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横浜の浜辺に聞くアインシュタインの声

 こんなタイトルを付けておきながら、横浜の浜辺を見なかったのですが(お天気が悪く断念)、遠出してを久しぶりに生オペラを見てきました。観劇ボケしていて、双眼鏡を忘れてしまったので細部については正確に語れませんが、割と遠目でも分かりやすい舞台なのが救いでした。


テクストについて

 開演前から音楽が始まっていて、オルガンがA-G-Cのオスティナートを延々と繰り返しており、観客も段々洗脳?されていきます。舞台上では、緑の服を着た作業員(といっても演者ですが)が掃除をしています。奏者もアメリカン・スタイルで入ってきて、「今日も頑張ろうね」的な素振りをしてリラックスした雰囲気。指揮者も静かに登場しますが、お掃除をしている作業員ともめている様子。

 以下、私の想像のやりとり。

(指:指揮者 作:作業員)
指:何掃除をしているんだい?これから開演じゃないか?
作:開演って、何のですか?
指:(チラシを見せながら)ほら、浜辺のアインシュタインっていうオペラさ。
作:何それ!面白そう!どうぞ頑張ってくださいな!

 雑で恐縮ですが、こんな雰囲気です。

 他愛ない前置きだと思いつつも、後にこの作業員がある伏線だったということに気付くわけですが…。

 さて曲が始まります。これは本作に限った話ではないと思いますが、グラスの音楽だけでなく、テクストや振付(今回はダンス)もミニマル的なパターン化が行われていることが分かります。テクストも部分的には意味が通るのだけでも、脈絡はなく、文節も自由に入れ替えられたり、言葉も自由に伸び縮みするので、そもそも意味を分かろうとして聞く必要はないんだよなと思います(その点、ナレーション部分は含蓄が深くて、逆に理解が難しいのですが…)。

 テクスト面で面白いなと思ったのは、裁判の場面です。ここは同じテクストが延々と繰り返される場面で、やや退屈に聞こえるかもしれませんが、よく聞くと言葉の順序が入れ替わったりして文意が変わっているような気もする、なかなか凝った部分です。原文もトリッキーですが、訳す方もなかなか工夫が必要とされます(今回は日本語上演でした)。
 その点、今回の翻訳はなるほどと思う部分がありました。例えばこちら。

This one has been being very American.
So this could be like weeeeeeee.
これはアメリカらしいね。
私たちみたいにね。

第1幕第2場「裁判」より


 単純に意訳するとこんな感じですが、読むときに「アメリカらしーーーーーーー」、「わたしーーーーーーーたち」のように「しーーーーーーー」で無理やり韻を踏ませていたのが面白いです。これを男性と女性で言うところがあるのですが、「しーーーーーーー」で見事にはもっていました。


 一方で、日本語の翻訳にも限界はあります。

The scarf of where in Black and White.
黒と白のマフラー

第1幕第2場「裁判」より

 逐語的に訳せばこんな感じですが、Black and Whiteといえば、アメリカ的には人種的な含意を持つところ。またこんなところも地味に気になったり。

Do you know they just don’t make clothes for people who wears eyeglasses.
眼鏡をかけた人に服を作らない人を知っているかい?

第1幕第2場「裁判」後半部より


 ここから”glass(眼鏡)”という言葉が繰り返し出てくるのですが、作曲家の名前が連呼されているように聞こえる部分でもあります。日本語にするときは「アイグラス」などするほうが面白いかもしれません。


 また、裁判冒頭のこの部分、

If you see any of those baggy pants it was huge chuck the hills.


