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禍話リライト よぎってみせた女

世の中には、気づかない方がいいこともある。
そんなお話。


北九州在住、Aさんの体験談。

終業後、会社を出る前に事務室に寄る。それが当時の勤務先でのAさんの習慣だった。そこで事務員から郵便物を受け取り、帰り道の途中でポストに投函するのである。
もちろん、それは本来なら事務員の仕事なのだが、ある時、都合が悪く席が外せない事務員の代わりに、Aさんが郵便物を投函しに行ったことがあった。
それ以来、出張や病欠で不在でない限り、Aさんが帰り際に郵便物を受け取って投函しに行く、という流れが何となく出来てしまったのだそうだ。

さて、そうなると、うっかり投函し忘れることのないよう、会社から一番近いポストを使おうと考えるわけだ。
会社の正面玄関から出て少し行ったところに、三階建てのビルがある。そのビルの対面、道を挟んだ向こう側にあるのが、彼がいつも郵便物を投函するポストだった。
ポストは正面がビルの入り口と向かい合わせになる形で設置されている。つまり、Aさんがそこへ郵便物を投函する際、ビルの入り口に背を向ける格好になる。

だから、毎回そこに投函しているにも拘らず、Aさんは『その時』まで一度もビルの方へ目を向けたことはなかったのだという。


ある日のこと。
いつものように事務員から郵便物を受け取って退社したAさんは、これまたいつものようにそのポストへやってきた。
そして投函しようとした際。渡された郵便物、封筒の口の部分の糊付けが半端なような気がした。
(……大丈夫か、これ?)
業務関係の郵便物だ。何かあっては大変である。というわけで、普段ならそのままポンと投函して終わりなのだが、Aさんは気になってその場で封筒を確認し始めた。
結局、しばらく確認した後、これなら大丈夫だろうと判断したのだが、そんな普段と違う行動をとったからだろうか。
ポストへ投函した後、振り返ったAさんは、たまたま視界に入った、今まで気にしたこともなかった向かいのビルの入り口をしげしげと観察し始めたのだ。


ビルの入り口の中、薄く灯りのついた廊下の奥に二階へ上っていく階段が見える。
その階段の踊り場を左から右へと歩いていく、そんな人影がチラリと見えた。
恐らく、Aさんが目を向けたタイミングで相手は階段を上り切り、踊り場を曲がっていったのだろう。上階への階段の影にすぐ隠れてしまったので一瞬しか姿は見えなかったが、どうやら女性のようだった。


(……このビル、テナント入ってたんだ)
踊り場を歩く人影を見た時、Aさんはそう思った。
というのも、そのビルがあまりに古びて寂れていたからである。
ビルの中を見たのはその時が初めてだったが、毎回通っているので外観や窓の灯り、設置された看板くらいは遠くからなら意識せずとも視界に入る。一階には何かの事務局があるようだが、二階から上に電気がついているのを見た記憶がない。
実際、ビルには『テナント募集!』というポスターも貼ってあったのだが、もう長いことテナントが入っていないようで、定期的に新品に交換されるポスターとは対象的に、建物自体はどんどん古びていくという状況だった。
(二階か三階か知らないけど、生きてるテナントがあるんだなぁ……)
Aさんはそう感心し、その日は家へと帰ったそうだ。


それから二ヶ月ほど後のある日。
例によって、Aさんは帰宅途中にそのポストに投函のために寄った。
前回とは異なり、その時は郵便物の問題等、いつもと違う点はなかったのだが、投函後にAさんが何気なく振り返ると、向かいのビルの入り口が視界に入った。

その際、前回と全く同じものを見た。
つまり、踊り場を左から右へと歩いていく、女性の姿である。

(あれ? そういえば、前もこんなことあったな)
Aさんの脳裏に、前回の記憶が蘇る。
同時に、あることに気がついた。
(……そういえば、階段を上っていくところを見たことないな)
前回も、女が踊り場を通って階段の影へと消えていく、その姿しか見ていない。

