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マジックの種明かし問題について

お久しぶりです。マジシャンユウです。
梅雨の時期になりましたねぇ。じめじめ嫌な季節です。
梅雨になって外出が嫌だなーと思って閉じこもっていると、何も始まらないものです。
こういう時だからこそ外へ出て、普段混んでいる場所などへ行くと、混んでいなくなってたりするのでスムーズに廻れたりなど、新しい発見なども多いものですよ。

さて、今回は主にTwitterで度々話題にあがるマジックの「種明かし」について私の思うことを書いていこうと思います。
若手のマジシャン方々にはどう響くのか、もし良ければ読んでいただければ幸いです。
目次を参照して読んでみてください。

1.マジックにとって種明かしとは

これを語るには「マジック」とはそもそもなんなのかというのを自分にとっての定義をしっかりと決めておく必要があります。
私の考えとして、マジックとは「不思議を提供する演技」です。この考えは人によって十人十色ですし、全ての考え方が全て正解とも言えるし、逆に正解などないとさえ言えるとても曖昧なものだと思っています。
ただ、大切なのは自分がマジックを演じる中で「自分の持つ定義」だけは決めておく必要があります。

それを踏まえて「不思議を提供する演技」をマジックとして、その内訳を考えていきます。
私にとってマジックとは昔ながらの「種も仕掛けもありません」が前提条件としてやるもの。という思いが強いです。
この現代、トランプを出してこようがコインを出してこようが「種も仕掛けもない」なんてことはありえないわけですが、少なくとも「種も仕掛けもない」ものとして認識してもらって初めて成立するものだと思っています。

例えば「仕掛けがないと成立しない現象」のものですら、見せ方やトークによってお客さんの考えうる可能性をつぶしてあげて本当に「仕掛けがない」と思わせることに意味があるわけです。
チャイナリングや人体切断マジックや空中浮遊などなど。やっぱり現代科学において「仕掛けがないと成立しない現象」があるわけです。お客さんはどう考えたって「仕掛けがあるから成り立つ」と思っているわけです。
でも、演者が「とある仕掛けによってこの現象が再現出来てます!」って言ったらたとえ仕掛けがわからなくても「不思議に見えるはずがない」ということです。
あくまで演者が「種も仕掛けもありません」というスタンスでいるからこそ、お客さんにそれが伝わり、不思議な現象が成立するわけです。

マジックの直訳が「魔法」であるからにして、観る人が考え抜いてもわからない不思議さに意味が必要なのです。
つまり、マジックとはやはり観る人にとって「種も仕掛けもない」ことが前提であると強く思います。

さて、要するにマジックにとって種明かしとは打ち消し合う存在であることに変わりないということです。
種明かしをした時点でマジックはマジックと呼べるものではなくなると思います。

2.種明かしは悪なのか

前述を踏まえてまずは結論として種明かしとは悪なのかどうなのかについてです。
前述を踏まえた場合、どう考えた所で「悪」です。
マジック=不思議なもの
種明かし=不思議でなくなるもの
であるなら、明らかに悪なんですよね。

で、結局どういう点が悪なのかを詰めていかないといけません。
マジックとは古来より仕掛けや手順が受け継がれている演目や現代のマジシャンたちが新しく考えたものが、複数のマジシャンに「共有」されているものが数多くあります。
ここが問題なんですね。「共有」です。

共有とは「シェア」です。こうして、言い方を変換していくとわかりやすくなってきますね。
例えば友人とゲームの秘密のパスワードをシェアしていたら。例えば会社で重役社員のみでシェアしている資料があったら。
知人とシェアハウスをしていて住人だけが持っている合鍵があったら。
こう考えていくとだんだん共有についてわかっていきますよね。
じゃあ、今度はそのシェアしてる秘密のパスワードが第三者によって不特定多数の人が見れるツールで公開されてしまったら?
重役社員のみでシェアしてた資料がなにかのミスで流出してしまったら?
住人だけの合鍵が他の人の手に渡ったら?
こう考えていくとだんだん怖くなってくるというかシンプルに「嫌だなー」ってなりませんか?

