禍話リライト 怪談手帖『たんころりん』
太く濃い毛虫眉。
ギョロリとしたどんぐり目玉。
真ん中に胡座をかいた獅子鼻。
のっぺりと結ばれた広い口。
人の倍はあろうかという大きな顔。
そんなものが、窓の外からこちらを覗いている。
曇ったガラス窓の右下に見切れている。
窓の中には他に、一面の薄青い秋の空と、柿の木らしい枝が幾振りか天へ向かって伸びているのが見えるばかり。
(……これはいったい、どこの誰なのか?)
……そうポツポツと語るBさん。
この話を教えてくれたA氏、彼が若い頃勤めていた介護施設にいたという老人である。
Bさんの唯一はっきりと覚えている幼少期の風景は、そんな奇妙なものであったという。
それら以外の全ては、記憶に霞がかかったように曖昧だった。
Bさんには両親と幼い弟と妹がいたが、彼が五つになる年に、彼だけを残して皆行方知れずになったらしい。
その施設の入居者の中では珍しく受け答えもしっかりしていたBさんは、若かりし日のA氏を聞き役にポツリポツリと語り続けた。
何でもその時、一家の住んでいた家には、幼いBさんが一人、呆けたようになって取り残されていたという。
無理心中なども疑われ、捜索も行われたが、結局家族の行方はわからなかった。
周囲の人間は躍起になってBさんから聞き出そうとしたものの。
先程の『窓から覗いている不可解な顔』と『柿の木の枝』
この記憶以外、それまでの家族との日々についてすら曖昧になっていて、さっぱり要領を得ない。
根掘り葉掘り訊いていこうとすると、何故か、
「庭に古い柿の木があって、その枝が窓に映っていて……」
という、ズレたような話ばかりする。
そして、Bさんは話を続けた。
どうやら彼はその後、周りの手によっていわゆる、
『退行催眠』『逆行催眠』
……のようなことをされたらしい。
親戚の中に迷信深い人がいて、
『消えたBさんの一家周りに不吉の縁が出来ている』
と騒いだことがきっかけだった。
恐らく拝み屋のようなところへ連れて行かれ、その場所で暗示や何やで朦朧の状態にされたBさんは、無理やり当日の記憶を遡らされた。
(当時信じられていた催眠療法。それ自体が非常に胡散臭いものであることはひとまず置いておいて)
それによって甦らされたという記憶は、ひどく異様なものだった。
……庭の柿の木の下に、両親と弟と妹が、記念写真でも撮るような格好で行儀良く並んでいる。
弟と妹は、それぞれまだ三つと一つなのに、両親に抱かれることなく小さな脚で立っている。
……やがて。
葉っぱもまばらな柿の木の上。視界の切れた上方から、とんでもなく大きな太った裸の腕がニュウッと出てくる。
そして家族を、一人、また一人と、上へ掴み上げていく。
人形のように掴まれながら、父も、母も、弟も、妹も、みんな笑っている。満面の笑顔だった。
そして、四人ともいなくなってからゆるゆると視線を上へ動かすと、そこには青い空を透かした柿の木の枝葉の他に、何もいない……。
そんな記憶を、意識もうつろなままBさんは思い出した。
当然、これでは話にならないと何度かやり直したそうだが、
「かきはいつまでもじめんにおちずにくさりもせずにどんどんおおきくなっていく……」
とか、
「かきのきからおちたらさんねんでしぬとよくいうけど、ぎゃくにきのうえにいってしまったひとはどうなるのかなあ」
とか、ますます要領を得ないことを吐き出し続けるばかりだった。
結局、家族のいなくなったショックで記憶自体がおかしくなっているのだろうと結論づけられ、拝み屋が何かしらそれらしい理屈をつけて終わった。
念のため、家の庭の柿の木とその周りがもう一度調べられたけれど、何も出てこなかったらしい。
そういう経緯もあって、その後Bさんは親類中をたらい回しにされ、いたたまれなくなって独り立ちをしてからもその日暮らしを続けて歳を重ね、当時のその状態に至ったそうだ。
自分の人生を淡々と話し終えると、Bさんは黙ったまま施設の庭にある柿の木をジッと見やった。
そもそも、Bさんが珍しく口を開いてA氏が話を聞くことになったのも、たまたま見ていた庭にその木があったからなのである。