だが、すぐにAさんは、
(まあ、それくらいの偶然ならよくあることか)
と考えた。
Aさんだって、毎回ほぼ同じ時刻に退社し、同じ道を辿ってこのポストまで来ているわけだ。あの女性にも、彼女なりのスケジュールやルーティンがあるのだろう。
恐らく、毎日この時刻に上階へ行く用があるのだ。そして彼女が階段を上って踊り場を歩いていくタイミング、それがたまたま自分がここに来て郵便物を投函するタイミングと重なっているだけなのだ。
そしてこれもたまたまだが、普段はそんなことをしないのに、偶然振り返ってビルを見たわけだ。その時に限って同じ光景を目にしたから、それが印象に残っているだけなのだろう。
つまりは、ただの偶然だ。Aさんはそう結論付け、家路を急いだ。


それからまたしばらく経ったある日のこと。
その日は、仕事の後で友人との飲み会の予定が入っていた。
退社後、迎えに来てくれた友人と会社前で合流し、予約を入れてある店へと向かう。
Aさんはその日も事務所で郵便物を預かっていた。そのため、店まで向かう途中でポストを見つけてそこに投函しようと考えていた。事情を聞いた友人も、
「ああ、そういうことね」
と了解してくれた、のだが。

習慣が身に染み付いていたのだろう。気づけば店までの道から逸れ、いつもの道を通ってあのポストの方に来てしまっていた。
完全に店へは遠回りになるルートだ。例のポストの近くの横断歩道を渡っている途中、遠回りになっていることに気づいた友人がツッコミを入れる。
「……いやいや! 飲み屋の近くにもポストあるんだから、そっちでいいだろ!」
「あ、そっか」
「まあでも、習慣だからな。いいわいいわ」
そんな会話をしながら例のポストへ到着し、Aさんが郵便を投函する。
そうして来た道を戻って店に向かおうと、二人同時に振り返った。


向かいのビルの入り口が視界に入る。
廊下の奥の階段、踊り場を左から右へ横切って消えていく女性の姿が見えた。


「あっ……」
二人同時に声が出た。
二度あることは三度ある、とは言うが、同じ状況で同じ光景を三度も見てしまい、さすがにAさんも気持ち悪く思った。
そして、友人はAさんより目が良かったらしい。単に『女だ』としか認識していなかったAさんに対し、彼は女性の姿の細かい部分まで判別していた。
「なんだ、えらく古い格好した女性だなぁ。なんか昔の事務員みたいな」
「えっ、そうだった?」
「うん、昭和のドラマに出てくる事務員さんみたいな格好で……」

さらに、友人は詮索好きなタイプでもあった。
「でもよぅ、このビル……」
そう言ってビルを見上げる。彼につられ、Aさんもビルを見上げた。普段から遠目には外観を目にしていたが、こんなにも間近でビルを見上げたのはその時が初めてだったそうだ。

ビルの二階から上は、真っ暗だった。
「……あれ?」
今さっき、確かに女性が階段を上がっていったはずだ。ならば二階より上のどこかに電気がついていなければおかしい。入り口から見える階段付近には灯りがついているのだから、上階ではつけないという道理はない。
目的の部屋にまだ入っていないのか、そう思ってしばらく待ってみたが、いつまで経っても真っ暗なままだ。

女のことが気になったらしい。友人はビルの中へ入っていってしまった。Aさんも後に続く。
「失礼しまーす」
どうやら管理人が常駐しているタイプのビルではないらしい。管理人室はなかったが、その代わりに入り口近くにはフロアガイドが掲示してあった。二人でそれを覗き込む。

二階から上には、テナントは一件も入っていなかった。

「……えっ?」
一階には何かの事務局のようなものが入っているが、二階と三階は全て空室と表示されていた。
(……どういうことだ?)
思わず階段の方を見るAさんたち。二人はそこである事実に気がついた。

階段付近に灯りがついているのは、一階部分だけだった。

踊り場から上は完全な暗闇だった。
つまり、あの女は灯りも無しに真っ暗な階段を上っていったということになる。
そのことに気づいた瞬間、急に怖くなって来てしまい、Aさんたちは慌ててビルを後にしたそうだ。

それから飲み会に出たわけだが、当然そんな体験をした後では楽しいわけがない。沈んだ様子のAさんを見て、他の仲間たちが声をかけてくる。
「え、どうしたの? 今日、職場で何かあったの?」
「いやぁ、職場では何もなかったんだけど……」
Aさん同様、友人も沈んでいた。普段はおしゃべりな彼もさすがに気持ちが悪いらしく、仲間に訊かれても言葉を濁すばかりである。