要は上記の例え話は犯罪に分類され、違法なものもありますが、マジックの種明かしも同じなんだよーってことなんですね。
マジシャンの間だけで脈々と引き継がれていっている秘密を明かしてしまうということはシンプルにマジシャン達は「嫌だなー」って思ってるんだということをまずは知って欲しいなと思います。

3.プロにとっての種明かしとは

さて、では次に語りたいのはマジックを生業としている「プロマジシャン」にとって種明かしとはどういう影響となるのか。

まず、一言目の結論としては「営業妨害」です。
老舗の料理店が秘伝のレシピを公開しないのは何故かというのと同じです。
公開してしまうと真似をされてしまうからです。
真似をされると、その店だけが持っていたアドバンテージが崩れます。似たような味を出せる店が乱立してしまい、その初めに考えた店の売上が減り、いつかは閉店に追い込まれるかもしれないからです。

これをマジックに置き換えると、手順やトリックを知っている状態でマジックを観る。となるわけですが、果たしてあなたはその状態で不思議を提供するエンタメを楽しめますか?ということなんですね。
これについても人というのは様々な考え方を持っているので、賛否分かれます。

「私は手順や種を知ってなお楽しめる!」

おおいに結構かと思います。素晴らしい感性を持っているなと思います。
ただ、全ての人が同じ楽しみ方は出来ないし、極めて少数派のご意見です。
大半の人は種を知ると「なんだ、こんな単純なものなんだ。もう見なくていいや。」とそのマジックに対しての熱が冷めることでしょう。
こうなると、お金を出してまで「マジックショー」を観にいきたいかという心理にたどり着きます。

今まではお金を払ってでも観たい自分にとって特別なショーだったものが、そうでなくなってしまう人もいるのです。

マジシャン側からすると、自分のマジックショーを観てくれるお客さんが減るという結果になります。売上に関わります。つまり、営業妨害だ!って言いたい気持ちもあるってことです。

マーケティングの一環として、子供だましのような簡単な種明かしをすることで、マジシャンのレベルを測ってもらい、営業をとるなんてこともありますが、それはまた別の話なんですね…。

ここが混同し、例えば「テレビで有名マジシャンが種明かししてたんだから俺もやってもいいだろ」は大きく意味が変わってくる。ということなんですね。
ここも賛否が大きく分かれるので一概にどっちが正しいとも言いきれない曖昧さがあるのですが、ひとつ言えることは、いかなる状況でも「種明かししないほうがいい」に越したことはないということです。

ただ、テレビというのはスポンサーつけて放映してますから、よりたくさんの人によって番組を観てもらい、CMを観てもらいたい。じゃあ、種明かしなんて企画とフレーズがあれば観てくれる人は増えるんじゃないか。ということでマジシャンに種明かしを口説くわけなんですよね。
それはそれでビジネスです。

そういう戦略に出るのは種明かしに違法性がない限りは仕方のないことなんです。
これはこれでプロのお仕事なんです。って言い出すとまたいろんな意見が出るんですけどね。

まぁ、そのかわりテレビで種明かしする内容は「誰でも出来る」ものや「うまく本質をかわしているもの」や「いや、それは教えてもらっても出来んわ」というものなど、それなりに責任感を持って種明かししてる場面が多いかなと。
実際に現場に立つプロマジシャンにとっては「そのネタなら明かされてもいいや」なネタが多いことも確か。

前述した料理店の秘伝のレシピに例えると、レシピそのものを公開はしないけど、家庭でも出来るちょい足し工夫などがそんな感じですよね。

このあたりを理解してもらえるとおおよそ種明かしについての是非がわかってきてもらえたのではないでしょうか。

4.YouTubeを配信する人と観る人のズレ

YouTubeに限定するわけではありませんが、不特定多数の人が無料で観れるツールとしてYouTubeをあげさせてもらいます。

ここで要因となっている種明かしYouTubeへの見解へと入っていきます。
まずテレビとYouTubeはどう違うのか。です。

この種明かしの観点からのみ話すと、1番の違いは「誰が発信しているか」です。

テレビはテレビ局が発信しています。細かく言えば番組制作会社が企画し、それぞれが役割を持って会議をし、打ち合わせをし、演者をキャスティングし、作っていきます。
これはテレビで番組を制作することのプロが発信しています。

