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禍話リライト 忌魅恐『赤い帽子の女』

Aさんという男性の、幼少期の体験。

某大学のオカルトサークルが取材した当時、彼はすでにそれなりの年齢であったという。
つまり、現代から見て、少なくとも半世紀以上は前の話。
……ということになるだろうか。

※オカルトサークルに関しては『忌魅恐 序章』を参照のこと

Aさんの母方の親族に、年齢の近い従兄がいた。
(仮に、彼の名を『ケンタくん』とする)

Aさんが小学校二年生のある日。
そのケンタくんが、急死した。

Aさん曰く。
ケンタくんがなぜ亡くなったのか。それについては何もわからないそうだ。
もっとも、何十年も前の、幼少期の話である。
そもそも、周囲の大人が配慮して詳細を伝えていない可能性もあるし、Aさん自身、聞いていたが忘れてしまった、ということもあるだろう。

とにかく、親族の不幸なわけだ。
Aさんは両親に連れられ、ケンタくんの葬儀に参列するべく、母方の親族の家へと向かった。


Aさんにとって、生まれて初めて参列する葬儀であった。
焼香を始めとする各種の作法や手順もわからず大変だったし、子供なので葬儀中、ジッとしているのが退屈で仕方なかった。
だが、幼い子を亡くして悲しみに暮れる、ケンタくんの両親の姿を見ていると、
(ああ、これはふざけたりダダをこねたりしちゃいけない場所なんだな……)
と、子供心にも察せられ、大人しくしていたそうである。


そうして、ケンタくんの葬儀は滞りなく終了した。
葬儀の後、Aさん一家はケンタくんの家に泊まることになった。
葬儀後の諸々の話のため。そして、すっかり遅い時間になってしまったのと、親族間での話し合い、というか酒盛りに両親が参加することになったため、である。
もちろん、まだ幼いAさんはその話し合いには参加していない。
ケンタくん宅の一部屋を寝室としてあてがわれ、そこで一人、先に床に就かされていた。

とはいえ、すぐに眠れるはずもなかった。
Aさん家族とケンタくん一家は疎遠ではなかったが、特に親しいわけでもなかった。それまでも年に二、三度、盆暮等に日帰りで訪れるくらいで、これほど長い時間滞在するのはその時が初めてだった。
さらに、Aさんにあてがわれたのは広い客間であった。
幼い子供が一人、慣れない家の広い部屋で、慣れない布団と枕を使って寝かされているわけだ。大人でも枕が変わると眠れない人がいるのだから、当然幼いAさんはなかなか寝付けなかった。
しかも、部屋の柱には大きな時計がかかっていた。明かりの消えた部屋の中、秒針の立てるカチカチという音が、異様に大きく聞こえる。
さらに加え、何部屋かむこうからは、大人たちが酒を飲みつつ話し合う、そんな賑やかな声も聞こえてくる。
『早く寝なさい』と言われても、まだ幼いAさんには無理な話であった。


そうしてなかなか眠れず布団の中で寝返りを打っている内、Aさんは便意を覚えた。
親戚の家で粗相をするわけにはいかない。用を足しに行こうと、Aさんは起き上がった。
幸い、昼間の内に何度か行って道順は覚えていたため、迷うことはなかった。昼間覚えた道を辿り、薄暗い廊下を通ってトイレへ向かう。

その途中。
Aさんはある部屋の扉の前で、ふと立ち止まった。

それは、ケンタくんの部屋だった。
日中は慌ただしかったのでそんな余裕がなかったが、夜の遅い時間、静かで薄暗い廊下に一人でいると、否応なしに主人のいなくなった部屋へ意識が向いてしまう。

(そういえば、前に来た時はケンタくんとここで一緒に遊んだんだっけ……)

以前、この部屋でケンタくんと一緒にトランプで遊んだことを思い出した。
そして、その相手が今はもういないことを改めて実感し、『人が死ぬ』というのはどういうことなのか、Aさんは生まれて初めて理解できたような気がした。

