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禍話リライト 怪談手帖〈未満〉『蛸』

会社員のBさん(女性)が小学校低学年だった頃の話。

「その頃『遺伝子組み換え』って言葉が流行ってたんだよね。だからかなぁ……」

小学校の近所に、お金持ちの中年夫婦の住む大きな住宅があって、いつからか子供たちの間で、
『あの家では遺伝子組み換え動物を飼っている』
という噂が立った。


その生き物は秘密の実験で作られ、足がたくさんあって、普通よりずっと身体が大きい。
そして今は持て余されていて、子供を食べたりする……。


問題の家には大きな庭があり、そこに大型犬らしい犬小屋が置かれていたのだけれど、犬の姿を見かけることが全然なかったらしい。


「今思うと本当、ヘンテコな話なんだけど。その頃はみんな、結構真剣に話してて……」


ある時、彼女を含む仲良しグループ四人で噂を確かめに行こう、という話になった。
とはいえ、小学生である。女の子である。こっそり家に忍び込むような度胸はない。
ならばどうしたかというと、その家の住人に堂々と取材を申し入れたのである。
普通なら断られそうなところを、住人の夫婦は嫌な顔もせず承諾してくれたという。


そうして彼女たちは、次の日曜日にその家にお邪魔した。
奥さんが一人で出迎えてくれ、綺麗で掃除の行き届いたリビングでお茶とお菓子を振る舞われた。
ノートにペンを持って畏まった少女たちから噂の内容を改めて聞かされると、おばさんは少し考えた後、こう言った。


「……足の多いペットを飼ってる、っていうのは本当」


色めき立つBさんたちだったが、おばさんは笑いながら、
「それは、蛸(タコ)のことだ」
という。

「……えっ⁉︎」
「……タコ?」
と、呆気に取られる四人を、彼女は隣の部屋に案内した。


白い壁を背に。
かなり大きな、緑ににごった水槽が。
家の綺麗さと不釣り合いな様子で置かれていた。


ちょうどトイレを借りるために友達の一人が出ていったので、残った三人で、ペットショップの古びた一角にありそうなその水槽を囲んで見たのだが……。

「……正直言って、よくわからなかったんだよね」

水がにごり過ぎている上、水草らしきものが生え放題で、中がほとんど見えない。
結構な時間がんばって見ていたが、ちらちらと水の合間に何かいるようにも、ただのゴミのように見える。
「かわいいでしょう?」
そう言ってニコニコしているおばさんに、子供ながらに曖昧に愛想笑いを返していると……。

ふと、友達の一人が、
「あ、あれ」
と言って、窓ガラスの向こうの庭を指さした。


広い庭の中程で陽を浴びている大きな犬小屋。
その中から、大型犬の顔がのぞいていた。


いい加減、興味も薄れた汚い水槽を離れ、窓際に集まった彼女たちの前で。
犬が、犬小屋から外に出てきた。


「それが、その……。私には普通の大型犬にしか見えなかったん、だけど……」


一緒に見ていた友達の一人が、悲鳴を上げた。
後退りしたもう一人の友達が、その腕を掴んで駆け出した。
Bさんも、何が何だかわからないまま二人の後を追った。
三人で部屋を飛び出したところで、トイレに行っていたはずの友達が泣きながら階段を駆け降りてくるのが見え、そのまま四人で逃げた。


気づけば、みんな両手に靴を掴んで、ボロボロの靴下のまま、小学校近くの曲がり角に立っていた。
混乱状態のまま何とか気を落ち着けて、何があったのかを話し合った。


……ところが。
最初に悲鳴を上げた友達も、彼女の手を掴んだもう一人も、小屋から出てきた犬がどこかおかしかったんだとは言うが、具体的な説明ができない。
胴が長かったとか、眼が多かったとか。
叫んだり後退りしたのだから、決定的に普通の犬とは違う何かを目撃したはずなのに……。


「……そんな話をしているうちに、私はだんだん、
(……そういえば。その家のおばさん、私たちがパニックを起こしているのに、何でずっと変わらない調子で笑ってたんだろうなぁ)
そっちの方ばっかり思うようになっちゃってて」


「……その時に、たぶん三人同時くらいに思ったのかな。
(あれ、この子、ずっと黙ってるなぁ)
って……」


階段から駆け降りてきた、トイレに行ったはずの友達が一際蒼白な顔をしているので、
「……あなたは、何か見たの?」
と問うと、彼女はおずおずと口を開いた。


彼女はトイレに行くふりをして、こっそり二階へ上がってみたらしい。

そうしてやけにシンとした廊下を進んでいくと。

突き当たりの角部屋のドアがゆっくりと開いて。

そこから人間の横顔が出てきて……。


しかし、それ以上は残りの二人の、
「やめて! それ以上聞きたくない!」
という嘆願によって途中で遮られてしまった。


「……家に帰ってからも、こんな取り止めもない話、家族には話せなくて。他の子はどうしたのかなぁ。翌日学校で会った時もあの家の話はしなかったから、たぶん誰にも話してないんじゃないかなぁ。私は何にも見てないから、それが、何か余計に気まずくて……」


それからさほど経たないうちに件の住宅も引き払われ、空き家となってしまったので、家にまつわる噂は下火になっていったという。


……話を聞き終えた僕(怪談手帖の収集者、余寒さん)は、まず途中で遮られたという二階を見に行った友達の言葉の内容が気になった。
Bさんに、その友達を良ければ紹介してくれないかと頼んだところ、彼女はしばらく言い淀んだ後……。


「……その子、家に行った三日くらい後だったかなぁ。轢き逃げにあって、死んじゃったんです」


……と呟いた。


他の二人については、もう訊けなかった。



この話はかぁなっきさんによるツイキャス『禍話』 『禍話アンリミテッド 第二十一夜』(2023年6月10日)

から一部を抜粋、文章化したものです。(0:38:55くらいから)
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