それに対して、YouTubeの場合は発信者が「マジシャンそのもの」であることですね。
もちろんテレビの制作同様、編集係がいたり、カメラマン雇ったりなどチームで動いているYouTuberも多くなっているようですが、要は企画者が「マジシャン」であるという点ですよね。

つまり、ピックアップする内容がその道の素人が考えつく内容か玄人が考えつく内容かというとこにも企画内容に大きな差が出来ます。

この力を持って種明かし動画を企画するわけですから、如何に同業者が嫌がるかがわかっていただけるかと思います。

そして、観る側の人との感覚のズレを話す前に種明かしの無料と有料の違いです。

民間の資格などですら勉強して資格を取得するにはお金がかかります。
それだけ専門の知識や技術というのは無料で公開出来るようなものではないというのがまずひとつ。

これは人の意識の問題なので個人差の出る話にはなりますが、無料で得た知識や技術は意識が弱くなるので、簡単に忘れてしまいがちになるし、自分が無料で得たからという理由で他の人にも簡単に公開してしまうような心理が働きます。
言わば、扱いが雑になりやすいということです。

しかしこれが有料で、しかも1万円を超える額で得たものならどうでしょうか。
自分が1万円も払ってでも得たいと思って手に入れたものをそう簡単に忘れるでしょうか?
無料で他人にその知識をひけらかすでしょうか?

これほどまでに有料と無料では差が出るのです。
高額商品を安くで手に入れる。友人から無料でいただく。どちらも素晴らしいことです。
ただし、自分がその物を扱う時の丁寧さはおそらく高額のまま手に入れた時と変わるはずです。

マジックのネタも同様であるということをまずは知っておいていただきたいと思います。

マジックにはネタそのものや仕掛けを作る「クリエイター」が存在します。
もしくは、自分で考えてネタを作る人も大勢います。
または、マジシャンなら誰もが知る名作トリックをアレンジして自分のものとしている人もいます。
そうやって、ネタそのものを要は売り買いすることによってマジシャンはレパートリーを増やしていくわけです。
そして、前述の通り、自分の財布からお金を出して手にいれたネタを簡単に無料で内容を公開できますか?ということですね。

大半の人は出来ないはずです。

ここでYouTuberのお話に入ります。
ではYouTuberのマジシャンは何故、こうも簡単に種明かしをしてしまうのか。です。

一言目に言えるのは「簡単」ではないということです。

まず、YouTubeにあげる動画の作成の大変さは知らないといけません。
これは、種明かしの動画をあげてればそれでいいという意味合いではないということです。

彼らは「再生数」や「チャンネル登録者数」や「高評価」を稼ぎたいわけです。
そのためには、テレビと同じく「観たいな」と思える企画やクオリティの動画を作成しないといけません。
さらに、それに応じて彼らには「広告収入」なるものが発生します。つまり、それをもとにお金を稼いでいるわけですね。
プラスそれで名前が売れれば、営業にもつながるマーケティングにもなっている。というわけです。
そう、つまり彼らは「無料でやっている意識」がないに等しいんですよね。
まぁ、それで動画一本あたりいくらの利益なのか人によってどれくらいの差があるのかなどは調べてみてください。

要は無料の意識なのは「観る側」だけだと言っても過言ではないかと思います。
ここが大きなズレです。
とは言っても、彼らは再生数や高評価に応じて金額が変わるので、あらかじめ決められた種明かしに決められた報酬を得ているわけではないので動画によっては、無料同然のものもあるでしょう。

しかし、そんなことが関係あろうがなかろうが観る側は無料なのです。
YouTubeプレミアムとかそのへんの話は置いておいてになりますが。(無料前提がYouTubeなので)

言わば残念ながらこれは彼らにとってもビジネスやマーケティングの一環であるのです。
このツールの意識のズレがなんともしがたいわけです。

「不特定多数が無料で観れるツール」なのだからマナーやモラル、あるいは暗黙の了解を守って、YouTubeでは種明かしするなよ!って声をあげても無駄なのだと言わざるをえません。
何故ならばそれはYouTuber本人たちが誰よりも理解しているからです。(もちろん人による)

