意趣返し

 「意趣返し」、言葉の意味としては「仕返し、復讐」です。僕はこの意趣返しが大好きです。やられたらやり返さないと気が済まない。倍返しです。いや東京中央銀行の銀行員じゃ無いんですけど。
 とはいえど、復讐とかやり返しっていい響きというか、いい雰囲気はしないですよね。やり返したらやってきた側と同じになるじゃないか!!と言う人もいます。そうなんですよ。殴って殴り返したらこっちも悪い奴になっちゃいますからね。でもやられっぱなしではいられない。
 僕はラジオリスナーをやっています。投稿を趣味にもしています。この趣味のおかげで、僕は「殴り返し方を工夫した意趣返し」ができるようになりました。
 僕は常々Twitterで、「ラジオ投稿のいいところは、我が身に降りかかった不幸や悲しいことをも笑いに変えることができること。笑いの強みは悲しさをもネタにできること」と言っています。人から向けられた悪意や危害を、時間をかけてでもいいから笑いやネタに変える。こうすることで僕は、嫌な感情を発散、昇華させています。そしてこの手の「意趣返し」が楽しくて仕方ないんです。
 もちろん、嫌なことは起きないに越したことはありません。悪意、悪口、誹謗中傷なんてされたら、ものすごく心は落ち込むし、自暴自棄になるし、大きく心に傷を残します。かと言ってその負の感情をただただ燻らせるのでは一体何の得になるのか?とも思うのです。自分自身のメンタルはすり減らすだけだし、相手に対する態度も強くなって、まさに「触る人皆傷つけるモンスター」になりかねない。自分自身その気があるのでまずいなと思っているわけです。
 だからこそ笑いに変えてラジオのネタにしたい。そしてそのネタを受け取ったパーソナリティさんや作家さんには、それに同乗してほしいと言うよりかは、大いに笑い飛ばしていただきたい。こうすることで、自分の心も晴れるし、事情を知らない人には笑いだけが残るし、事情を知っている人には、「俺は立ち直ったぞ」と伝えられる。言うことなしです。
 少し前に霜降り明星の粗品さんが、「父ちゃんの歌」と言うのを「クセスゴ」で披露なさっていました。内容は、粗品さんのお父さんが死んじゃう話で、悲しい歌ではあるんですが、粗品さんはそれを、明るいメロディーと面白いエピソードを込めた歌詞で楽しく歌い上げてしまっているんです。それに対して千鳥のお二人が「笑ってやろう!これは笑っていい!」と言ってめっちゃ笑っていたのが印象的でした。悲しみを笑いに変えることの究極系をここに見た気がしたのです。
 「人生はネタの肥し」これが僕の信念です。不幸が降りかかって悲しい、悪口言われて腹が立った。でもそれを乗り越えて笑いにできた時、ラジオの向こうの人が盛大に笑い飛ばしてくれた時、ああ、俺の不幸も無駄じゃなかったな、むしろネタ提供してくれてありがたいな、俺、生きててよかったなってなるんです。
 怨みを怨みのまま心に置いておくのは、精神衛生上よく無いと思っています。だからこそ笑いに変えることで、自分の心を落ち着かせたいし、暗に意趣返しを達成することですっきりさせたいし、笑いという形で発散させたいのです。笑いの可能性はとても大きいと思うし、こう言うことが起こるたびに、自分はラジオ投稿を趣味にしていてよかったなと感じます。

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