禍話リライト 行きどまりタクシー


時間帯、年齢。恐ろしい体験をする時、そうした条件は一切関係ないらしい。

『二十歳になるまでに一度もそういう体験をしなければ、それ以後の人生で心霊体験をすることはない』
皆さんはそんな話を聞いたことがあるだろうか。
この話の体験者である男性、Aさん。彼はこの体験をした当時、七十代だった。それ故、これまで人生で一切その手の体験がなかったのだから、きっと今後もそうなのだろうと、そう思っていたそうだ。

Aさんは犬を飼っていた。長年一緒に暮らしてきた、彼と同じく年老いた犬だ。
『老人の朝は早い』とはよく言うが、飼い主のAさん同様、その犬も朝のかなり早い時刻に目を覚ます。
老犬らしいゆっくりとした歩き方は同じく年老いたAさんにとってもちょうどよく、愛犬と共に朝の澄んだ空気の中を散歩していると、何とも心地がいい。
そういうわけで、毎朝六時前、新聞配達が来るかどうかという時間に目覚め、愛犬と共に近所を散歩するのがAさんの日課だったそうだ。



ある日の早朝のこと。
いつものようにAさんは愛犬と散歩をしていた。
犬を飼っている方ならわかるだろうが、毎日同じルートで散歩をしていると犬もその内に道を覚え、自分から率先するように先へ進んでいく。そんな風になっていくものだ。

だが。
なぜかその日は、犬がいつもと違う道へと進んでいった。

(……あれ?)
どうしたんだろう、とは思ったが、長年住んでいる住宅街である。全く知らない場所で迷ったわけでもなし。結局、どう進もうが最終的に同じ道に戻って家に帰って来れればいいだけの話だ。
(……まあいいか)
そう思い、Aさんは愛犬の後についていく。

(……そういえば、近頃は日中でもこっちの方へはあまり来たことがなかったな)
愛犬と共に歩きながら、周囲を見てAさんはふとそう思った。
大通りをそれ、車一台通るのがやっとという細い路地に入り込んでいた。
これ以上進むと、さすがに道筋や地理感がちょっと曖昧になり、よくわからなくなってくる。
(……もう少し行ったら、いい所で引き返して元の道に戻ろうか)


そう思いながら進んでいくと、道路の脇にタクシーが停まっているのが目に入った。

時間が時間だ。きっと朝帰りの客をここまで送ってきたのだろう。そう思いながら狭い道に停められたタクシーの脇、車体ギリギリのところを犬と共に擦り抜ける。

さらに進むと、行き止まりに突き当たった。
(行き止まりか。だったらちょうどいい。この辺で引き返そう)
そう思い、さっきの道まで戻ってくると、まだあのタクシーが停まっている。
(なんだ、ずっと停まってるな……)
近づいて何となく車内を見てみると、運転手が一方向をジッと見ているのがわかった。視線を追うと、どうもその先にある一軒の家を見ているらしい。
(あれ? この家って……)
門柱にかかった表札。そこには珍しい名字が彫られている。Aさんはその名に見覚えがあった。

「……もしもし?」
どうにも気になったのでタクシーの窓を叩いて声をかけると、中から運転手が顔を出した。
「……なんですか?」
「いやぁ。私、近くに住んでる者なんですがね? ずっとここで待ってらっしゃるみたいだから、どうしたのかなと思いまして。この家の方と何かあったんですか?」
「……いやぁ、それがですねぇ。若い女の人を乗せて来たんですけど。結構遠距離だったんで、お金が足りなかったみたいで。で、『持って来ますから〜』って言ってこの家に入ってったんですけど、それからだいぶ経つんですよねぇ。どうしようかなぁ……」
困った顔をしてそう言う運転手だったが、彼の話を聞いたAさんは首を横に振る。
「いや、それはあり得ないですよ。だって……」


というのも、ここに住んでいるのは一人暮らしのおばあさんだけだからだ。
そして、何故それを知っているかと言うと、そのおばあさんはAさんと同じ老人会に所属しているからである。
確かに、今日初めてここがその人の家だということを知ったのだが、市内でも滅多に見かけない珍しい名字だから間違えようがないし、家の様子も普段の会話で聞いた内容と一致している。ほぼ間違いないだろう。
それに、老人会で聞いた話によれば、数日前からおばあさんは孫に会うため、遠方に住む娘さんの所へ旅行に行っているはずである。


つまり、今この家には誰もいない。
まして、若い女性などいるはずがないのだ。


「……だから。誰もいないはずですよ。おばあさんの一人暮らしだし、『若い女の人』って言っても、確かその娘さんも結構な歳のはずだし」
「……えっ?」
「……ちょっと待ってなさいね。アンタ」
困惑する運転手に一言断ってから、Aさんは犬と共に家の方へ近づいていった。

門扉を開けて敷地内に入り、玄関を確かめる。
入り口の戸にはしっかり鍵がかかっているし、防犯的には良くないのだが『しばらく居ません』と書かれた紙も貼ってある。
背中越しに、運転手にその事を伝える。
「ほら。いないって、紙が貼ってある」
見れば、郵便受けにもチラシがかなり溜まっていた。話に聞いた通り、やはりしばらく留守にしているようだ。
(……やっぱり、留守じゃないか)
Aさんは振り返り、不安げな表情で運転席の窓からこちらを見ているだろう、タクシーの運転手に呼びかけた。
「やっぱり鍵もかかってるし、誰も……」


