実体験 K先生の話&etc

※地元に関する実体験、というか実際に聞いた話を文章化した。そんな諸々の詰め合わせです。

基本、飲酒しつつの執筆でして、この話については過去の記憶を思い起こしながら、ということもあり。また、いずれも十数年前に聞いた話で、昨今の諸々の問題もあって地元へ長いこと帰れていないこともあり。

詳細を確かめることもできず、細かい部分で自分自身の記憶違いがある可能性も否めません。

そんなわけで、ともすれば支離滅裂な内容になっている可能性もありますが、それでもよければお読みください。

 

 

 

……まずは、自分が中学生の頃に通っていた、地元(M県北部)の学習塾。そこで現国、古文、英語を担当していたK先生の話。

 

自分が中学生だった、ある日のこと。

その塾に通っていた自分たちは、その塾の教室で授業が始まるのを待っていた。

 

授業開始の時間。

K先生は力士のような巨漢で、普段はノッソリとした感じで教室までやって来るのだが、その日は珍しく早足で、興奮気味にドカドカと足音を鳴らしてやって来た。

そして教室に入ってくるなり、開口一番こう言ったのである。

 

 

 

『……いやあ! 俺、この前、見ちゃったんだよ!』

 

 

 

我々の地元、M県北部には『M』という道路がある。

その昔、畜産用の飼料や農業の収穫物、そうしたものを運搬するために作られた。元々はそういう道だったそうだ。

 

 

K先生曰く。

その授業の数日前、休日に愛車でそのM道路をドライブしていたときのことだという。

(具体的に何時頃のことかというのは、K先生も興奮のあまり語り忘れたか、自分も聞かされた記憶がないので不明である)

 

 

 

軽い上り坂になっているその道を走る内に、K先生は進行方向、左側の歩道にあるものを見つけた。

 

 

 

若い女性だ。

 

 

 

(それがどんな女性であったか。自分の記憶する限りではK先生が詳細に語った記憶はない。なので、記憶にも残らないような凡庸な風貌だった、と解釈するのが妥当なのだろう)

 

 

片側一車線の坂を登っていくK先生の車。

その先生の車に向かい合う形で、女性は下り坂になった歩道を、ゆっくり降りてくる。

 

 

 

そして、K先生の車は女性とすれ違った。

次の瞬間。

何気なくミラーを見た時には、既にその姿は影も形もなかったのだという。

 

 

 

 

その話を聞かされた時、K先生が興奮気味に状況説明をしたように。

また後年、自分自身も運転免許の取得後にその近辺を通過した際に確認したように。

 

 

先生がその体験をした(と思われる)場所近辺には、脇に入る小道も、姿を隠せるようなものも、自分が確認した限りでは皆無だった。

 

だからこそ、K先生はその時に見た女が人間ではないと判断し、授業前に興奮気味に語ったのだろう。

 

(なお、このK先生の話については、数年前、同様のツイートをした際にも、当時同じ塾に通っていた同級生から、

『あったあった! 覚えてる!』

そんな反応があった、という補足をしておく)

 

 

 

 

……ところで。

この手の話に常にアンテナを張っている方ならば、昨年(2021年)オカルト研究家の吉田悠軌氏が、一般的に噂が流行したとされる79年以前の口裂け女の情報をツイッター等で集めていたのをご存知だろう。

 

 

吉田氏の情報提供を呼びかけるツイート。

そこに寄せられる返信。

その中には自分の地元と思われる、M県北部のものらしい話もあった。

 

 

……もっとも、大切なのは『噂されていた時期』ということもあり、その方のツイートでは具体的に北部のどこかという情報は伏せられていたのだが。

 

口裂け女の噂が生まれたのは、G県某所だとされる。

であれば、隣県の我がM県でも、ごく早い段階で噂が伝わっていても不思議ではない。

 

(余談だが。

噂によれば、口裂け女が頻繁に現れるのは『三』のつく地名だという。

例えば、東京近郊ならば『三鷹』『三軒茶屋』などだ。

……しかし、その噂に基づくならば『M県』は全域が対象になるのではないか?

