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鳴島充人 四宮スズカ 二人展 鑑賞

先日art space tetraにて「鳴島充人 四宮スズカ  二人展 Sen:Lei」を鑑賞した。
鳴島さんの作品は何度か拝見している。はじめて拝見したのは何年前だろうか。たしか警固あたりのギャラリーのグループ展だったような覚えがある。
その頃から鳴島さんの作品の印象はほぼ変わらない。この変わらないという私の感想が良いことなのか、悪いことなのかはわからない。作家にとって「変化」というのは避けようのないことでもあり、むしろそれを望んである方もおられるだろう。
鳴島さんの作品には常に「命」という言葉を感じるのだ。その「命」は綺麗事ではなく、なにかドロドロしている。生々しい。
それは人によっては辛いかもしれない。そこまで正面切って「命」と対峙しようとしているように思える。
そして初めて拝見した四宮さんの作品は淡い色の作品である。天然の鉱石の断面とか、綺麗な貝殻の内側だとか、そんな印象を受ける。浅瀬の海もこんな色かもしれないなと考えてしまう。
面白いのは作品の仕上げ方である。木枠に画布を張っているのだが、裏から余った画布がはみ出している。明らかにわざとである。枠の中にはめていながらその枠に囚われないのが好きだった。
説明を受けるとまず大きな画布に作品を描くのだそうだ。そこから切り出して作品を作っていくという。そのはみ出た画布も歪で、妙に躍動感がある。まるで動物の革のようにも感じる。
そして何より四宮さんの作品の特色は表面の淡い、独特の色彩表現である。マチエールとでもいおうか。的確な言葉が見当たらない。
これも説明してもらったのだが、制作に塩を使っているのだそうだ。最終的に塩の乗った部分は塩が無くなり、色が変化する。これは四宮さんがドローイングをしている中で発見した表現方法だそうである。
その四宮さんと鳴島さんの作品が特に区別されている訳でもなく、展示されている。そして真ん中には流木などで作られた鳥居が2つ、作られている。その二つを繋ぐのは赤い紐である。
このようなギャラリーの壁面で使われる白という色が変化する。温かみや安心感、清潔感を感じることの多い色が冷たさ、虚無感を引き立てる。そしてそれは鳴島さん、四宮さんの作品に共通して感じる「命」という言葉を増幅させているように感じる。
もしかしたら展示期間中、このアートスペースはこの世の果なのかもしれない。
しかし確かに命はある。しかも必死に生きている。

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