映画「余命十年」感想

*ネタバレをなるべく控えますが、多少なりとも入る部分はございます。ご了承ください*


古いビデオカメラの動画を、貴方は見たことがあるだろうか
あの、今とは違う、多少不鮮明さが入った、けれど当時は「画質が良い」とされた時代のものを
物語は、主人公がその動画を観ている様子からプロローグとして始まる
そしてそのプロローグで悟る他ない。主人公の、病の重さを

ええもうここで涙目でしたよええ。だってあまりにも、あまりにもなんですもの
そして主人公が入院生活から帰ってくるシーンで明かされる病気のこと。サラッと流すように演出されてるのですが、タイトル通りのことが書かれてまして。主人公がどれほど自分の病気と向き合ってきたかの証がそこにありました

流れるシーンは、全てが彼女にとっての「友情」であり、「恋愛」であり、何よりも「日常」
日常だからこそ、「病」も特別なものとして撮られていることは稀で、稀だからこそのリアリティがそこにありました
けれど所々散りばめられている、主人公の「周りの気遣いに対する感情」が、なんとも言えない気持ちになりました

同時に、流れていく時間を表す方法が植物やイベント、つまり季節で表現していて、それもまた「日常感」が強まっている所以なのかなぁと思います
偏見かもしれませんが、こういった闘病を含んだストーリーって時計やカレンダーといった、明確に時間を示す媒体で表現する印象があります。なので、なんというのでしょう、そうでなかったからこそ「主人公の普通の日々」が強まっている感じがしました

そう思ってしまったが最後、ハンカチなしに観ることができる時間の方が少なかったですね……

演出について考察できる点や、これってもしやこういうことへの暗示?って思うと観終わった後も中々考えることが多い作品でした

こちらは原作(小説)もあるのですが、そちらに使用されている名前等々についても注目して映画を観ると少し面白いらしいので、買おうかどうか悩みながら帰り道を歩く夜でした

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?