は、「チャクチャク、ブカブカ、デカデカのズボン」みたいに楽しげに表現していました。
(個人的には、この後の、If you know it was a violin to be, answer the telephone and if any one asks you please it was trees. と合わせてどんな訳になるのか気になっていますが…)。

振付について

 次に振付、ダンスについて。こちらの方面について、自分はあまり明るくないので素人の感想になりますが…。
 序盤から踊りの型もパターン化されていて、冒頭に出る(煙を口から出す)黒服のピエロっぽい人物の動きなどは分かりやすかったです。上手奥から中心前方まで、舞台を45度の角度で横切るように動くも、女性たちの邪魔が入り、またリセットする、この繰り返し。ある意味、コスモスとカオスの交代というか、パターン化された動きでも、途中途中でその繰り返しが壊されるときがあって、その瞬間、音楽にも変化が起こり、舞台全体の化学変化を楽しんでいる感覚でした。
 音楽が一番のカオスを迎えるのは、第4幕冒頭。これは合唱や各楽器が即興的な演奏を行う場所で、時にはフルートの鳥の声が聞こえたり、低音楽器の波のうねりが聞こえたりと、大自然の真っ只中にいる感覚になります。ここらへんに来ると、ダンスもかなりパターン化を脱して自由度を増してきます。
 この後が演出の大きな見せ場。波のように押し寄せる「ビニール」が、ダンサーその他諸々を飲み込んでしまいます。しかし、一人の女性ダンサーがその波から抜け出します。彼女は足に鎖を繋がれていますが、そばにいた男性に鎖を解いてもらい、優雅な舞いを披露します。
 演出家の平原さんがプログラムで触れていた「既存のカテゴライズ」からの解放、あるいは、20世紀アメリカにおける「自由」獲得に向けた運動という主題は、ダンスのこうした部分にも現れているように思います。もう一つ挙げるとすれば、「人間性の回復」というテーマもあてはまるかと思います。冒頭に作業員が掃除をする場面があると申しましたが、その作業員が第2幕で人間(ダンサー)をゴミ箱に突っ込むという場面があります。ここでは人間をビニールにくるんで捨てるということが行われ、ある意味ビニールが人間性を奪う象徴として機能しますが、その中で「もがく」ダンサーの姿は、自由や人間性を奪われた人間の寓意ともいえます。こうも言えるでしょうか。ビニールを科学の象徴と読めば、科学は人間を豊かにし、一方で不自由にもしたと。平和主義者でありながら、一方で原爆推進に関わったアインシュタインを二面的に捉えたこの作品の性格を踏まえるなら、そのような解釈も許されるかもしれません。

 などなど、細かく書けばまだ色々ありそうなのですが、ひとまずここら辺で(ちなみに、途中でピエロが手術台にタクシーのランプを載せて通り過ぎる場面がありましたが、グラスがタクシー運転手をやっていたことのさり気ない暗示でしょうか)。

音楽について

 音楽はもちろん素晴らしく、辻さんのVnソロ(このソロは独立して演奏されることもあるかっこいい曲)や、技巧的な電子オルガンなど、目を見張るところがたくさんありました。そして合唱の見せ場は、ニープレイ3のアカペラ。ここは高速の"one,two,three,four"で歌われる「急」の部分と、階名唱で歌われる「緩」の部分で構成されるシンプルなつくりではありますが、必要とされる技術はいかほどのものかというテクニカルな場所です。"one,two,three,four"の繰り返しは、以前聞いた「アルマゲドンの夢」を思い起こさせましたが、やはり通じているものがあるのでしょうか。
 グラスの音楽の好きなところを挙げるとすれば、らせん状に変化していくリズムです。2連系、3連系、その他諸々のリズムパターンを、パズルのように組み合わせていき、時に逸脱を挟みながら興奮していくあの手法。また彼のリズムも、クライマックスで大なたを振るうような大胆なリズムを入れてくることもあり、そういうところもたまらなくかっこいいです。今回のキハラさんの指揮はとても分かりやすくエネルギッシュで、舞台以上に目が離せなかったです。

終わりに

 ということで、聞く前は居眠りしないか心配でしかなかった演奏会でしたが、終わってみると様々な発見があってビックリ。だいぶグラスの理解度も上がってきたのでしょうか…?「喉から手が出る」ほどではありませんが、また時をおいてチャレンジしたい作品です。

 ところで神奈川県民ホールでは、2024年度にシャリーノの「ローエングリン」をやるそうです。都内の劇場でさえ、現代オペラを聞ける機会が少ないので、こうした野心的なプログラムは非常にありがたいですね。とても楽しみです。

【参考】

 何気なく見ていたら、初演時のNYタイムズ評が残っていました。「退屈」という言葉は出てくるものの、割と好意的な評価ですね👍


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