そうした懐かしさと寂しさのせい、だろうか。
気づくと、Aさんはケンタくんの部屋の中へ入っていた。
地方の家にはよくあることだが、ケンタくんはなかなか広い部屋を自室として与えられていた。
部屋の中は、恐らくケンタくんが亡くなってからそのままにしてあるのだろう。床に転がる玩具、書籍。散らかった学習机の上。そこかしこに、まだ生活感が残っていた。

(部屋も広いし、机も大きいし。羨ましいなあ……)

Aさんは学習机に近づき、何となく引き出しを開けてみた。
一番上には、学校の宿題なのだろう。漢字の書き取りや計算問題などのプリントが入っていた。

(ケンタくん、真面目に勉強してたんだなあ……)

何枚かのプリントは最後まで終わっていないところを見ると、ケンタくんは亡くなる直前までちゃんと勉強をしていた、ということなのだろう。
ほんの少し前までこの机を使っていたはずのケンタくんのことを考え。
寂しいような、悲しいような気持ちになりつつも、Aさんは上から順に、次々と引き出しを開けて中を見ていった。


そして最後に残ったのは、学習机の一番下にある、大きな引き出しである。
他のものと同じように、そこを開けて中を覗いた。

そして、Aさんは困惑した。

普通、学習机の一番下の引き出しといえば。
書道セットやノートなど、大きくてかさばる品をしまっておくものだろう。


だが。
そこには、画用紙がたった一枚だけ入っていた。


(……なんだろう?)
取り出して見てみると、その画用紙にはクレヨンで絵が描かれていた。
家らしき建物と、その横に立った人の姿を描いたものらしい。ケンタくんの描いたもの、なのだろう。
当時、小学校低学年だったAさんから見ても、あまりに下手な絵だった。
線は歪み、塗り方もグチャグチャ。寸尺もおかしく、建物に比べて人の背丈が異様に大きい。
その人物の姿も、自分か家族の誰かを描いたのだろうが、顔がグチャグチャに塗り潰されていて、表情がわからない上、性別さえも不明な有様である。



ただ。
その人が赤い帽子のようなものを被っている、ということだけは見てとれた。



(なんだろう、これ……)
図工の授業の作品、もしくは宿題なのだろうか。
それにしても、歳の割にあまりに拙い出来である。さっき見た宿題のプリントと比べると、その差が際立っていた。

しかし、誰にだって得手、不得手というものがあるものだ。きっと、ケンタくんは絵を描くことは苦手だったのだろう。Aさんにだって、思い当たることはあった。

普通、ノートや書道の道具などを入れておくはずのこの引き出しに、この絵が一枚だけ入れてあったのも。
まるで、この紙をしまうためだけに使っているかのようで、不自然ではあった。
だが、Aさんにはわからなくても、ケンタくんにとっては思い入れのある大切な絵だ、ということなのかもしれない。

(……きっと、そういうことなんだ)
Aさんはそう納得し、絵を引き出しに戻し、部屋を出た。
そしてトイレへ行った後に部屋に戻り、Aさんはようやく眠ることができた。

『その時』は、それ以上のことは何もなく、無事に葬儀やそれにまつわる諸々を終え、翌日Aさん一家は家へ帰ったそうである。



──その翌年のこと。
ケンタくんの一周忌の法要に参加するため、Aさん一家は再び親族の家を訪れた。
お昼過ぎに法事が一段落し、大人たちは居間に集まってあれこれ話をしていた。
子供なのでその中に加われず、横で様子を見ていたAさんは、不意に便意に襲われ、トイレに向かった。

そして一年前の夜と同じように、ケンタくんの部屋の前を通りかかった。
(あ、ケンタくんの部屋だ。懐かしいなあ……)
昨年の、葬儀の夜のことを思い出し、Aさんはトイレに行った後、何となしにケンタくんの部屋へ入っていった。