それを考えた上で種明かし動画でYouTubeをまたはマジック業界を盛り上げるんだという結果に至ったわけです。
これは、YouTubeでマジックを演じているだけの動画と種明かしの動画では後者のほうが再生数が稼げる。
つまりは、後者のほうが「観る側のニーズ」に応えてるとも言えるんですよね。

こうなってはもう何を言われようが止めようはずもないわけです。
私は前述の通り、種明かしは反対派だし、営業妨害だとさえ思っている派なので決して肯定するわけではないのですが「それはそれでもう仕方のないこと」だと理解するほうが良いと思っています。
彼らなりの「成功の形」なんです。

これについて、個人に対して「解説を止めてください」と言うのはその一言で止まってくれる人なら有りだとは思うのですが、これもさっき書いた通り、その重要性はやってる本人たちが誰よりも考えていることであるのも確かなのでそうそう止まれません。
こういう風潮が広がりすぎて、安易に何も考えずに種明かし動画を始めている人もいるのが非常に痛いとこでもありますが。

現在、マジックの種明かしそのものが違法であったり犯罪性がない以上、本当にマナーやモラルの押し付け合いにしかならないのです。

(こうなってくるとね、もうYouTubeをなくせ!とかYouTubeそのものを訴える!って話にしていかないと根本の解決にはならないのです)

ここを理解出来たら種明かしについての言及が如何に無駄なことか。肩透かしを食らっているかがだんだん感じられてくることではないでしょうか。
ただ、さらに難しいのはだからと言って全ての人が種明かしについて言及しなくなったらそれはそれでマジック業界の暗黙のルールを崩壊させかねないとも言えるのです。

ここで次のお話になります。

5.SNSで種明かしを否定することとは

SNSと言っても主に見かけるのはTwitterくらいでしかこの論争はほとんど見ないのですが、まず今までに私が見かけたこの論争を客観的にみて、感想を述べるとすればコロナ流行当初の「マスク警察」と言っていることは基本的に同じです。

種明かしは誰がどう考えても悪であるからして、SNSで悪だというニュアンスの拡散をする。
悪だと発信している側は悪を正そうとしているので正義感が生まれる。自分のしていることは間違っていないという思い込みをする。

では、これを他に置き換えた時に本当にこれが正しいことなのかどうか。

例えば、ちょっと前によく炎上していたネタで店で働いている店員がその店の商品でイタズラをしている動画をあげて大問題になった話など。
これをとりあげてみると、誰がどう見ても、迷惑行為どころか犯罪行為、営業妨害である。

ただ、これをピックアップして不特定多数の人間がこの迷惑行為者をいっせいにSNSでたたきまくった結果、心を病んで最終的には自殺まで追い込んだことにまでなったとしたら。
悪いことをした人が正論に叩かれて勝手に死んだのだから因果応報だ。誰も悲しまない。自業自得だ。と、思うのは人それぞれの勝手なのだが、要は結果的に「言葉の暴力で人が死んだ」ことには変わりない。

ここ数年、有名人方々でも誹謗中傷が原因で悲しい死に至った人が何人もいたことを覚えている人も多いと思う。
これは、決して他人事ではない。でも、どうしても叩いた側の人は「正義感」があって実行しているし、自分の身近な人が亡くなったわけでもないのでどうも関心が薄くなってしまう。
良くも悪くもSNSを使った拡散の力というのは人の心を動かす力がある。

種明かししている人をSNSで吊るしあげて「こいつは間違っている」とするのは確かにその人が悪いことには変わりないがだからと言って正義をふりかざしたナイフで切りつけていいわけではないということ。
単純な話、罪を犯した人が目の前にいるからと言って、その人を自分が殺してもいいかということ。
残念ながら、残念ながらこの世界は悪事に対して因果応報ではない。
悪事は法のもとに晒されて初めて裁かれる。
でも、それもまた世界のルールである。

