禍話リライト おへんろさん
Aさん(女性)が後に母親から聞かされたという、幼稚園の頃の話である。
その日は父親は出張で家を空けており、母親もパートに出ていたため、昼間に家にAさんしかいない時間があった。
パートから帰ってきて夕飯の支度をする母親を手伝いながら、多くの幼稚園児がそうするように、Aさんはその日あったことをまくしたてるように伝える。
その中でAさんはこう言ったのだという。
「おへんろさんを見たよ」
以前、買い物に出た際にそうした人を見かけ、
「あの人はなに?」
と訊ねるAさんに、
「あれはお遍路さんだよ」
と、母親が教えたことがあったという。
故に、幼稚園児なので漢字でどう書くのかはわからないが、そうした僧形や巡礼姿の人を一緒くたにして『おへんろさん』と呼ぶのだとAさんは記憶しているのだろう。
そう考えた母親が、
「そう、どこで見たの?」
と問うと、Aさんはこう答えた。
「お家の近くだよ!」
母親は不審に思った。人通りの多い商店街ならともかく、こんな団地や住宅ばかりの場所に来る意味がわからない。もしかすると、お遍路さんというよりは托鉢僧、或いは単なる物乞いだったのかもしれない。母親はそう考え、その場は話を流した。
その晩のこと。
深夜、2階の寝室で母親がふと目を覚ますと、隣で一緒に眠っていたはずのAさんの姿がない。
どこに行ったのだろう、水でも飲みに行ったのか、それともトイレにでも行ったのだろうか。念のため確認しようと思い部屋の外に出てみると、廊下の窓から外を眺めている娘を見つけた。
どうしたの、母親がそう訊ねると娘は窓の外を指してこう言った。
「ほら、あの人。おへんろさん」
(お遍路さん? こんな深夜に?)
そう思った母親も窓から覗いてみると、暗い庭に白い服を着た、髪のそう長くない女が立っている。女のいる場所から2人までは少々距離があるのだが、恐らくそこそこの声量を出しているのだろう、何事か女が呟いている、というより喚いているのが聞こえてくる。
「違う服だけど白いの着てるし、何かぶつぶつ言ってるし、おへんろさんだよね」
そう無邪気に言う娘に反して、母親は心底ゾッとした。
変質者だ、それもちょっとまずいタイプだ。
そう考えた母親は警察に通報しようと思ったが、固定電話も携帯電話も手近にはなく、いずれも階下の部屋にあることを思い出した。何にせよ、屋外にいる不審な女を刺激しないようにそこに行かなくてはならないのだが、そんな母親の思いなど知る由もなく、娘は窓辺で、
「わー、すごーい」
などと言って外を見ている。
「あれはお遍路さんじゃないよ、見ちゃダメだよ。こっちに来なさい」
母親がそう言って引き寄せても、娘はすぐに窓辺に戻って外を見ようとする。
埒があかないと思った母親が、とにかく階下に降りて電話を、と考えた時、急に外にいる女の喚き声が大きくなった。
それはどう考えても、女が窓の近くで喚いているようにしか思えない声量だった。だが、窓は2階にある。庭には足場になるようなものなどない。そんなことはありえないのだ。
母親は恐ろしくて窓に近づくことも出来なかったが、娘はと言うと窓の外を見ながら無邪気に喋り続けている。
「すごいなぁ、修行してるからかなぁ。どうやってるかわからないけど、おへんろさん、修行してるからかなぁ」
(何言ってんだこの子は……)
我が子に対してではあるがそう思っている内に、何故かわからないが次第に外の女が何を言っているのか、母親は何となく理解できるようになってきたという。
『逃げろ! 逃げろ! なんでわからないんだ!』
どもっているような訛っているような、さらに方言も混ざっているようで完全にはわからないが、女がそういう内容のことを喚いているのがわかってきた。
(何言ってんの、逃げたいのはこっちだよ……)
そう思った母親はもうどうしようないと考え、娘の手を引っぱって電話のある階下に降りようとした。
「Aちゃん、下に行こう。警察に電話しなきゃ」
しかし、それでも娘は、
「でもおへんろさんが修行してるんだし……」
と言ってその場を離れようとしない。
外では女が喚き続け、娘は言うことを聞こうとしない。半ばパニックに陥った母親は、もう無理にでも連れて行くしかないと判断し、娘の手を掴んで力任せに引き寄せ、そこで気づいた。
そこにいたのはAさんではない、全く知らない女の子だった。
髪型こそ多少似てはいたが、全くの別人だったそうだ。
突然のことに驚いた母親が思わずその手を離し、後ろに跳び退いたその時、窓の外にいる女の声がはっきりと聞こえた。
『逃げろ! そいつは娘じゃないんだ! 逃げろ!』
恐怖のあまり母親が階段を転げ落ちるようにして階下に降りると、玄関に本物のAさんが座っていた。
寝ぼけている様子で、
「どうしたの?」
と訊ねるAさんを何も言わずに抱きかかえ、母親は無我夢中で家を飛び出した。
飛び出したはいいが着の身着のままで飛び出してきたので携帯電話も財布も持っていないし、だからといって家に戻るのも恐ろしいし、どうすることも出来ず近くの公園のベンチで娘を抱きしめて震えていることしかできなかった。
そうこうしている内に夜が明け、近所に住む顔見知りの老人が犬の散歩で公園を偶然通りかかり、娘を抱いてベンチで震えている母親を見つけた。
母親から話を聞いた老人がそりゃ大変だと警察に通報し、駆けつけた警察官と共に2人はようやく家に戻ることができた。
家には誰もいなかったが、奇妙な点がひとつあった。
季節が違うので衣替えの際にタンスにしまっておいたはずのAさんの服が、ビリビリに破かれて庭に散乱していたのだ。
恐らくあの女の子が着ていたのだろう、だから娘と間違えたのだ、母親はそう思ったという。
出張から帰るなり一部始終を聞かされた夫は、その夜の妻と同じく震え上がったが、話を聞き終えて少し考えた後にこう言った。
「つまり、そのお遍路さんが勝った、助けてくれた、ってことじゃないの?」
その言葉に母親も納得してしまったため、お祓いの類をすることはなかったそうだが、幸いにもその後に何か起きたということはなかったという。
Aさんはと言えば、昼間に近所でお遍路さんを見た記憶など一度もないし、当然そんな報告を母親にしたこともないという。
確かにその晩のことは覚えてはいるが、気づくと自分が玄関に座っていて、トイレに行きたいわけでもないのに何だろうと思っていると階段を駆け下りてきた母親に抱きかかえられてそのまま家を飛び出した、それだけしか記憶にない。
逆にそれだけしか記憶にないからこそ、あの晩に何があったのか気になって母親に訊ね、そうして初めて何が起きたのかを知らされたわけである。
高校生になってから、Aさんは多少霊感があるという同級生にこの話を打ち明けたことがある。
話を聞き終えた同級生は真剣な表情で頷き、
「それは間一髪だった、ってことだよね。間一髪だね」
と言ったそうだ。
この話はかぁなっきさんによるツイキャス『禍話』 『禍話R 第9夜』(2018年12月21日)
https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/514265497
から一部を抜粋、再構成したものです。(1:15:20くらいから)
題はドントさんが考えられたものを使用しております。
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禍話リライト おへんろさん - 仮置き場
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