部屋の中は、去年の夜、こっそり入った時と全く変わっていなかった。
(……そりゃそうか。一年くらいで変わったりはしないか。もう戻ってこないけど、そのままにしておくよね。広い家なんだし……)
子供ながらにそう納得しながら室内を眺めていると。
ふと、学習机の引き出しに仕舞われていた、あの絵のことを思い出した。
(あ、そうだ。あの絵……)


(えっ……)
学習机を見て、Aさんは絶句した。


例の大きな引き出しは、完全に『封印』されていた。


『封印』というと、いかにもな呪文の書かれたお札が何枚も貼られている。そんな光景を想像するかもしれない。

だが、そんなものではなかった。

何本もの太くて長い釘が、メチャクチャに打ちつけられていて、絶対に開かないようにしてあった。
あまりに粗雑に、力任せに何本も打ち込んで釘付けにしてあるため。
引き出しの表面、その板面に大きなヒビが入っているほどであった。

(なにこれ……)
その異様な光景にゾッとしてしまい、Aさんは急いでケンタくんの部屋を後にした。

そうして大人たちの集まる居間へ戻ってきたのだが、変なものを見てしまったせいで、どうにも落ち着かない。
せめて、両親や周りの大人たちにあの引き出しのことを話せれば、少しは楽になったのかもしれない。
しかし、それはつまり、他所の家で他人の部屋に勝手に入ったことを白状する、ということだ。
間違いなく、叱られるだろう。そう考えるとAさんは何も言うことができず、大人たちが心配して声をかけてきても曖昧な返事をするしかなかった。


──それから数時間後。
一周忌の法要も終わり、
「……そろそろ帰ろうか」
と両親がAさんへ告げた、夕暮れ時のことである。

帰り際、玄関で靴を履いている最中。
両親が親族に呼ばれ、そして居間に戻って行った。そのため、Aさんだけが玄関に一人残される形になった。
玄関横の靴箱の上には、何匹もの金魚が泳いでいる、大きな水槽が置かれていた。
両親が戻るまで、それを見て暇を潰そうとAさんは考えた。


そうして、水槽の中の金魚たちを眺めている内。
フッと、ある感覚に襲われた。


(……外に、誰かいる?)


玄関の引き戸のむこう。庭に誰かがいる。
そんな気配を感じる。
法事に遅れてきた他の親族だろうか。
そう思い、何の気なしにAさんは引き戸を開けた。


「……えっ?」
その先に広がる異常な光景に、Aさんは自分の目を疑った。


庭が、広くなっていた。


ほんの数時間前。
この家に来た際、そこを通った時よりも。
明らかに、異様な形で。
庭の面積が広がっていた。


いくらケンタくんの家が地方だとはいえ、一個人の家がここまで広いわけがない。
(……見間違い?)
そう思って目をこするが、何度見てみても、夕暮れの日の色に染まった庭は、数時間前に見た時と比べ、明らかに広くなっている。

わけがわからず呆然とするAさん。


そして、その内に。
彼は『あること』に気づいた。


明らかに異様な形で面積が増した、庭のむこう。
地面に置かれた飛び石が並んだ、その先の、庭の入り口。


門のところに、誰かが佇んでいた。


赤い帽子を被った、お姉さんだった。

『お姉さん』というのは、当時小学生だったAさんから見た表現である。
つまり、当時の彼から見て年上の、高校生から大学生くらいの女性、だったそうだ。
子どもであるAさんから見ても、美人と思うような。
かといって、特に目立つ感じの派手な人でもない。
そんな若い女性が、門扉のむこうから庭の中を覗き込んでいた。


さっき感じた気配の主、なのだろうか。
法事に遅れてきた親戚なのだろうか。とも思ったが、それにしても、法事にあんな赤い帽子を被ってくるような人など、いるのだろうか。

