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逃避行 (1)

元日の府警本部のホームページに何者かが不正にアクセスし、トップページにワイセツな画像が貼り付けられるという事件が起こった。
「サイバーテロや!」
職員は色めきだった。
捜査一課(わいせつ物陳列関係)、捜査二課(サイバー犯罪関係)が合同で捜査に当たることとなったが、後に組織犯罪対策課(暴力団関係)も捜査に介入することになった。

三宅明信本部長は、詫間重夫一課長、仲宗根彰二課長および井筒礼二組犯対策一課長を呼び号令をかけた。

「現在、わたしの手元に届いている資料では、不正アクセスの容疑者として「横山尚子(よこやまなおこ)」という人物が挙がっており、この女性には、マエがあって、出資法違反と会社法違反で二度検挙され、どっちも不起訴になった経緯がある」
三宅本部長は続けた。
「それにこの女…指定暴力団「琴平会」の蒲生譲二会頭と懇意というタレコミがあって、井筒君にも同席ねがった」
「はっ」
三十を過ぎたばかりの童顔の井筒がきりっと返事をした。
「しかし、度肝を抜かれました…府警のホームページ一面に女性器のアップですからね。わたくし、最初、何が映ってるのかにわかにはわからんでした」
と、詫間一課長が苦々しく言う。
隣で、仲宗根二課長が苦笑を禁じ得なかった。

しかし、正月早々ということもあって、捜査は難航した。
マスコミは連日、この醜態を報じ、府警のメンツは丸つぶれだった。
捜査会議でも…
「横山とやらの足取りはまったくつかめません」
米倉千紗(ちさ)巡査長がお下げ髪の疲れた表情で、先輩の田川勝(まさる)警部補に言う。
「ライブドアの彼女のブログもつぶさに調べたけど、宇治に住んでるらしいことがうかがえるだけや」
「大久保の琴平会の事務所って、ガセですよね。琴平会は京都に本拠はないですから」
「いや、わからんで。もうちょっと調べてみんと」

そこへ、仲宗根課長が入ってくる。
「おい、みんな、これ見てくれ」
「なんです」
捜査員がテーブルに近寄った。
「容疑者のブログの発信元を辿ったんや」
「ほほう」
「これ、日本やないですね」
「そや、おとなりの韓国や。サイバー部門の連中に聞いたら、ライブドア自体、あっちの会社になってるらしいやんけ」
「横山ってのは、偽名か?」
「たぶんな。在日かもしれんけど」
「たしかこの女に、高安(たかやす)という姓が彼女の親戚筋にあったな」
「それがどうしてん」
「いや、チョーセンかなと思って…」「ふん…」
「こっちの資料では、横山尚子という名前の人間は、全国で九万五千十二人おってな、この京都では、なんと一万人あまりもおんねん」
「うわぁ」
「後藤、高安と範囲を広げたら、もっとおるわけや」
「あかんな、名前から近づくのは」
「宇治市にはどんだけおんの?」
「わりと少なくて後藤と高安を入れても225人です」
「少年以下を除けば?」
「そんでも203人ですね」
「当たろ。そのくらいやったら」

しかし、それは甘かった…その203人の「横山尚子」はすべて白だったのだ。
まったくの徒労に終わった捜査員たちは、虚脱して、捜査本部に突っ伏している。
「おい、だいたい、横山尚子っていうのはホンマにおるんかいな」
「おれもな、ちょっとこれは、初動ミスちゃうかなと」
「しかし、前に府警本部とか宇治署にはしょっぴかれとんねやろ?本人とちゃうかったんかいな」
「わからん」
そんな声まで聞こえる始末。

「蒲生は本名やなかった!」と、四課の捜査員が声を上げて部屋に入ってくる。
「なんやて?」
「やっぱりな」
みんなてんでに口を開く。
「ほな、雪洞組(ぼんぼりぐみ)は?」
「白雪組ならありまっけど、ぼんぼりぐみはなぁ」
「なんやその白雪姫みたいな組は」
「なんでも、組犯の話では会津小鉄会の下部団体だそうで」
「それ、くさいな」
「そうでっか?」

小正月も過ぎて、世間でも事件のことを気にする者は、ほとんどなくなってしまった。
これまでにわかったことは、昔の北鮮帰還事業(ほくせんきかんじぎょう)で高安(たかやす)一族が半島に渡ったという法務局の資料が見つかったことと、新(あらた)にキム・ミョンヘ(金明恵)という在日の女が捜査線上に浮かび上がったことくらいである。
この女も偽名の蒲生譲二の愛人で、日本名を金沢明恵(かなざわあきえ)と名乗っており、かつて大阪の鶴橋(つるはし)界隈で目撃されていたという情報が得られている。
蒲生の足取りも杳(よう)として明らかにならず、横山がブログで綴喜郡井手町に存在すると書いている「蒲生邸」も嘘だった。

「このキムという女は殺されてます」
そう言ったのは一課の米倉だった。
「あの、あれか?土台人がらみか?」
仲宗根課長が割って入る。
「ええ、たぶん、そうやないかなと。この平成二年の槇島の殺人事件がそうです」
冊子を米倉は、仲宗根に見せる。
ほかの捜査員も頭をつき合わせて見入る。
「京都化学工業の社員がしょっぴかれてるよな」
「証拠不十分で釈放されてますが、北系の在日でした」
「この会社、横山が勤めとったとこやろ?」
「それが…社に問合わせたら、そのような人物はいた形跡がないと」
「それも横山の作り話かいな。くそ」
「かなり虚言癖のある人物やないかと、プロファイラは言うてますけどね」
「あのセンセの言うことは当てにならんで」
仲宗根課長が、本部長の肝いりで招聘した立命館大学法科大学院の刑法専門の柳瀬豊(やなせゆたか)助教のことを言う。
みんなは、声に出さないが苦笑した。

横山も後藤もみんな嘘…
捜査は暗礁に乗り上げた。

しかし、件(くだん)のブログはどんどん更新されていく。

「こいつ…いったい何者?」
「どこから発信してんのやろ」
「ひとりとちゃうのとちゃいますか?複数犯では?」
「大学は当たったんか?博士なんやろ?」
「機械関係の企業はどうやった?宇治に怪しい会社はなかったか?城陽とか久御山(くみやま)、井手町も当たれ」
「アマ無線やっとるそうやけど、近畿総合通信局の調査でも、JF3のプリフィクスでは後藤、もしくは横山尚子は見当たらなんだ」
「ますます偽名臭いな。おい、夫が入ってるという介護施設のほうはどうなっとんねん」
「小規模多機能はみんなシロですわ」
「この女が乗ってるダットサンは交通課のほうで照会したんやろ?あの車は、今は少ないはずや」
「はい、いまやってます!」
「ブログの写真から、鑑識はなんかつかんでへんのかいな」
「ええ、映り込みとか、背景とか洗ってるんですけど」
「あかんか」
詫間一課長はしかし、
「ホンボシは宇治におる!」
と、自信たっぷりに言ってのけた。
どこからその自信がくるのか、捜査員たちは怪訝そうに課長を見つめた。

「なおぼん」こと横山尚子はいずこへ消えたのか?
それとも、別人のなりすましなのか?

このお話は迷宮入りとなった。が…

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