ぽどろもどろ 2023/07/19

 20分作業して5分休憩、また20分、5分、20分。最近はもっぱらポモドーロ法を頼ってタスクに向き合う日々である。気質に合った集中法、といえば上手に生きているようで聞こえが良いが、単に散漫な自分にとって都合の良いやり方であるというだけのことだ。元来集中できる人間があえて小休止を挟むことでさらなる能率向上を目指す高尚なポモドーロとはかけ離れている。次の電柱を目指して走る、という俗説的な小利口のように、カウントダウンできる程度の短いスパンで自分を騙しているにすぎない。
 私は昔から「自分を操縦する」という観念に囚われている。衆人環視のもとで勉強をしたり、朝の寝惚けを覚ますために窓を開け放ったり、「自分の意思とは関係なく行動せざるを得ない状況」を作り出すことこそが最善策であると信じて生きてきた。もちろん一定の成果を期待できる有用な方策ではあるのだが、意思と行動を結びつけることができなくなるという甚大な副作用がある。
 目標に向かって汗かきべそかき邁進する人がいる。まっすぐでひたむきで応援したくなる、眩しい好人物である。何が眩しいか。努力の先頭に高く掲げられた夢が眩しい。かたや私はなぜ眩しくないのか。夢を追うのではなく、必要性に追われる形でしか努力できないからである。何か背っ突いてくれるような存在を認めないとがんばれないのだ。背水の陣しか策を持たない参謀など無能も甚だしい。いままでの戦は意気地のない小兵でも勝てるようなやり方で騙し騙し乗り越えてきたが、いつか来る大戦ではおざなりな策など通用しない。勇気のない者はすぐに叩っ斬られてしまう。
 ポモドーロは一人称視点で勇猛果敢に突撃するやり方ではない。労働と報酬を司るシステムを外側に構築して自ら操縦される、強制的・自動的なやり方である。私はポモドーロから脱却しなければならない。のだが、今はまだポモドーロなしには机に向かえない。情けないがひとまずこのまま世話になる。私は小兵だ。

 君たちはどう生きるか、かなり好きだったので二度みた。ポモドーロの5分休憩を使って少しずつ感想を書いている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?