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憂鬱を纏う
憂鬱だと思うことが増えた。だから死にたい。
口癖が「死にたい」の見知らぬ貴方は今日も生きる。
私には死にたいと願う誰かの気持ちを分かり合う事は出来ないけれど、いつか分かり合える日が来るまで、私は憂鬱を纏う。
嫌な事があって何もかもを放り投げたくなって死にたくなって。私は、そこにいる見知らぬ貴方ほどの経験をしたことが無いかもしれない。だから分かり合おうなんて同情の言葉はかけてあげられないかも知れないけれど。考え方を変えるだけでいい。憂鬱を纏えばいい。毎日が幸せな人なんて誰も居なくて、幸せになるために憂鬱を纏う。「気にしない」が出来なくてもいい、ただ憂鬱と二人三脚していく。
これを見ている見知らぬ誰かが、数日数年後の自分だったとしても変わらずに言い続ける。
甘ったるい憂鬱を纏って明日を生きればいい。
夜には考えず、まあこんな日があったっていいかと自分を押しやって朝の陽を浴びて一日を生きればいい。
望んだ死なら幸せだと思う人もいるかもしれない。でも、生きてるうちにすれ違う誰かの言葉だけで思い詰めて死ぬことは幸せなんだろうか。
どうせ死ぬなら幸せに死にたい
何が正解かは分からないけれど、気持ちの揺らぐ決意は幸せにはなれない
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