Aさんがそんなことを考えていると、不意に女の目が動き、視線が彼の方へ向いた。

硬直しているAさんへ、女がニッコリと笑い、そして声をかけてきた。


『……あ〜、そんなところにいたんだ〜』


まるで近所を散歩している途中に、知り合いと偶然会って、話しかけた時のような。
そんな自然な口調だった。


だが、そんなに親しげに話しかけられても、Aさんにはまったく見覚えのない相手だ。
当然、親族にもこんなお姉さんがいた記憶はない。
(……誰⁉︎)
異様な状況の中、見知らぬ相手に親しげに話しかけられ、状況が理解できずに固まっているAさん。
そんな彼に向け、女が再び声をかける。


『な〜んだ、そんなところにいたのか〜』


そして女は庭へと侵入し、ニコニコと笑いながらAさんの方へ歩いてきた。
庭に敷かれた飛び石の上を、女がゆっくりと歩いてくる。


女が歩く毎に、その身体が。
ヒョコッ、ヒョコッと、左右に傾く。
片方の脚を、引きずるというか。かばっている、というか。
そんな、脚にケガをしている人のような歩き方だった。

だが、おかしなことに。
歩きながら身体を傾ける側が、一歩ごとに違う。
というか、全くバラバラ。不規則だった。
さっきまで左に傾いていたはずが、二、三歩進むと右側に。そしてまた何歩か進むと左側に、という具合だ。
ケガのためにそんな歩き方をしているのなら、どちらの脚にケガをしているのかわからない。


……後年、Aさんがその時のことを思い出して言うには。
まるで長いこと車椅子生活だった人が、久しぶりに自分の足で立って歩いているかのような。
『歩き方そのものを忘れてしまった』ような。
そんな動きだったという。
あるいは『ケガをした人の真似をしているよう』でもあったらしい。


硬直しているAさんの方へ、赤い帽子の女は微笑みを浮かべ、庭の敷石を踏みながら歩み寄ってくる。
(……もしかしたら。忘れているだけで、昔会ったことのある人なのかもしれない)
そう考え、Aさんは必死で記憶を辿った。
だが、どれだけ思い出そうとしても、やはり自分の記憶の中には、眼前の女性と合致するような人物はいなかった。


そして、庭の中程まで来たところで。
女の歩みが、急に止まった。
立ち止まり、小首を傾げ、怪訝な表情でAさんの顔を見ている。


『……あれ〜? よく見たら、ケンタくんじゃないな〜?』


従兄弟だから、多少は似ているところはあったのかもしれない。
しかし、Aさんはケンタくんと自分の見た目が似ていると思ったことはないし、周囲から似ていると言われたことも、間違われたこともなかった。当然だ、別人なのだから。

だから、Aさんは、
(そうだよ)
と、返事をしようとした。

だが、それよりも早く、女が口を開いた。


『……まあ。ケンタくんじゃなくても、いいか〜』


そう言った、次の瞬間。
Aさんに向かって、女が猛スピードで走ってきた。


「……ウワアッ!」
驚いたAさんは慌てて玄関の中へ引っ込んだ。
いくら庭が広がっているとはいえ、女から玄関までの距離などたかが知れていた。全力で走ってこられたら、あっという間にこっちまで来てしまう。引き戸を急いで閉めた。


奇妙なことに。
女が庭の中ほどまで来て立ち止まった時、Aさんには一瞬だが女の足元が見えた。
少なくとも、ハイヒールやブーツなどではない。底の柔らかい、運動靴のようなものを履いていたはずだった。

