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東郷清丸の"ロードムービー"がどれだけ素晴らしいか語りたい

これ、本当に素晴らしい曲なので、どうしても語りたいんですよ。

いろいろ素晴らしい点はあるのですが、冒頭から語っていきたいと思います。

まず、ゆらゆらとした音で、歪ませたギターのリフがさみしげで良い。

そして、音数を極限まで減らしたミニマルなアレンジが素晴らしい。
これもまた、さみしさの表現になっているように感じます。

そういった音色や音楽的な部分も非常に素晴らしいのですが、今回は歌詞の方をとりあげたいと思います。

著作権の問題があるので、歌詞全文を書くことは出来ないのがショックなくらい、素晴らしいものです。
このすばらしさは、かねてから私が考えている、"言外に(あるいは行間で)語る"ということの良さだと思います。


というわけで、問題ないようにワンコーラスだけ歌詞を載せておきます。

目を覚ますころには着いてると思うから
寝ててもいいよ、ほんと
毛布でも掛けて
踊るようにトラックの間すり抜け
さながら逃避行。
街灯が描く放物線の向こうにふたり
落ちてく

ね、いいでしょ?

って言うだけだと記事にする意味がないので、ナンセンスではありますが、言外に語られていることについて、少しだけ解説を。


優しさの表現

目を覚ますころには着いてると思うから
寝ててもいいよ、ほんと
毛布でも掛けて

まずこの一節。
この一節が本当に素晴らしい。
ここから、
①夜であること、
②主人公が運転していて大事な人をとなりに載せているということ、
③その大事な人も気を使って寝ないようにしていること、
④かなりの長距離移動であること

の4点が読み取れます。
特に②と③からは、お互いがお互いを大事に思い合っている、そんな優しさを感じます。

感覚的にわかっていただけるとは思いますが、細かく解説すると、
「目を覚ますころには」、という一言からまず、夜であることが察せられます。

また、「着いてると思うから」、という一言では、主人公が運転していることが明らかになります。
運転している人じゃないと、こんなセリフ言いませんからね。
とくにこれは、「ロードムービー」という、車を感じさせるタイトルと合わせて考えるべきでしょう。

さらに、「寝ててもいいよ、ほんと 毛布でも掛けて」という言葉からは、大事な人をとなりに載せていて、その大事な人が気を使って寝ないようにしていることが分かります。
加えて、「毛布」が車の中に準備されていることを考えるべきでしょう。
多少個人的な見解ではありますが、車の中に毛布って常備してるものですかね?
普段は置いていない、寝るための道具である毛布を準備しているということは、長距離移動に備えているからにほかなりません。

いずれにしても、主人公は疲れている大事な人に休むように促し、大事な人は運転している主人公を気遣って寝ないようにしている、この状況に、互いに大切に思い合っている、そんな優しさを感じさせる歌詞となっています。
また、これがさみしげなイントロとつながり、言いようのない侘しさを感じずにはいられません。


さみしさの表現

そして、次の一節。

踊るようにトラックの間すり抜け、さながら逃避行。

この一節から、少しだけ急いでいることがまず読み取れます。
急いでいなければ、「トラックの間すり抜け」のように多少は危険な運転をすることはないでしょう。
ちなみに、すり抜けられる数のトラックが走っているということは、夜の港や空港の近くなのでしょう。

そして、「さながら逃避行」という一言で、イントロで提示されたさみしさを決定づけます。
というのも、基本的に逃避行というのは出会う人びとに怯えながら過ごす孤独なものです。
この"ロードムービー"の場合、大切に思い合っているふたりの逃避行なわけですね。
頼れるのはお互いしかない孤独だけれども、お互いを優しく思い合っている、そんなさみしさと優しさが同居する風景なのです。


優しさとさみしさの重ね合わせ

最後に、

街灯が描く放物線の向こうにふたり、落ちてく。

という一節。

ここで思い出していただきたいのが、トラックの間をすり抜けていたという事実です。
そのような数のトラックが走っていること、街灯が放物線のように連なっていること、この2つが示すのは、高速道路を走っているという事実ではないでしょうか。

深夜の高速道路というのは、長距離移動の疲れと相まっていかにもわびしい(最近の言葉で言えばエモい)ものです。
そのような中をふたりが落ちていく。
恐らく、隣にいた大事な人はうながされて眠りについたのでしょう。
そんな寝息が聞こえるようではないですか。
(ちなみに、2コーラス目で眠ってしまったことが判明します。)


言外に語ること、感情を表現すること

このように、"さみしい"こと、"大事に思っている"ことを、一切、直接に記述することなく、言外・行間で語っているわけです。

勿論、言葉で直接伝えること、それは素晴らしいものですが、このように言外・行間で語る方がより伝わるものがあります。

それこそが、"さみしい"、"大事に思う"といった感情なのではないでしょうか。

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