結局、あまり楽しめないまま飲み会は終わった。帰る途中、友人と二人きりになったタイミングで、ふとAさんが呟いた。
「……実はさぁ。あそこで女見たの、これで三度目なんだよ」
その事実をそこで初めて知った友人が、Aさんにツッコミを入れる。
「え⁉︎ いや、気づけや! 一回目で! 明かりがないか見上げるとかさぁ! 」
「いやぁ、でも一人だとなかなか見ないもんだよ」
「そっかぁ……。いや、でもおまえ、わかんないよ。ひょっとしたら真っ暗な中で、管理人とかが……。いや、でも管理人があんな格好するもんか……?」
友人は何か合理的な解釈を捻り出そうとしていたが、結局何も思いつかなかったようである。少し間を置いて、ポツリと呟いた。
「おまえ。あそこのポスト、もう使わない方がいいよ」
確かにそれはそうだ、Aさんはそう思った。ポストなんてどこにでもあるのだし、何なら近頃はコンビニにだってある。会社から一番近いということ以外、あのポストを選ぶ理由はない。絶対あそこでなくてはいけない理由はないのだ。
(今度からあのポストを使うのはやめよう。そうしよう……)
Aさんはそう決めた。


さて、その飲み会があったのが土曜の夜のことだった。翌日は日曜日、休日なのだが、折に触れてあの時のことを思い出してしまい、どうにも悶々として落ち着かない。
それどころか、あのビルへ再度訪れて中を確認しようとする夢を見る始末である。

昨日はAさんは階段の周りしか確認しておらず、階段を上ってもいなかったのだが、夢の中の彼は階段へと進んでいき、踊り場へと上がっていく。
そうして踊り場から真っ暗な二階へと目をやると、階段を上り切ったところに古い事務服を着た女がこちらに背を向けて立っている。
(あ、いる)
そう思った瞬間、まるでビデオの逆再生のように背を向けたまま階段を下りてきた。
「……うわぁッ!」

そんな夢を見てAさんは飛び起きた。そんなことだから、身体も心も全く休まらないし、せっかくの休日なのに全然楽しくない。
「ヤダなぁ……」
もうあのポストは使わない。そう決めたものの、会社から一番近い場所なわけだ。会社へ行く度、嫌でもあのビルが視界に入って、あの女のことを意識してしまう。
そうしてAさんは最悪の休日を過ごしたのであった。


さて、さらに翌日。つまり月曜日のことだ。
Aさんの住む地域ではゴミの回収日だった。
(……あ、今日はゴミの日だ)
明け方、目を覚ました後でそのことを思い出したAさんは、まだ半分寝ぼけたままゴミ袋を持ってマンションの外廊下へ出た。
Aさんの部屋は五階にある。そのため、外にある集積場に行くためにエレベーターを使おうとしたのだが、しかしボタンを押したのにいくら待ってもエレベーターが来ない。
どうしたんだろう。そう思っていると、階下から何か大きな荷物を出し入れするような物音が聞こえた。
(ああ、引越しの作業でもしてるのか。しょうがねえなあ……)
普通、そんな早朝から引っ越し作業などしているわけがないのだが、寝ぼけた頭でそう考えつつ、Aさんは外階段へと向かった。
エレベーターの隣にある扉を開け、外階段を下っていく。踊り場を通り、一つ下の階へ。そしてまた次の踊り場へ……。


そこに、人がいた。


照明の具合が悪いので、最初は何をしているのかわからなかった。酔っ払いが寝ているのか、それとも誰か倒れているのか。最初はそう思った。下の段にいるとはいえ、妙に小さく見えるため、子供か、かなり小柄な人なのかとも思った。
だが、そうではなかった。
ちゃんと確認しようと思って階段を下りたため、Aさんは相手の姿をハッキリと見てしまった。


かなり古いデザインの事務服を着た、眼鏡をかけた女性が正座をしていた。


それまで半分寝ぼけていたAさんは、そこで完全に目が覚めた。
「……えっ⁉︎」
そして今までのこと、土曜日の夜のことを思い出す。
(え、この女って、まさか……)