それなのに。
玄関まで走ってくる女の足音は、妙に硬質だった。

敷石が靴の踵に当たる音、だったのだろう。
下駄を履いているかのような、

カカカカカッ

という音を。
その時、確かにAさんは聞いた記憶があるという。


玄関に逃げ込み、引き戸を閉め。
Aさんはそこで『あること』に気づいて青ざめた。

よその家なので、自分の家のそれとは玄関のドアの構造が違う。
鍵の閉め方がわからないのだ。

(どうしよう、どうしよう! このままじゃ、あの女が家の中に入ってきちゃう!)
パニックになりながら、必死で戸を押さえた。

いくらAさんが必死に戸を押さえても、所詮は子供の力だ。女性とはいえ、大人が力任せにやれば簡単に戸は開いてしまうだろう。

だが、いつまで経っても戸が開かれる様子がない。

引き戸のガラスの向こうには、夕焼けの色を背景にして、玄関のすぐそばまで来た女の姿が確かに見える。

しかし、女は玄関の前に佇み、

『……久しぶりにケンタくんに会えたと思ったらケンタくんじゃなかった。でも、ケンタくんじゃなくても、もういいか〜』

そんなことを呟くばかりで、引き戸に手を触れようとはしない。

そんな女の様子を見ている内に、Aさんの頭の中に、根拠はないが一つの推測が浮かんだ。


(……この女は、扉が開いていたら入って来れるけど、閉じられていたら自分では開けられないから、鍵がかかってなくても入って来れないんじゃないのか?)


そうして、Aさんが必死で引き戸を押さえていると。

『う〜ん。でもな〜。扉が開いてないしな〜』

そう呟く声と共に、不意にガラスの向こうの女の姿がスッと右に動き、建物の影に入って見えなくなった。

(諦めて、帰ったのだろうか)
そう考えてホッとした、次の瞬間。

『玄関の右側には何があるのか』

それを思い出し、Aさんは愕然とした。


玄関から右へ進むと、居間に面した裏庭がある。
居間には、大人たちが集まっている。
そして、居間の窓は、法事中からずっと、風を入れるために開かれたままになっていた。


(女が、窓から入ってくる……!)


Aさんは急いで居間へ向かった。
居間へ駆け込むと、両親を始めとする大人たちは皆そこにいた。
談笑する人、お茶を飲む人、テレビを見ている人。全員、さっきまでと変わらない様子である。
とりあえず、全員何事もなさそうなことに安心したAさんだったが、すぐに居間へ来た目的を思い出した。
(ああ、よかった。みんな無事だった。……そうだ、窓!)
法事の最中から開け放たれたままになっているはずの窓へ、目を向けた。


『……よいしょっと』
女が、右足を踏み入れ。
今まさに、室内に侵入しようとしていた。


「ウワアッ!」
思わず声を上げ、後ずさるAさん。



──Aさん曰く。
そこから先の出来事が、いまだに何だったのか、よくわからないままなのだという。

屋内に、見知らぬ女が侵入してきた。
普通に考えれば、その場にいた大人たちが女の姿を見て何事かと騒ぎ始めるはずだ。


……だが。
誰も、何も反応しなかった。


その場には大人が十数人ほどいたのだが、誰も女の姿など見えていないかのように、それまでと同じようにお茶を飲んだり談笑したりしている。

いや、正確には。
間違いなく、視界に入っているはずなのに。
誰もその女について触れないようにしているかのようだった。

『ある大人たち』などは。
確かに一度、自分たちの前を通過する女へ視線を向けたはずなのに。
すぐに下を向き、そこに誰もいないとでもいうような、そんな行動をとったのだという。


状況が理解できず、居間へ入ろうとした体勢のまま硬直するAさん。
彼の見ている前で、女は屋内へ侵入し、ニコニコと笑みを浮かべ、Aさんの方へと歩み寄ってくる。

まるで、買い出しに行ったスーパーで、お買い得な特売品を見つけた時のような。
そんな、どこにでもいる人のような、ごく自然な表情だった。


Aさんの方へ歩み寄ってくる際、女はある人のすぐ後を通った。
ケンタくんのおじいさんである。
おじいさんはテレビを見たまま、他の大人たちと同様、誰もそこにいないかのように振る舞っていたのだが……。