タクシーの運転席。
その窓が閉まっていた。


「……あれ?」
奇妙に思い、Aさんがタクシーの方へ近づいていくと、運転手がこちらに後頭部を向けているのが、運転席のガラス越しに見えた。
そして……。



いつの間にか、助手席に若い女が座っているのが見えた。



ガラス越しなので声は聞こえない。が、笑いながら口を動かしていることから、女性が何か喋っているらしいことはわかる。
どうやら、運転手は助手席に座るその女と談笑しているらしい。
よく見てみると様子、というか雰囲気もおかしい。上手く表現できないが、タクシー運転手が客と会話する時のそれとは違う。強いて言えば、居酒屋で友人と話している感じに近い。


(……どういうことだ?)
そう思い、Aさんはタクシーに近寄り、運転席の窓を叩いた。
少し間を置いて、窓ガラスが下へ降りていく。
しかし、運転手はというとAさんへ後頭部を向けたままだ。どうやら、こちらを見ないまま、右手でボタンを操作したらしい。
そして助手席では、若い女が笑いながら喋り続けている。



だが、声は全く聞こえてこなかった。
窓が開いているのに。
あれだけ口を動かしているのに。
談笑している二人の声は、一切聞こえない。



「……ウワッ!」
驚き、思わず後ずさるAさん。その脳裏に、突然ある考えが浮かんできた。


(もしかして、これ、オバケ⁉︎ こんな朝なのに⁉︎)


そう思った瞬間、一気に恐怖が込み上げて来た。


Aさんはそのまま家の敷地内へ逃げ込み、庭先の物陰にしゃがみ込んで恐怖に震えながらしばらく隠れた。
彼の隣では、愛犬も同じようにうずくまっていた。老いたとは言え、昔から異変があればすぐ吠えるような犬なのに、その時は尻尾を脚の間に巻き込み、怯えた声を出すばかりだった。そんな愛犬の様子がさらにAさんの恐怖を煽る。
恐怖のせいだろうか、その内に貧血の時のような眩暈までし始めた。
(うわーッ……)
Aさんの意識が遠のいていく……。


……気づいた時には、いつの間にかタクシーの姿は消えていた。
先が行き止まりになった細い路地。
そこに頭から進入していたのだから、当然あのタクシーはバックで出て行くしかない。しかし、それらしい音どころかエンジン音も聞いた記憶はない。
(……まさか、全て幻だったんだろうか。もしかしたら自分はボケが始まっていて、ありもしないものが見えてしまった。そういうことなのかもしれない)
そう思いながら、Aさんは犬を連れて道路へと出た。


道路には、まだ新しい排ガスとガソリンの臭いが漂っていた。


そこで再び恐怖が込み上げてきて、Aさんは一目散に家へと逃げ帰った。
犬と散歩に出ていた夫が慌てた様子で玄関に飛び込んできたものだから、奥さんも相当に驚いたそうだ。当然、どうしたのかと訊かれたのでAさんは先刻の奇怪な体験について奥さんに詳しく語って聞かせた。

また。後日、自治会の集まり等に出た時にも知人たちにこの話をしたそうだ。
しかし、話を聞いた人々の反応は冷ややかだったらしい。何かの見間違い、勘違いじゃないかという反応がほとんどだった。
奥さんに至っては、
「なにバカなこと言ってんの。ボケが始まったんじゃないの?」
と、冷たく言い放つ始末だ。
さすがにAさんもションボリしてしまい、それ以上その体験については話さないようにしたそうだ。



……だが、その体験から数日後。

深夜、就寝中だったAさんは外から聞こえてきたものすごい衝突音によって飛び起きた。
同じく飛び起きた妻や驚いて吠えまくる愛犬を宥めてから外に出ると、近所の人たちも同じように外に出て来ている。何事かと訊いてみると、どうやら近くで交通事故が起きたらしい。
それを聞いたAさんの中で野次馬根性が騒ぎ出し、現場へと行ってみようかと考えた。



……だが、事故の詳細を聞いた途端、そんな考えは消え去ってしまった。



近所の人たちが言うには。
例のあの細い路地。
そこにタクシーが猛スピードで頭から突っ込んでいき、そのまま奥の行き止まりの壁に正面から激突したのだという。
運転手は即死だったそうだ。


(……もしかしたら、亡くなったのはあの時の運転手かもしれない)
そんな考えがAさんの頭に浮かぶ。
だが、現場に行ってそれを確かめたらもっと恐ろしいことになるような気がして、結局Aさんは現場へは行かなかった。

後日、新聞にそれらしい事故の記事が掲載されたが、ごく短いものだったため、亡くなったのがあの運転手なのかどうかはやはりわからないままだという。


そして、あの女についてだが。
あの路地を中心とした一帯にはそれらしい曰くも因縁もなく、そもそも女もどこからタクシーに乗って来たのかもわからないから調べようがない。
そのため、その正体についても一切わからないままだそうだ。



この話はかぁなっきさんによるツイキャス『禍話』 『ザ・禍話 第六夜』(2020年4月18日)
(※伝説のピンポンチャイム回!)

から一部を抜粋、再構成、文章化したものです。(0:16:50くらいから)

題はドントさんが考えられたものを使用しております。

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