禍話リライト 怪談手帖『ミドチ』

「……あれはね、甲羅のことですよ。スッポンかカメかとか、そういうことじゃないんですよ。どっちでもないんですよ」

河童の話題を振った時、Aさんはそう強く主張した。


「よくあるでしょ? 絵に描かれてるような。頭に皿があってクチバシがあって、いかにもひょうきんなやつ」


「……あれはねぇ、大嘘なんですよ」



僕(怪談手帖の収集者である余寒さん)は学者でも専門家でも何でもないので、

「嘘、というのは語弊があると思いますが……」

といったように、巧い説明ができなかった。

一応、本などで解説される河童に属するあれこれについて。

サルのような毛のあるタイプや鱗のあるもの。

子供のようなもの。

そして、Aさんの言うようなカメやスッポンのようなタイプ。

いろんな例がある、ということは伝えたのだが。

Aさんは、

「違う違う、カメじゃない。甲羅だ」

と譲らないのである。



「何しろ、ねぇ。私は子供の頃に、見たんですから……」



Aさんの育った村の近くにはさして大きくもない川があり、一時期そこで水死者が連続して出たことがあった。

最初に溺死したのは雑貨屋の子供だった。

現場に駆けつけた住人たちは、水に浸かったその子の遺体の向こう側におかしなものを見つけた。

「いや、それがね。大きな甲羅なんですよ。大人でも抱えられるかどうかってくらいの。

発見は朝のことで、川辺には白い霧が出てて、何かの腐ったようなひどく生ぐさい臭いが漂ってたんですけど……」

生い茂った草に紛れるかのように、それはジッと浮いていた。

「いや、それはね、最初はね? みんなカメかスッポンだと思ったんですよ。でもさすがに大きすぎるってことになって……」

子供の遺体を引き上げた後、集まった住人は水面に浮いたまま動かないその甲羅を見やりながら気味悪がった。

元より大きな魚やカメなどは『ヌシ』と呼ばれ畏れられることが多いのだが、手足も首も出さず甲羅だけが浮いているそれは何か別種の異様さを放っていた。

とにかく気味が悪いから。ということで、寺の下男をしていたという男が棒を持って川に入り、そのカメのようなものを追い払おうとしたが……。



下男が近づくと甲羅は、

スゥーッ……

と、川の向こう側へと離れていき、そして霧に紛れて見えなくなってしまった。

その場はそれで気味悪がりながら解散となったのだが……。



「次の日の朝ね? その下男が、

『夜中に誰か自分のところへ来たか?』

って、村中で訊き回ってたんですよ」



誰かから戸をしつこく叩かれただけでなく、ひどい臭いがして眠れなかったのだ、と。

その臭いがどうも川で嗅いだのと同じもののようだった、とも言っていたそうだ。



その日の夕暮れ。

今度はその下男が、川辺の同じ場所で溺死しているのが見つかった。

そして、岸からほど近い草の間に、やはりあの大きな甲羅がポッカリと浮いていた。

「……確かにねぇ、変なんですよ。上手く言葉では言えないんだけど、ねぇ?」

あれはいったい何だ。

遠巻きにして住民たちがざわめく中、年寄りの誰かが、

「昔は『ミドチ』というのがこの辺りに出たと聞いたことがある。河童のことらしいから、それじゃないか?」

と言い、みんな恐ろしがって近寄れなくなってしまった。



「いや、田舎と言ってもね? まあ数十年前の話ですよ? テレビも電話もある昭和の頃ですよ。オバケとか河童とか、そんな馴染みがあるわけじゃない。

でも、よくわからない『何か』が目の前にあるとねぇ。人間、弱いもんでねぇ……」



ミドチだ、河童だ、アレに引っ張られたんだと言い交わして、その場に集まった住民たちは軽いパニックになっていく。

甲羅はまたゆっくりと川面に波を立てて草の間に消えていったが、彼らの心から恐怖は去らなかった。

とにかく川に近づかないようにと村中に御触れを出して、応急処置のように川辺に縄を張って入れないようにしたという。



……ところが、その次の晩には牛飼いの家の次男が川に浮いた。

ミドチだとか河童だとかみんなが騒いでいるのを冷めた目で見ていた住民もいくらかいて、彼はその中の一人だったのだが、その晩やはり『誰かが訪ねてきていないか』と祖母に話していたらしい。

