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銀ソーダ個展「選択」鑑賞

最近メンタルが不調というか、不安定で例えるならば安心と不安が仲良く手を繋いで私の後ろを歩いているというか、これは明らかに良くない状態で、結果何が起きているかというと何時に寝ても朝目が覚めるのが5時前後である。今日は4時半くらいに目が覚めてなんとかまた目を瞑って寝ようとしても5時半が限界であった。
そうして私の心はムズムズしだして家にはいられなくなる。家にいたら不安が増す気がするので今日は外に出ることにした。博多駅まで出て中洲へ向かい、天神に出る。朝の長距離散歩である。
家で悶々と嫌な気持ちを肥大させるよりも清々しい朝の空気を吸ったほうが良い。今帰宅したのだが、距離にして8.5キロ。歩数は14000歩くらいだった。
そしてその散歩の途中に寄ったのが天神のソラリアパークサイドギャラリーで昨年12月28日より行われている銀ソーダさんの個展「選択」である。
先日に引き続き銀ソーダさんの個展の鑑賞日記であるが、それだけ銀ソーダさんの活動が活発で、私が好きな作家であることもあるのでご容赦願いたい。
私がてくてくと散歩をしながらパークサイドギャラリーに辿り着いたのは8時ごろであるが、そんな時間にギャラリーなどが開いているのかと問われれば開いているのである。正確に書くと開放されているのである。何故ならパークサイドギャラリーは天神の三越の一階にある通路に面した展示スペースなのだ。朝は5時から開放されている。
今回の銀ソーダさんの展示作品は東京で開催された個展の作品の再構築である。
その東京の展示がどんなものであったかというと、私も直接拝見したことはなく、SNSやご本人からの解説によるのだが、ギャラリーの壁面いっぱいにキャンバスを張り、そこに作品を描き、鑑賞者はその巨大な作品の好きなところをカットしてもらうという斬新なコンセプトである。
私に経済力があれば是非見に行きたい展示なのだ。
今回の展示はその個展で使用されたキャンバスを、改めて今度は銀ソーダさん自身がカットして小作品にし、そして切られて空間のできたキャンバスも使用する。平面作品というかインスタレーション(空間芸術)である。
銀ソーダさんの作品は青を基本とし、「記憶と時間の可視化」をテーマとしている。その青はおそらく見る人によって色々印象が変わるだろう。ある部分は激しく、ある部分は穏やかでそれはそのまま人間の感情と一緒な気がする。人間の感情が喜怒哀楽の四つの感情で括られないように、銀ソーダさんの青も一括りには出来ないと私は思うのだ。
強いて言えばその時の感情で作品の見方も変わるというか、まるで鏡のようでもあると考える。
そして今の私は不安定である。そんな状態で見ればどうなるか、天神に向かう中、私は悩んだのである。作品を見るというのは疲れる。鑑賞者と作者のいわば対決みたいなところがある。それに私は耐えられるのか。展示は31日まであっているのだからスルーすることもできたのだ。また日を改めて見ることだって出来たのだ。しかし私は我慢がならなかった。足は自然とパークサイドギャラリーに向かっていたのだ。
そして私は非常に安堵したのである。
それは悩んだ末に結果的に見た事で後悔を消すことが出来たからなのか、それとも作品と対峙した途端にその作品の迫力と、隅々まで行き届いた神経に感動したのか。
きっと両方なのだろう。
なにより31日まで誰でも通る通路にこんなにも素晴らしい作品がある。日常に美術があるという贅沢を楽しみたいと心から思うのだ。
嗚呼、私は心から美術が好きなのだ。そしてそれはとても贅沢な事なのだ。
メンタルは不安定だけれども、
この喜びは噛み締めたい。

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