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銀ソーダ 貴賓館個展 鑑賞

旧福岡県公会堂貴賓館で行われていた銀ソーダさんの個展が最終日なので父の古希祝いの後、向かった。
元々美術展示目的ではない歴史のある建物の中での展示。それは建物にどんな作用を齎すのか。そして作品はどう見えるのか。
今回展示されているキャンバスのロールに描かれた作品は「公開制作」という形で別のギャラリーで描かれた作品である。その風景を見ていれば今回の展示もいっそう楽しみであるだろう。
私は今回の展示は2回目の鑑賞である。始まって2日目くらいに一回鑑賞させていただいた。
1回目と今回とでどう変わったか。作品に加筆されているわけでもなく、何も変わらない。展示されている貴賓館の食堂では新たにライブペイントで描かれた作品が追加で展示されていた。
変化といえばそれくらいである。
しかし私の感覚に大きな違いがあった。
最初は「作品が展示」であった。
今回は「作品が佇んでいる」という感じを持った。
貴賓館は客人を持て成す建物である。故に作りは閉鎖的でなく、開放感があり、贅沢に使われた木材には温かみがある。
なのでギャラリーでは味わえない「時間の経過により作品の見え方が変わる」というその時間だけ得られる贅沢な作品を拝見できるのだ。
窓から得られる光、日によって違う天気、それらが全て作品に反映される。展示作品は一つであるのだが見るたびに変わる一つの作品は多くの顔を見せる。
作品の中でも部分部分を見ると鋭く線が描かれていたり、大きな板で面を埋めていたりとドラマがある。
銀ソーダさんは作品テーマについてこう語る「時間の経過を可視化したい」と。
今回の貴賓館での展示は正にその狙いが銀ソーダさんの狙い通りに、若しくはそれ以上に表現されていたのではないのだろうか。
そして作品は大きい。大きいというか、長い。
自らが動くことで作品が流動的に見える。作品に命が宿るようだ。
日の当たるところが光る。しかし私が動くことで光は移動して絵の具本来の青に戻る。
素晴らしい作品は空間そのものも支配すると考える。この展示で銀ソーダさんの作品と展示されていた食堂は一心同体となっていたと思う。

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