いつの間に家を出て川で溺れたのか、家族も全くわからなかった。

そして、三人目の犠牲者である彼の遺体の側にも、甲羅は当然のように浮いていた。

そればかりか、今までと違っていつまで経っても川辺から去ろうとしないので、いよいよ人々は恐慌に陥り、とうとうお寺の住職を呼ぶことになった。



「で、お寺さんがしっかりした人でね。

『あくまで、カメだろう』と。

馬鹿にするとかじゃないんですよ。言い聞かせるようにしてね。

『どんなに大きくても動物なんだから、恐ろしいもんじゃないよ』

って」

そもそも、ミドチだか河童だかのことは高齢の住職も名前しか聞いたことがなかったそうで、仏教徒だからこそ、降って湧いたような妖怪変化の存在に実感を持てなかったのだろう。

「まあ、実際のところ。その甲羅が何かしたのを見たわけじゃないですからね。ただ浮いてるだけだったんですから」

それでも、請われるがままに住職は川原にゴザを敷いて、お経を唱えながら各家から集めた仏飯を岸からザラザラと流してみた。

(仏飯とは仏様にお供えした御飯のことである。河童の類は仏飯を嫌うという伝承がある)

「あくまで住職も『それで気が済むなら』って、私らを落ち着かせようとしてくれたんだと思いますよ」

ところが、仏飯をあらかた流し終わった頃、低く川辺に読経の流れる中、不意に……。



『……あああ〜ぁぁぁ』



村人の誰とも違う声が響き渡った。

その場の全員が声の出所を一斉に見やった。

それは、川面に浮かぶあの大きな甲羅から発せられていた。



『あ〜ぁぁぁあ〜ぁぁぁ』



例えるならば『あ〜ぁ』という落胆の声を録音して、機械で限界まで薄っぺらく引き伸ばしたような。

そんな、どうしようもなく平坦で、ありえないほど長く尾を引く男の声……。



『あ〜あぁぁぁあぁ〜あ』



そんな声を発しながら、手足も首もない甲羅はゆっくりと岸辺を離れて、再び霧の向こうへ消えていった。

呆然として口を開けたままの住民たち。

そして気丈にも読経を止まぬまま、脂汗を垂らしながら両目をカッと見開いた住職。

彼らの目の前で甲羅は消えていったという。



その後もしばらくの間、村では強迫観念のように川へ毎日仏飯を流した。

実際それが効いたかどうかは不明だが、不可解な水死者は出なくなり、二度とあの甲羅が姿を見せることはなかったのだが、何人かの村人は患いついたり精神を病んでしまった。



大人たちの間で、

「あの甲羅の周りをよく見たら、青白い人の指がビッシリと囲んでいた……」

と話されているのを聞いてしまい、Aさんも背中の毛が全て逆立つような心地がしたという。



「……まあ、あまりに恐ろしかったからでしょうけど。村一番のおしゃべりもねぇ、その後もずっとそのことは話そうとしなかったですよ。今はもう村もなくなっちゃったから、こうやって話すんですけどね?」

とAさんは言った。



「……だからね、私はね?

世間でいう河童とかってのは、ああいうもんなんだって、つくづく思ったわけなんですよ。あの大きな甲羅が頭に焼きついてねぇ。もちろん、他にもいろいろあるんだと思いますよ。

……でも、生の体験には敵いませんって。今でもあの間伸びした気味の悪い男の声を、ハッキリと思い出せますよ……」

Aさんは少し青い顔で、当時のことを思い出してしまったのだろう、歯をカチカチと鳴らした。



この話はかぁなっきさんによるツイキャス『禍話』 『シン・禍話 第二夜』(2021年3月20日)

https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/673291189

から一部を抜粋、再構成、文章化したものです。(0:27:50くらいから)

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