その話を聞いた時、自分はそう感じたものだ)

 

 

 

……だが、先述したその方のツイートの内容は……。

(先程の自分の妄言は忘れて頂くとして)

自分には、どう考えてもあの『M道路』の話のように思えてならなかった。

 

 

 

(……実際。某巨大掲示板のM県北部の心霊スポットに関するスレッドには、

『M道路には、都市伝説のオバケなら何でも現れる』

といったような、半ば揶揄するような内容の書き込みもあり、その方のツイートも『その当時、そう噂されていた』というくらいの内容だったのだが……)

 

 

 

……ところで、K先生の塾には自分の五歳上の兄もお世話になっていた。

自分が通っていた頃は、生徒が増えたためか兄の頃より規模が大きくなっていたが、地方ということや個人経営の塾だったということもあり、K先生の塾では生徒の送迎をワゴン車で行うようになっていた。

兄がお世話になっていた頃は、まだ生徒が少なかったため、K先生自身もワゴン車を運転して送り迎えをしていた、とのことである。

 

 

兄から聞いた話である。

ある日の授業後、夜10時頃のこと。

K先生は兄たちを乗せて、生徒を家に送り届けるため、いつものようにワゴン車を走らせていた。

 

 

その内、兄の同級生であるMさんが気づいた。

「……先生? 違う道、走ってません?」

 

 

乗車しているメンバーの家と真逆の方向に走っていた。

不安そうなMさんの言葉に対し、K先生はただニヤリと笑い、そのまま無言で車を走らせる。

 

 

 

そして、その内にたどり着いた場所。

周囲の光景を見て、その手の話が苦手なMさんが悲鳴をあげた。

「……先生! ヤバいですって!」

 

 

 

辺り一面、墓地が広がっていたそうだ。

 

 

 

……実は、そこは塾から程近いところにある、

『N公園』

そのすぐ近くにある霊園であった。

K先生は授業に関しては真面目だが、普段は割にそういうイタズラっぽいところのある方だったため、みんなを怖がらせようとそういうことをしたのだそうだ。

(少なくとも、自分の兄はそう語っていた)

 

 

 

 

……そのN公園というのは。

同じ地元の人であれば、幼稚園から中学校にかけて、遠足だのオリエンテーリングだので、必ず一度行ったことがあるはずの、馴染み深い場所のはずである。

 

 

東西に走る道路を挟むように、南北二つのゾーンに分かれている。

北ゾーンには小規模な動物園がある。

南ゾーンには広い芝生に無数の遊具があり、そしてそのさらに南側には森の中に伸びた遊歩道があり、その先にBBQのできる広場がある。

そういう感じの、結構広い公園だ。

(自分も小学校低学年の頃、母親にドツキ回されながら南ゾーンで自転車に乗る練習をしたのをよく覚えている)

そして、北ゾーンのすぐ脇には近隣住民のための霊園があるのだが、兄たちがK先生に連れていかれたのは正にそこだった、というわけだ。

 

 

唐突な思い出話になるのだが。

そのN公園の南ゾーンの遊歩道。そこに入ってすぐのところに、ポツンと東家のような建物がある。

正確には東屋と遊具の中間、と言ったところだろうか。

大きな切り株を模した二階建ての建物で、二階は展望台のようになっていて、一階にはこれまた切り株を模したテーブルとベンチがあった。これがまた、遠足の時に昼食の弁当を食べる際にはちょうど良いわけである。

 

小学生当時の自分は、

『昼飯食うのにいい場所あるから、そこでみんなで弁当食おうぜ!』

と、遠足の際は毎度そのように友達を誘って、そこで弁当を食べたものだ。

 

 

 

……後年知った話なのだが。

やはりそのN公園にも『出る』という噂があった。

当然、北ゾーン脇の墓地に出るのだろうと、皆さんもそう思われるだろう。

実際、それを知った時の自分も、そう思ったものだ。

 

 

 