女が背後を通った後。
おじいさんが一言、ボソリと呟いた。


「……そっちが決めた約束事なのに、そっちが守らなくてどうするのかねえ」


そうこうしている内に、女はAさんの目の前まで迫ってきた。
腰を屈めて彼の顔を覗き込み、まじまじと見つめながら言う。


『よく見たらケンタくんじゃないけど、この鼻の感じがケンタくんに似ているような気がする』


──そこで、Aさんの記憶は途切れている。
次に気がついた時、Aさんは父親の運転する車の後部座席に寝かされていた。
かなりの速度を出して走っているらしい。いつもの父親らしくない、かなり荒い運転だと感じた。
後部座席に横になったまま、Aさんは運転席と助手席に座る両親の顔をミラー越しに見た。
父親はかなり焦っているような表情を浮かべ、母親は俯いてガタガタと震えていた。

(これは、触れないようにした方がいいやつだ……)

両親の様子を見てそう感じたAさんは、そのまま家に着くまで眠ったふりをすることにしたそうだ。

ようやく家に帰り着き、Aさんがそこでやっと目覚めたようなふりをすると、両親はそれぞれ泣いたり安堵したり、そんな反応を見せた。
母親はAさんを抱きしめ、
「ごめんね、ごめんね……」
と、繰り返し呟き。
父親はAさんの様子を見て安堵すると同時に、
「……あんな人たちとは思わなかった! あんなに薄情な親戚だとは思わなかった! もう、あんなやつらとの親戚付き合いはお断りだ!」
と、憤慨して言う。


……だが。
Aさんはそんな両親に対し、
(何を言ってるんだ……)
と、白々しいと感じていた。


……というのも。

あの赤い帽子の女が居間に侵入し、Aさんへ向かって歩み寄ってきた時。
その場にいた大人たちは、全員が女に対して、見えていないかのような、無視するかのような動きをしたわけである。


そこには、Aさんの両親もいたのだ。


それどころか。
明らかに一度、目の前の女へ視線を向けたはずなのに。
すぐに下を向き、無視するかのような行動をとった大人。

それこそが、Aさんの両親だったのである。


(……あの時、あんなことをしておいて。今さら何を言っているんだ)
その時に両親に対して抱いた、そんな反感、不信、違和感。
Aさんは、それらをどれだけ経っても忘れられなかった。


結局。
その時に生じた不信感のため、Aさんは最終的に実家と縁を切った。
彼は両親の援助を受けて大学に通わせてもらっていたが、在学中にそう決心してからは学費を自分で稼いで払うことにした、というのだから相当なものである。

それ以来、Aさんは実家へは一度も帰省していないし、両親と連絡もとっていない。
例え両親が亡くなっても、実家へ戻るつもりはない、とのことだそうだ。
当然、親戚の家がその後どうなったか知らないし、知りたくもない、という。


『……ケンタくんの家での体験から何十年も経ちますが。今でも赤い帽子を見る度にビクッとしてしまうし、職場にいたら助かるようなハキハキしたタイプ、そんな女性を見ると、その時のことを思い出して一瞬身構えてしまうんですよ』

オカルトサークルの取材に対し、Aさんはそのように語ったそうだ。


赤い帽子の女は、いったい何者だったのか。
庭の異変は、何だったのか。
なぜあの時、大人たちは無視を決め込んだのか。
おじいさんの言葉は、どういう意味だったのか。
なぜ両親は一度自分を無視したのに、車内ではあのような態度を取ったのか。

何十年も前の出来事な上、先述したようにAさんが実家や親戚と縁を切ってしまっているため。
それらについて知る術は、もうない。



この話はかぁなっきさんによるツイキャス『禍話』 『忌魅恐NEO 第ニ夜』(2020年9月16日)

から一部を抜粋、再構成、文章化したものです。(0:18:00くらいから)
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見出しの画像はこちらから使用させていただきました
苔むした古い日本庭園の飛び石

禍話リライト 忌魅恐『赤い帽子の女』

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