員が募集されていたのは事実らしい。

……ということである。



この話はかぁなっきさんによるツイキャス『禍話』 『禍話Xスペシャル』(2021年2月24日)

から一部を抜粋、再構成、文章化したものです。(0:27:45くらいから)
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