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オトナ未満(3)

科学実験室は、中学の理科室よりも大きくて、壁際(かべぎわ)の戸棚には様々なガラス器具が整然と並んでいた。
黒い艶のない天板のテーブルが八面もあり、二面ずつが「流し」を挟んでつながっている。

丸椅子にめいめいが腰かけるようになっていた。
「さてと、山本先生がまだ来られてないけど、今日の見学会を始めるにあたって、見学者の新入生諸君を紹介しよう。ぼくは、部長の三年一組の中島雄一です」
度のきつい黒縁眼鏡をかけた、背の高い男子生徒が立ち上がってしゃべりだした。

あたし以外にも、男の子が二人、見学に来ているようだった。
「じゃ、君ら、こっちに来てください」
部長があたしたちを教壇のほうに促した。

前に並ばされると、室内には部長を除いた十二人の部員がそれぞれ椅子に掛けている。
みんな、どこか賢そうな雰囲気だった。
長谷川さんがあたしの目の前に座って笑っている。

「えっと、それじゃあ、紅一点、いや、山本先生を入れたら二点目の高安さんだっけ?自己紹介おねがいします」
あたしは「やっぱりな」と思ったのと、山本先生が女の先生だということを今になって気づく。

「あ、あの。あたしは一年四組の高安尚子と言います。長谷川さんに勧められて、今日は見学に来ました。よろしくです」
ぺこりと、あたしは頭を下げた。
拍手が起こった。
続いて、二人の男子が自己紹介した。
「ぼくは、一年一組の杉本健司です。動物が好きです・・・」
「ぼくも一組の市原誠です。杉本君に誘われて来ました。天文が好きです」
「どうもありがとう。高安さんは何か趣味は?」と中島部長が尋ねられた。
「あたしですか?あたしは、その…アマチュア無線をやってます」
「おお、すごいじゃない。佐野、西村、仲間が増えたな」
「コールサインは?」と、おそらく佐野さんという部員が質問してきた。
「JF3***です」
「おれ、JE3***の佐野亨(とおる)です。こっちはJG3***の西村や。無線班つくりましょう、部長」
「その話は、あとでな。高安さんが入部してくれるかどうかもわからんのやぞ。さ、君らもそこらの空いたところに座って」
「はい」
「さて、今日は8ビットマイコンを学校で買ってもらったので、習熟しようと思う。山本先生が来られたら始めよう」
部長が言った。
しばらくして、山本先生が入ってきた。
入学式の時に、ちらっと見た先生だった。
白衣を着て丸い眼鏡をかけ、長い髪を後ろに束ねた、細身のすらりとした先生だった。
年のころは三十くらいだろうか?もう少し若いかもしれなかった。
「そろってるわね。あら、こちらは見学に見えたのね。あたし化学の山本真理子です。二年生の化学を教えてますので、あなた方とは初めてお目にかかります。女の子が来てくれてうれしいわ」
あたしたちはお辞儀をした。
「中島君、進めてちょうだいな」
「はい、先生。マイコンの準備をしますわ」
このところ話題の「マイコン」をやるらしい。
ワンボードマイコンといって、プリント基板むき出しの、電卓程度のキーボードが備えられている、いかにも「実験装置」みたいな姿だった。
部員が数人、それを準備室から運んできて準備をした。
分厚いマニュアルがそばに置かれる。
あたしたちも近寄って見せてもらった。
「これは、セミキットって言うて、大事なところは組み立ててあるんや」
「部長、電源のところを半田付けせなあかんのとちゃいます?」
「そや。それからI/Oポートと、バスラインでつないでな、サーミスタ回路で温度計と温度制御、論理回路のシミュレーション、それから…」
あたしも電気屋の娘やし、アマチュア無線局長でもあるので、そこそこ興味があった。
「なあ、高安さん」、西村さんが声をかけてくる。
「はい?」
「何メガに出てんの?」
「一応、父が6mと2mのリグを持ってるんでそれを使わせてもらってます」
「へえ、お父さんもやってはんねや」
「母も」
「うわ、一家でハム?」今度は佐野さんが驚いた声をあげる。
「おれは、短波や。おもろいで、外国と交信できるし」とは西村さん。
「へぇ、英語できはるんですか」
「あんなもん、適当よ。てきとう。な?佐野よ」
「おれはCW(電信)やから、英語でけへんでもかまへんね」
佐野さんはすでに二級アマチュア無線技士なのだそうだ。
部活動としてはアマチュア無線の活動をしていないので、この学校にはアンテナも上がっていなかった。
よく学校にはクラブ局があるものだが、あたしも交信したことがあった。

山本先生があたしたちに科学部の概要を教えてくださった。
「科学部はね、電気・物理班と化学・地学・生物班に分かれてるの。それぞれテーマを決めて半期に一度成果発表をしてもらいます。でもそんなに堅苦しくなくってね、楽しんでみんなやってるから心配しないで」
「ぼくは天文が好きなんですけど」と市原君。
「だったら地学の柏木君とかと組んでやったらいい。反射式赤道儀と屈折式経緯台がここにもあるわよ」
「ぼくは生物というか動物が好きなんです」と杉本君が続けた。
「今、生物関係は三年生の中島部長しかいないので、ぜひ一緒にやってあげてよ」
「そうなんですか」
「中島君は、医学部に進みたいんだって。猛勉強中だから、後輩が欲しいのよ」
「先生は化学の先生なんですね」あたしが今度は尋ねる。
「高安さんだっけ。あなたは理科が好きなの?アマチュア無線なんて難しいものをやってるのね」
「好きです。無線は父が電気屋で、あたしにもやらせたがって、試験を受けたら通っちゃった」
「すごいわ。女子の部員が過去にもいたんだけど、今はまったく。あたしからもあなたに入ってほしいとお願いするわ」
「わかりました。前向きに考えます」
「入ろうよ。高安さん」市原君がもう決めたって感じで背中を押す。
「おれは最初から入部しようと思ってたんや」とは杉本君。
「じゃあ、山本先生、あたしたちを入れてください」
「え、ほんと?」
驚いたのは先生の方だったようだ。
「みんなぁ、聞いて。この三人の一年生たちが、入部したいって」
「おっしゃぁ!」
陽気な長谷川さんがガッツポーズをした。

暗いイメージだった、あたしの高校生活が一転して希望に満ちたものになった瞬間だった。

(つづく)

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