たゆまぬ 2023/07/06

 やることが終わって、いや厳密には終わっちゃいないが当座のデッドラインからはなんとか逃げ切ることができて、はりつめた弓のような逼迫からは解放された。ここ数日、寝ても覚めても研究のことばかり考えていた。大学院に進学してから熱心とも怠惰ともつかない日々を二年間重ねた結果「私は学問に不向きな人間である」という悲劇的事実が発覚し、その絶望が大学と自分との間に高く聳えてしまった。幼少期からアイディアマンの地位を恣にし、自らの発想力や好奇心を疑わずに育ってきた喃語少年だったが、いまやどうだろう、お前の好奇心は学術的ではない、大学は個人の興味を好き放題追求できる甘々な組織ではない、ともっともな批判を突きつけられて手も足も涙も出ず、ただ肩身を狭くしながらゼミに出ている。ゼミがなんなのかもわからないままゼミに出て、キャスター付きチェアにゆらゆらと座って90分過ごしている。
 マッドサイエンティストはアカデミーに属さず独自のラボに閉じこもる。なぜなら彼の研究は社会的意義を持つものではないからである。私は大学という機関に属さず(いや属してるけど)独自で興味を追求する。なぜなら私の研究は社会的意義を持つものではないからである。私とマッドサイエンティストは能力の高さによってのみ差別化される。また、マッドサイエンティストは能力の高さによってのみ許容される。


 「終わるとか完成するとかではなく、魂を込めた妥協と諦めの結石が出る」

 これは敬愛する作品「映像研には手を出すな!」のセリフである。私はたびたびこの言葉を思い出しながらタスクに向かっているが、未だこの精神性を獲得できていない。何をするにしたって一番ジャマなのはプライドで、私ならもっとできるはず、こんなんじゃ恥ずかしくて世に出せない、という気持ちが溢れて進路を塞いでしまう。中途半端を恐れるあまり何ひとつ形にできない。唯一残るのは実績も経験もない男一匹である。
 先日フォロワーとスペースで喋ったとき、私以外の2人は音楽や文学のジャンルで作品をつくって販売していた。情けなくなった私は堪らず「お二人はクリエイティビティを形にするための第一歩目を踏み出せるところがそもそもすごいし、それが評価されてるのはさらにすごい」という旨を伝えた。私が惨めなのはもうわかってますから、という独りよがりなポーズをとって許されようとしてしまった。人格者のお二人は「喃語さん日記書いてるんだし文フリに出したりすればいいじゃないですか」と提案してくれたが、この文章が売れる未来がどうしても見えない。こうやってその場にとどまるための言い訳を見つけようとしてしまうからダメなのだ。きめた。11月の東京開催の文フリに何か出そう。やるぞ。やるぞ。

 おととい彼女と別れた。「だんだん好きになってくれればいいから」と言われたので付き合って、好きになれなかったので別れた。深夜1時半くらいに別れ話が終わって、その後すぐ寝れるほど神経が太いわけでもないので、すこし散歩した。
 なにか音楽を聴こうとイヤホンをつけてApple Musicを開き、手が自然とロックを探していることに気がついた。ちょっと恥ずかしい。最近ロックを聴くタイミングがあまりに模範的すぎるんじゃないかという自意識に苛まれがちだ。講義前に騒ぐ大学生に遭遇した時、電車で甲高い声を出す女に恐怖した時、バイトで嫌なことがあった時。社会に対抗したい気持ちとロックが重なってしまうと恥ずかしい。たとえるなら店内BGMと歩みのリズムがシンクロしてしまった時のあの感じだ。意図せず凡庸に成り下がったような悔しさがある。
 最近はジェネシスとニルヴァーナを聴いている。

 先週、近所のスーパーで七夕の短冊を書いた。眠気を我慢しなくても済みますように、というかなり欲張りで包括的な願いを書いたのだが、今週見に行ったら床に落ちていた。縁起とか験とかを気にするタイプでもないがなんとなく気持ち悪くて、拾い上げて一番高いところに結び直した。よし。

はじめました

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