ここで何が言いたいのかの結論はマナー違反や暗黙のルールを破る人を叩くのは正義かもしれない。でも、その一見、正義感のナイフであったとしても「ナイフを持つこと」の責任を自分で持っているかということ。

種明かし問題においては、当人と直接話をして説得を試みる。それくらいしかないのではないだろうか。
SNSでの吊るしあげというのは結局のところ、種明かししてる人とやってることはそう変わらないよということではないだろうか。

これは種明かし問題を正すということではなくて、やり方として根本の解決にはなり得ないということではないだろうか。
「SNSで種明かしを否定すること」そのものについてはそういう見解です。
そもそも時間の無駄。SNSの使い方は善悪関わらず人の心と身を動かしてしまう。自覚のない正義感のナイフは知らぬ間に傷をつける。
ということ。これは種明かしがどうのこうのというよりはSNSのあり方というか、昨今のこういうツールの考え方についてという部分が大きい。

6.本筋とは少し脱線する話

炎上商法というのもしっかり抑えておかないといけません。要はあえて炎上させるネタで名前を売る、フォロワーを増やす。再生数を増やす。などなど。
これ、悔しいことに炎上させてやろうと思ってそれこそ正義感で拡散してるその人が「宣伝役割」をしてしまってるということなんですよね。

あとは、やっぱりTwitterにおいては引用リツイートなどがありますから、結局それをしてしまうとその話題自体は余計にたくさんの人の目に触れてしまうのです。
仮に、マジックの技法の話でマジシャンしか知らないような技法の名前で、それを解説してる動画があって、これはダメだろと思って、引用リツイートで「この技法解説しちゃダメだろ」って拡散すると、本来その目に触れることがなかったかもしれないのに結局想像以上に拡がっちゃうってことなんです。

あと、悲しいのは「マジックを見て楽しみたいだけの人」の目にも触れる可能性が広がります。

「マジック見て楽しんでる私らはこの論争始まるとまたかーって思って冷めちゃうんだよね。マジシャン同士の会話を見ると幻滅する。」

この言葉を知り合いから受けたのですが、全くもって仰る通りだと思いました。
業界内の論争、見てて楽しめる人もいますが「いや、そんなのこっちに見えないとこでやってくれ」って方がほとんどだと思います。

そういう意味ではお見苦しいものをすみません。という気持ちです。

あと、これは私個人としての目線にはなるのですが、私は京都でかれこれアマチュア時代、プロ時代を含めて15年以上マジシャンをしていますが、いまだにこの種明かし問題の被害をうけたことがありません。
「そのマジックの種知ってる!」とか「こうやるんでしょ?」とか言われたことはあるんですが、だからと言ってそれの返答に困ったことがないんですよね。
「あ、そんなやり方でも出来ますね」とか「おお!…全然ちがいまーす(笑)」とか現場でやってればいくらでも逃げ方あるやん…って思いながらはやっています。
気になるのは複数のお客さんの時に1人のお客さんがマジック詳しい人で周りのみんなに解説してシラケさせる時。
これも割とあるあるなパターンではあるのですが、こういうのは焦ってマジシャンがフォローするよりも案外放っておいたほうが、お客さん同士で「そんなこと言ったら面白くなくなる」とか解決して下さることも多いです。
あとは、その詳しいお客さんをアシスタント代わりにするようなマジック(Do as I doなど)で壇上に上げて「では素晴らしかったこちらのお客さんに拍手!」などで場の空気を支配すれば案外そのあとは大人しく見てくださったりとか。

とにかくこのあたりは場数かなと。
これも経験した時に上手く返せなくて「こういう時みなさんならどうしてますか」というツイートをよく見かけますが、気持ちはわからなくもないのですが、まずは自分なりの切り抜け方を頑張って考えて試してみようということです。

明確な「必ずこう返せば成功する」なんて方程式はないですし、あったとしてもそれはその人の演技スタイルに合った返しだからです。

以上、長くなりましたがこれが私の現代の種明かし問題について思うことです。
ぜひ、マジシャン方々にはどう感じたのか聞いてみたいものです。

それではまた!

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