……だが、違った。

(確かにその北ゾーン脇の墓地にも、一応噂はあるにはあるのだが)

 

 

 

その当時、コンビニなどで売られていた、日本の各地域ごとに心霊スポットを紹介する『怨念地図』という本があった。

それによれば、本当に出る『本当にヤバい場所』というのは、南ゾーンの方だそうだ。

その本によると、夜になるとかつて遊歩道で首を吊った女の霊が出るらしい。

そして、さらに詳しく調べると、どうやらそこは例の東屋の近くらしいのだ。

 

 

 

その話を知った時。

当時はその手の話に詳しくなかったとはいえ、自分はよくそんなところで弁当を食べていたものだと、思わずゾッとしてしまったのであった。

 

 

 

 

 

……せっかくなので。

隣のS市出身の母方の祖母から聞いた、地元の戦時中の話と、それにまつわる噂もお話しておきたい。

 

 

我が地元、M県北部のY市といえば、いわゆる、

『日本四大公害』

という名で、皆さんも社会科の授業で一度は名前を聞いたことがあるのではないかと思う。

今も地元には大規模なコンビナートが存在するのだが、その前身は戦時中に作られた、海軍の軍需工場であったとも聞く。

その規模故か。

あと一年大戦が続いていれば、次に原爆を投下する、その候補地として名前が挙げられていたそうだ。

 

 

そんなわけで、うちの地元は戦時中に大規模な空襲に見舞われている。

(Y市駅前には博物館があるのだが、そこには大戦時の空襲の様子、その際の被害状況を記録し伝えているブースがある。

もし機会があれば、是非ご覧頂きたい)

 

 

……さて。

大戦当時、女学生として軍需工場に勤めていた母方の祖母曰く、こんなことがあったそうだ。

 

ある日の、日没後。

軍事工場での仕事を終えて家路を急いでいた祖母は、急に空が異様なほどに明るくなったために驚いたという。

 

 

(もうとっくに日が落ちたはずなのに、何だろう?)

 

 

そう思い、祖母は明るくなっている方角を見やった。

 

 

それは今正に、Y市が空襲を受けている。そこで上がった火炎、その明かりだったそうだ。

(小学校の頃、授業の課題でこの話を聞いた時。恰幅がよく、普段は快活で豪快な気性の祖母が、珍しく嫌そうに顔をしかめながらこの話を語ったのをよく覚えている)

 

 

そういうエピソードもあり、我が地元は(自分の知る限り)戦時中の話にまつわる怪談が少なくないように思う。

 

(かつて『アンビ◯バボー』で語られた、地元からさほど遠くない、T市の某海岸での話。

それについても様々に語られているが、それにまつわる話を読む限り、やはり戦時中の惨事の記憶というか、そういうものは無関係ではないように思う)

 

 

 

……そういうこともあってだろうか。

 

中学時代。

地元の港でのハゼ釣りを趣味としていた自分は、その港を含め、

『あそこでの夜釣りはやめた方がいい』

という話を、同じく釣り好きの同級生や知り合いのおじさんたちから聞かされたものだ。

 

 

(幸い、自分はそんな経験はないが)

聞いた話によれば、そうやって夜釣りをしていると。

 

 

明らかに、ダメなもの。

例えば身体の一部だとか、赤ん坊だとか。

そんなものが釣れてしまうらしい。

 

 

(また、その港とは全く別の場所であり、同じく戦時中の話に関わりがあるかどうかはわからない、そんな話なのだが。

一時期は地元のニュースでよく報じられた、とある有名な河川に作られた河口堰。

その近くの橋梁でも、同じように夜釣りをしているとよくないものが釣れてしまうらしい。

そんな噂を聞いた記憶がある)

 

 

その話を聞いてから、そして地元を離れてからもう何年も経つのだが、その辺の水辺には今もそんな噂が伝わっているのだろうか。

 

 

 

地元を離れて何年も経つ。

しかし、禍話を聞くようになってから、折に触れてこうした話をしばしば思い出してしまう。

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