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歴史ラン#私の忠臣蔵note整理箱(田村屋敷から泉岳寺まで)

#江戸忠臣蔵ラン もクライマックスに向けて走り出しましょう。
前回の記事は、門前仲町の深川会議から吉良邸討ち入り浅野内匠頭終焉の地までの道のりを描きました。

今日は、浅野内匠頭終焉の地から主君に仇討を報告した泉岳寺までを描きたいと思います。
ダラダラと長くなりますが、お付き合い頂けたら幸いです。
いくぞー!

徳川将軍が眠る増上寺

日比谷通りを増上寺方面へ進みます。
東京慈恵会医科大学のあたりには、松山藩愛宕下上屋敷がありました。
ここは、大石主税堀部安兵衛など10名の浪士が、仙石久尚邸へ移送された後に収容されました。

徳川将軍が眠る増上寺

増上寺に到着。
増上寺には、徳川将軍6人の墓所があります。
歌川広重名所江戸百景で【芝神明増上寺】を描いています。
また、第二次世界大戦で戦禍を免れた建造物としても有名ですね。

増上寺から芝大門へ向かいます。
第一京浜に出たら右折し、金杉橋北を右折。
将監橋を過ぎて、再び日比谷通りに復帰して、目的地の泉岳寺を目指します。
芝と言えば、古典落語の演目【芝浜】が有名。
年末になると芝浜が聞きたくなる。
そんな落語ファンも多いのではないでしょうか。

安井彦右衛門に激怒する浪士

現在の田町駅前(旧田町二丁目)あたりで、江戸家老安井彦右衛門が、引き揚げてきた浪士に祝意を伝えたのですが、赤穂浪士は激怒したそうです。
というのも、浅野家再興に尽力せず、姿を消した過去があったようですね。
安井さんにも主張はあるでしょうが、空気の読めない人って、どの時代にもいるんですね。

浅野内匠頭終焉の地

増上寺

芝大門

金杉橋

将監橋

田町駅前

浅野内匠頭終焉の地から増上寺
増上寺から三田駅前
三田駅前から札の辻を経て御田八幡宮

東海道の玄関口の札ノ辻

札ノ辻が見えてきました。ここは、東海道の玄関口でした。
この辺りから眺める、ライトアップされた東京タワーも絶景です。

札ノ辻

1300年以上もの歴史を持つ御田八幡神社

御田八幡神社も登場します。
討ち入りの1年前に翻意して姿を消した高田郡兵衛。高田さんは、この地で浪士に接触しましたが、彼らは無視して通過したそうです。
泉岳寺に祝い酒を持っていくも、ここでも断られたそうです。四十七士の熱い生き様が取って分かりますね。

御田八幡神社

神社の敷地には、湧水が出ています。
この日は見事な滝を見ることができました。湧水をめぐるランもいいな。

伊能忠敬も訪れた高輪大木戸跡

泉岳寺は目前。
その前に高輪大木戸です。
当時にはここにはなかったようで、1724年に札ノ辻からここに移転してきました。伊能忠敬も、この大木戸を起点に日本地図を作りました。

高輪大木戸跡

江戸忠臣蔵ランのクライマックスは泉岳寺

ついに目的地の泉岳寺に到着です。
赤穂浪士が泉岳寺に到着したのはAM09:00ころのこと。
討ち入りをしてから5時間後に泉岳寺に到着したことになります。

泉岳寺

門をくぐると参道には、お土産屋さんが数件並んでいます。
その前に目に飛び込んでくるのはこの石碑。
四十七義士の石碑。文字の劣化から月日の経過を感じます。

四十七義士の石碑
大石内蔵助像

赤穂浪士は、浅野内匠頭の墓前に吉良の首級を供え、大石内蔵助が祭文を読んだ後、首級をあげた間十次郎、武林唯七、続いて大石内蔵助の順で焼香し、首級を寺に預けたそうです。
その後、浪士46名は幕府大目付役の仙石久尚邸に移送されます。
そして、4つの藩邸に振り分けられて収容されました。

札ノ辻

御田八幡宮

高輪大木戸跡

泉岳寺

田町駅前から泉岳寺

門前仲町をスタートし、浪士が支度をした堀部安兵衛道場跡、仇討をした吉良邸、回向院、永代橋、赤穂藩屋敷などをめぐり泉岳寺へ。
総走行距離は約18㎞。
当時の情景を想像しつつ、時の流れを感じながらのランニングも楽しいものです。
もし機会があれば、忠臣蔵ランニングを楽しんでみてはいかがでしょうか。

長くなりましたがご清聴ありがとうございました。


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