Aさんが硬直していると、彼の見ている前で女がゆらりと立ち上がった。
そして彼に向かって一礼し、ゆっくりと歩み寄ってきた。


「……ウワァッ!」
悲鳴を上げ、Aさんは急いで外階段を駆け上がり、自室へと飛び込んだ。
そのままドアを施錠して籠城していたのだが、しばらくして落ち着いてから外を確認してみると、女の姿はもう影も形もなかったという。

なお、Aさんはそこで初めて『なぜあの時エレベーターが動かなかったのか』という点に思い至ったのだという。後日、管理会社に問い合わせてみたところ、その日引っ越し作業をしていた部屋などないし、そもそも夜逃げじゃあるまいし、そんな早朝から引越しなどするわけがない、という回答があったそうだ。

……きっと、あの女に気づいてしまったからなのだろう。
そして土曜日の晩、ビルの中まで入ったから、あの女はマンションまでついてきてしまったんだ。
女が現れた理由について、Aさんはそう推測したそうだ。



……話はここで終わりではない。
ここからは、Aさんといっしょに女を目撃し、ビルの中へ入った友人の体験談である。

Aさん同様、彼もマンションで一人暮らしをしている(ちなみに、友人の部屋は三階だそうだ)
日曜日の深夜のことだった。
夜中、友人は急に目を覚ました。彼曰く、急に何かソワソワした感覚に襲われたのだという。例えるならば、建物のどこかで火事が起きているかのような、そんな感じだった。
(……なんだろう、なんか変な夢でもみたのかな)
そう考えて寝直そうとしたのだが、ソワソワした感覚が続いて寝られそうにない。それどころか、部屋の中にいたくないような、そんな気分になってきた。
そこで友人は外の空気でも吸って気分転換しようと、部屋の外へと出た。
吹きさらしになったマンションの外廊下へ出、外気を胸いっぱいに吸い込む。
そしてしばらくして気分が落ち着いてから、部屋に戻ろうと振り返った。


視界の隅。外廊下の一番奥に、人影があった。


「……えっ?」
Aさんのマンションの外階段と同じく、その外廊下の照明も具合が悪く、目のいい友人もさすがに相手の姿がよく見えなかった。
(土下座みたいな姿勢で、誰かが座っている……?)
最初はそんな風に思った。


だが、実際には土下座ではなかった。
陸上競技のスタート時の姿勢、クラウチングスタートのような体勢だった。
そしてその人物は、眼鏡をかけて古い事務服を着た女性だったのだ。


ポカンとする友人の見ている前で、女はクラウチングスタートの体勢からゆっくり立ち上がり、そして彼の方へと歩いてきた。
そこで友人は慌てて自分の部屋へ飛び込んだのだった。急いでドアを施錠し、チェーンをかけ、さらに部屋の内扉にも鍵をかけた。
長いことその部屋に住んでいるが、内扉の鍵をかけたのはその時が初めてだった。後に友人はそう語った。
そうして夜通し部屋に閉じ籠り、明るくなってから外を見てみるともう女はいなくなっていた、ということである。
なお、部屋に逃げ帰って内扉を施錠した時点で、ソワソワした感覚は嘘のように消えていたそうだ。


後日、Aさんと友人が会って話した際、互いにそんな体験をしたことを知り、二人とも心底ゾッとした。後でビルについて調べてみたが、何か事件、事故が起きたという報道や新聞記事は見つからなかったそうだ。
それ以来、Aさんは可能な限りあのビルが視界に入らないよう、会社の表玄関を避け、裏の搬入口を使っているそうである。



世の中には、気づかない方がいい、気づいてもあまり深入りしない方がいい、そんなものもあるのだろう。
でないと、この話のように『何か』が家までついてきてしまう、のかもしれない。



この話はかぁなっきさんによるツイキャス『禍話』 『禍話アンリミテッド 第十一夜』(2023年3月25日)

から一部を抜粋、再構成、文章化したものです。(0:42:45くらいから)
題はドントさんが考えられたものを使用しております。
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禍話wiki

※見出しの画像はこちらをお借りしました。

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