木を見ながら、最後にBさんは何事かを呟いたようだが、A氏はその言葉を聞き取れなかった。
……Bさんは、最後に不可解な失踪を遂げた。
A氏が話を聞いた次の年、施設に置いてある柿の木が大きな実をつけた秋のことだった。
まるで前触れのように、受付でちょっとした騒ぎがあった。
早朝、Bさんの家族を名乗る者が現れたというのだ。
誰も顔が思い出せないが、それは相撲取りでもそうそういないような、雲突くような大男だったという。
そいつは身元証明の出来ないことを理由に職員から面会を拒絶されると、あっさりと引き下がり帰っていったそうだ。
その直後に、Bさんは消えた。
Bさんは脚を悪くしていたし、そもそも抜け出せるようなタイミングはなかった。担当の職員がほんの少しだけ目を離したその隙に、Bさんの姿は消えていた。
A氏も同じ区画で仕事をしていたから、抜け出す隙がないことは確かだという。
懸命の捜査にもかかわらず、Bさんはそのまま見つからなかった。
……ただ。
同じ施設に入居している老人たちの内、何人かが見ていた。Bさんの出ていく姿を。
彼らによると、大きな大きな顔をした男がBさんを連れに来て、手を繋いで、そのまま普段の脚の悪さがウソのように歩いて出ていったのだ。
中庭を連れ立っていくBさんたちを見送ったというある老人は、その奇妙な大男には髪の毛と耳がなかったと言った……。
けれども、彼らのほとんどは大なり小なり認知症を患っていたから、証言としてまともには取り合われず、さして問題にされなかった。その後の届出やゴタゴタの方が忙しく、そちらに気を取られたせいもあるという。
当時、違法寄りだったり杜撰そのものだったりという施設は今よりずっと多く、A氏の勤務先もそんな施設の一つだった。
ただ不思議なことに。Bさんの身元引受人(彼は天涯孤独というわけではなく、一応親戚という人物は残っていた)とは、さして揉めることもなく話が済んでしまったそうだ。
「……元々、厄介者扱いをされていたんだろう」
A氏はそう言った。
老人たちの話によれば。大男に連れられて出ていくBさんは、ニコニコと満面の笑みを浮かべていたそうである……。
※以下は、怪談手帖の収集者である余寒さんによる、この話に関するメモである。
柿の木にまつわる俗信や怪異は多い。
佐々木喜善の報告した柿男の話。或いは柿の木に縛り付けられて死んだ男の因果話。柿の木から落ちたら何年で死ぬという有名なジンクス。弘法大師と渋柿の話など、様々な事例がある。
その中で、歳を経た柿が化ける妖怪の名称としては、東北の伝承にある『たんたんころりん』が正しいという。
『たんころりん』というのは『津軽口碑集』という本の『雑事』の項において『詳らかならず(詳しいことは不明)』として、むずかる子供に『たんころりんが来るぞ』と脅かす風習があった、という描写が載せられているだけで、柿についての記述は何もない。
正体不明の『来るもの』なのだ。
これが水木しげる御大を始めとする妖怪図鑑の記述で混ざった結果、柿のおばけが『たんころりん』として広まった、ということなのだそうだが……。
この話において現れたものは、果たしてどちら、いや、何だったのだろうか……。
この話はかぁなっきさんによるツイキャス『禍話』 『元祖!禍話 第十四夜』(2022年7月30日)
https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/740241491
から一部を抜粋、再構成、文章化したものです。(1:15:00くらいから)
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禍話リライト 怪談手帖『たんころりん』
https://venal666.hatenablog.com/entry/2022/07/31/165758
津軽口碑集
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1464153
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